かぞえうた (大型動物編)
「ひとつ、ふたつ、みっつ、よっつ…」数を声に出して唱える。動物が一匹ずつ増えていく、リズミカルなかぞえうた。
現行学習指導要領(平成29年告示)に対応する教材を、教科・学年ごとに収載しています。 現在 158 教材を公開中。
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「ひとつ、ふたつ、みっつ、よっつ…」数を声に出して唱える。動物が一匹ずつ増えていく、リズミカルなかぞえうた。
「いろはにほへと」 ―― 平安時代の昔から、千年にわたって日本の子どもがいちばん最初に習った文字練習の歌。47 音すべてを 1 回ずつ使ってつくられている。
「あめあめ ふれふれ かあさんが じゃのめで おむかい うれしいな」 — 北原白秋が大正期に書いた、雨の日の母と子の童謡。100 年たった今も、世代を超えて歌い継がれる。
「夕焼小焼の赤とんぼ、おわれて見たのはいつの日か」── 大正10年、三木露風が郷里・揖保川(兵庫県)の風景を思い出して書いた、日本で最も愛唱される童謡。秋の夕焼け、遠くなった子供時代、おばあちゃんの背中の温もり。
「烏なぜ啼くの、烏は山に、可愛い七つの子があるからよ」── 大正10年、野口雨情が母烏と子烏の愛情を歌った童謡。 山 の 巣 で 待つ 七 つ の 子 を 思 う 母 の こころ が、 ふ し ぎ な やさしさ で 描 か れ る。
「ぎ ん ぎ ん ぎ ら ぎ ら 夕 日 が 沈 む、 ぎ ん ぎ ん ぎ ら ぎ ら 日 が 沈 む」── 大 正 10 年、 葛 原 し げ る が 作 詞 し た 童 謡。 鮮 や か な オ ノ マ ト ペ で 夕 焼 け 空 を 描 く、 日 本 人 に 最 も 親 し ま れ た 一 篇。
「朝 焼 け 小 焼 け だ 大 漁 だ」── 山 口 県 仙 崎 の 浜 で 育 っ た 金 子 み す ゞ (1903–1930) が、 大 漁 の 喜 び の 中 に 海 の 悲 し み を 見 つ め た 童 謡『大 漁』。 全 8 行 の 短 い 詩 で、 視 点 を 変 え る こ と・命 へ の 優 し さ を 教 え る 名 作。
おじいさんとおばあさんが、神さまにおねがいして 一寸法師が うまれた、ふしぎな はじまりのおはなし。
「るるり るるり」「ぐぎゃっ」 ―― 草野心平が、カエルの声と心を、ひらがな の おとで えがいた詩。詩は、いみ よりも おと が たいせつ。
「わたしが両手をひろげても、お空はちっとも飛べないけれど、飛べる小鳥はわたしのように、地面 (じべた) を 速くは 走れない」 — 金子みすゞ、26 歳で世を去った童謡詩人の代表作。「みんなちがって、みんないい」の名句で結ばれる。
「からたちの花が咲いたよ。白い白い花が咲いたよ」── 北原白秋が、少年時代の苦い思い出を「からたちの花」に託して歌った童謡。やわらかな白い花、するどい棘、そしてそのそばで泣いた日。やさしさと痛みが、一つの花に。
「シャボン玉飛んだ、屋根まで飛んだ。屋根まで飛んで、こわれて消えた」── 大正11年、野口雨情が亡くした幼い娘を偲んで書いた童謡。 シャボン玉 の 短い 命 に、 失 わ れ た 命 が 重 な る。
「お う い 雲 よ / ゆ う ゆ う と / 馬 鹿 に の ん き さ う で は な い か」── 山 村 暮 鳥 が、 死 の 直 前 に 雲 に 語 り か け た 短 い 詩。 病 床 の 詩 人 か ら 空 の 雲 へ の、 や さ し い 呼 び か け。
「見 え な い け れ ど あ る ん だ よ / 見 え ぬ も の で も あ る ん だ よ」── 金 子 み す ゞ (1903–1930) の 名 詩『星 と た ん ぽ ぽ』。 昼 の 星、 散 っ た 後 の た ん ぽ ぽ の 根 ─ 見 え な い が 確 か に そ こ に あ る 命 を 歌 う。 小 2 で 既 出 の『私 と 小 鳥 と 鈴 と』 と 並 ぶ み す ゞ の 代 表 作。
冬のはじめての雪を見た子狐が、町まで手袋を買いに出かけます。母狐の不安、子狐の素直な発見、そして物語の最後に母狐がふともらすつぶやきが、長く心に残ります。
いたずら好きの子狐ごんが、兵十のうなぎを奪ったことをきっかけに、罪悪感から償いをはじめる物語。最後の場面の静かな衝撃が長く心に残ります。
北の海で生まれた人魚の娘は、ある夜、ろうそく屋の老夫婦に拾われる。やがてろうそく屋は栄えるが…。人魚が描く赤いろうそくと、人間の欲が交錯する物語。
山奥で道に迷った二人の紳士が、立派な西洋料理店「山猫軒」を見つけて入る。次々と現れる扉の不思議な「注文」の意味は…?ユーモアと風刺の効いた賢治童話の代表作。
老夫婦に授かった指ほどの大きさの男の子・一寸法師が、京の都を目指して針の刀とお椀の舟で旅立つ。鬼を退けて姫君と結ばれる、日本五大昔話のひとつ。
「光 る 地 面 に 竹 が 生 え、 青 竹 が 生 え」── 萩 原 朔 太 郎 が 大 正 6 年 に 詠 ん だ、 真 直 ぐ に 伸 び る 竹 の 詩。 オ ノ マ ト ペ と リ フ レ イ ン で、 竹 の 生 命 力 を 描 く 名 詩。
「お む す び こ ろ り ん で 拾 っ た 柿 の 種」── 蟹 が 親 切 で 育 て た 柿 の 木 を、 ず る い 猿 が 横 取 り。 怒 っ た 子 蟹 と 仲 間 (蜂・栗・臼・牛 糞) が 力 を 合 わ せ て 仇 を 討 つ 日 本 昔 話。 巌 谷 小 波 (1870–1933) が 整 え た 児 童 文 学 の 古 典 を、 小 3 国 語 で 読 も う。
「クラムボンはわらったよ」「クラムボンはかぷかぷわらったよ」— 谷川の底に住む蟹の親子が見た、五月と十二月の二つの幻燈。光・影・水音・匂い、賢治の言葉の魔法に出会う名作短編。
「ドンブラコッコ、スッコッコ」— 川を流れてきた大きな桃から生まれた桃太郎が、犬・猿・きじを家来にして鬼が島の鬼を退治する、日本五大昔噺のひとつ。明治・大正の童話作家、楠山正雄による定番の再話。
「この明るさのなかへ ひとつの素朴な琴をおけば、秋の美しさに耐へかね、琴はしづかに鳴りいだすだらう」 — 八木重吉が大正期に書いた、短いがふかい詩。秋の光のなかで、ことが ひとりでに 鳴り出すような風景。
「堅雪かんこ、しみ雪しんこ」— 雪のすっかり凍った冬の野原。四郎とかん子は小狐の紺三郎に出会い、狐小学校の幻燈会へ招かれる。賢治がはじめて発表した童話、雪と月夜と狐たちのうつくしい交歓の物語。
「これは、私が小さいときに、村の茂平というおじいさんから聞いたお話です」── 新美南吉が 18 歳 で 書 い た、 い た ず ら ぎ つ ね ご ん と 兵 十 の 物 語。 す れ ち が い と 後 悔 の、 日本 の 児童 文学 を 代表 す る 名 作。
「お ば あ さ ん は、 め が ね の お か げ で、 細 か い 仕 事 が で き る よ う に な っ た」── 小 川 未 明 が 描 く、 月 夜 に お ば あ さ ん の も と へ や っ て き た 不 思 議 な め が ね 売 り。 や が て 訪 れ る、 蝶 の よ う な 美 し い 少 女 と の 出 会 い。
「文 明 開 化 だ! 文 明 開 化 だ!」── ラ ン プ 屋 と し て 成 功 し た 巳 之 助 (み の す け) は、 電 気 が 来 て ラ ン プ が 売 れ な く な っ た 時、 怒 り の 中 で「時 代 を 恨 む の は 間 違 い だ」 と 気 付 き、 池 で 全 て の ラ ン プ を 沈 め て 商 売 を 終 え る。 30 歳 で 早 世 し た 新 美 南 吉 (1913–1943) の 名 作 を 小 4 で 読 む。
「僕の前に道はない/僕の後ろに道はできる」— 高村光太郎が結婚直前に書いた、自分の生き方を切り開く決意の詩。短いが力強い、現代日本の口語自由詩の出発点のひとつ。
「いちめんのなのはな」— ただ「なのはな」をくり返すだけで、見渡すかぎりの菜の花畑の景色を立ち上がらせる、山村暮鳥の有名な視覚詩。詩集『聖三稜玻璃』所収。
「きっぱりと冬が来た」 — 1913 年、29 歳の高村光太郎が、力強いリズムで冬の到来を宣言した詩。「冬よ/僕に来い」の決意の一行で結ばれる。
「まだあげ初めし前髪の、林檎のもとに見えしとき」── 明治の少年が、林檎の木の下で、初めての恋を知った瞬間を歌った藤村の代表詩。古い文語のリズムの中に、瑞々しい初恋の心が今も生きている。
「武蔵野の俤 (おもかげ) は今わずかに入間郡 (いるまごおり) に残れり」── 国木田独歩 が、 江戸 か ら 東京 に 変 わ り つ つ あ る 武蔵野 の 自然 を、 美 し く 静 か に 描 い た 名 文。 雑 木 林 と 落 葉 と 風 の 美 を、 日 本 文 学 が 初 め て 発 見 し た 一 篇。
「親 ・ 兄 弟 で も な く、 知 人 ・ 朋 友 で も な い、 し か し 忘 れ え ぬ 人 々」── 国 木 田 独 歩 が、 旅 で 一 瞬 す れ 違 っ た だ け の 「名 も 知 ら ぬ 人 」 へ の 不 思 議 な 思 い を 描 い た、 明 治 文 学 の 名 短 編。
「僕 の 前 に 道 は な い / 僕 の 後 ろ に 道 は 出 来 る」── 大 正 3 年 (1914)、 高 村 光 太 郎 (1883–1956) 31 歳。 妻 智 恵 子 と の 出 会 い と 共 に、 自 立 し て 道 を 創 る 決 意 を 9 行 の 詩 に 結 晶。 小 6 で 名 詩 を 暗 唱 し、 中 学 へ の 自 立 心 を 育 て よ う。
「鶴と亀がぜんぶで何匹かいる。頭の数は◯、足の数は△。鶴と亀それぞれ何匹か?」— 江戸時代のベストセラー算術書『塵劫記』に載った日本人なら誰でも一度は触れる古典の論理パズル。
京と大阪、二人の旅人が同時に出発したら、いつ・どこで出会うか?速さと時間と道のりの関係を江戸の人々が解いた、現代の速さの問題の元祖。
正月に鼠の親子14匹。2月にはそれぞれが子を産んで…。「ねずみ算式に増える」という言葉の由来になった、江戸時代の有名な「倍々ゲーム」問題。最後の答えはなんと270億匹超え!
「10升の油を、7升と3升の桶で 5升ずつに分けたい」── 江戸の数学書『塵劫記』に載る、容器による油分けの名問題。たった 3 つの操作で答えに辿り着く、論理パズルの古典。
「円 の 周 を、 円 の 直 径 で 割 る と、 い つ も 同 じ 数 (= 円 周 率 π) に な る」── 江戸 時代 の 和算 家 たち が、 ヨーロッパ と 全く 独 立 に、 円 周 率 を 小 数 点 以 下 何 桁 ま で 求 め た か。 『塵 劫 記』 か ら 関 孝 和 へ の 数 学 史 物 語。
「神 様 が 解 い て く だ さ る か も し れ な い 」── 江 戸 時 代、 日 本 の 数 学 愛 好 家 た ち が、 解 い た 難 問 や 新 し い 発 見 を 絵 馬 に 描 い て 神 社 に 奉 納 し た 「算 額」 文 化。 庶 民 が 数 学 を 楽 し む 世 界 史 上 稀 有 な 文 化。
「五 人 で 米 を 分 け る」── 江 戸 期 の 庶 民 が 日 常 で 行 っ た「分 け 方」 か ら、 平 均 と 分 数 を 学 ぼ う。『塵 劫 記』(1627) の 庶 民 算 数 を 入 り 口 に、 小 5 算 数 の 重 要 単 元 を 楽 し み な が ら 身 に つ け る。
「食は健康の母なり」— 明治36年(1903)に新聞連載されて百万部のベストセラーとなった日本初の本格的「食育」小説、村井弦斎『食道楽』の序文と春の巻冒頭から、食と健康・家族・教育の関係を考える。
「夏の食物は、第一に冷たく、第二に淡白に、第三にあじを濃く」— 村井弦斎『食道楽』夏の巻から、明治の人々が暑さと戦った食の知恵を読む。冷蔵庫もエアコンもなかった時代の「夏ばて防止」の工夫。
「秋は実りの季節。冬を越す備えの季節」── 村井弦斎『食道楽』秋の巻から、明治の家庭が冬の保存食をどう準備したかを読む。米・芋・栗・梅干し・味噌・漬物。100 年前の「持続可能な食」の知恵。
「冬 の 食卓 の 中心 は、鍋 (なべ) で あ る べし」── 村井弦斎『食道楽』冬の巻から、寒さに体を温め、家族を囲ませる鍋料理の哲学。100 年前 の 日本 家庭 が 大切 に した 「温かい 食卓」 の 知恵。
「日 本 人 の 衣 生 活 が 革 命 的 に 変 わ っ た の は、 木 綿 が 普 及 し た 江 戸 中 期 以 降 で あ る」── 民 俗 学 者 柳 田 國 男 が、 麻 や 葛 (く ず) の 繊 維 で 暮 ら し た 古 代 か ら 中 世 の 日 本 人 の 衣 生 活 を 描 く 名 著。
「子 ど も を 育 て る こ と は、 一 つ の 国 を 育 て る こ と と 同 じ で あ る」── 12 人 の 子 を 育 て な が ら 詩 を 書 き、 評 論 を 書 き、 平 和 を 唱 え た 与 謝 野 晶 子 の、 家 庭 と 育 児 に つ い て の エ ッ セ イ。
「美 味 を 求 め て 真 を 知 る」── 大 正 14 年 (1925)、 衆 議 院 議 員 木 下 謙 次 郎 (1869–1947) が 著 し た 食 文 化 の 大 著『美 味 求 真』。 日 本 ・ 中 国 ・ 西 洋 の 料 理 と 食 材 を 詳 細 に 研 究 し た 約 1400 ペ ー ジ の 古 典。 小 5 家 庭 科 で 食 文 化 の 深 み を 学 ぼ う。
一杯の湯気の立つお茶碗から、対流・雲のでき方・竜巻・季節風まで、身近な現象を入り口に地球規模の気象へと話が広がっていく、寺田寅彦の代表的な科学随筆。
夏の夜の線香花火を、寺田寅彦は「蕾・松葉・柳・散り菊」の四段階の音楽として描く。詩情あふれる観察と「なぜ誰もこれを研究しないのか」という科学者の問いかけ。
なぜ金平糖はあのような不規則な角をもって育つのか?対称性と統計的ゆらぎという物理学の根本問題を、お菓子から物質と生命の関係にまで広げていく寺田寅彦の冒険的随筆。
「雪は天から送られた手紙である」— 雪の結晶を人工的に作り出し、上空の気象を読み解く方法を確立した中谷宇吉郎の名著『雪』から、序・本論の核心・附記の三つの抜粋。
「雪 は 天 か ら 送 ら れ た 手 紙 で あ る」── 中 谷 宇 吉 郎 が、 北 海 道 大 学 の 低 温 実 験 室 で 世 界 で 初 め て 「人 造 雪」 を 作 っ た 物 語。 結 晶 の 形 か ら、 雪 が 降 っ た と き の 上 空 の 状 態 を 読 み 解 く 科 学。
「私は植物の精である。植物が大好きだ」── 「日本の植物学の父」と呼ばれた牧野富太郎が、生涯一筋に植物を愛し、約 1500 種を命名した物語。 観 察・記 録・命 名 ─ 科 学 の 基 礎 を、 一 人 の 在 野 の 学 者 が 体 現 し た。
「ど う し て 藤 の 実 が 一 斉 に は じ け 飛 ん だ の か」── 1933 年、 物 理 学 者 ・ 随 筆 家 寺 田 寅 彦 (1878–1935) が ベ ラ ン ダ で 観 察 し た 種 の は じ け 方 を、 中 1 理 科「植 物 の つ く り」 単 元 で 読 む。 chugakurika2 で 既 出 の 寺 田 教 材 と 並 ぶ 同 系 譜 の 一 篇。
毎朝の通勤電車の混み具合を「物理学の実験」として観察した寺田寅彦の随筆。混雑は偶然ではなく統計的な分布をもつことを示し、確率と日常を結びつけた、理科的なものの見方の入門。
「春の海ひねもすのたりのたりかな」 — 与謝蕪村の句から始まる、寺田寅彦の科学随筆「春六題」。春の海が「のたりのたり」と動く物理を、波動・拡散・流体力学から読み解く。
「藤の実が地に落ちると、ぱちん、ぱちんと、まるで小銃でも撃つやうな音がする」 ── 物理学者・寺田寅彦が、藤の実が一斉に弾ける不思議な現象に出会い、植物の種子散布のメカニズムを科学者の目で観察した随筆。
「立春の日には、卵が立つ」── 1947年、新聞や雑誌で大流行した不思議な現象に、物理学者・中谷宇吉郎が冷静な眼で挑んだ名科学随筆。「立つ卵」の正体と、人々が信じやすい「神秘」の心理について。
「海 辺 の 夕 暮 れ、 風 が ぴ た り と 止 む 一 瞬 が あ る」── 物 理 学 者 ・ 寺 田 寅 彦 が、 海 岸 で 体 験 し た 「夕 凪」 と い う 不 思 議 な 現 象 を、 海 風 と 陸 風 の 切 り 替 わ り で 説 明 す る 名 随 筆。
「冬 の 朝、 庭 を 歩 く と、 ザ ク ッ、 ザ ク ッ と 心 地 よ い 音 が す る」── 中 谷 宇 吉 郎 が、 子 ど も の 頃 か ら 親 し ん だ 霜 柱 と い う 不 思 議 な 現 象 を、 物 理 学 者 の 眼 で 観 察 し 解 明 し た 名 随 筆。
「雪 は 天 か ら 送 ら れ た 手 紙 で あ る」── 雪 の 結 晶 を 世 界 で 初 め て 人 工 的 に 作 っ た 中 谷 宇 吉 郎 (1900–1962) の 名 言。 戦 後 の 随 筆 集『雪 と 人 生』 で、 自 然 と 人 間 の 関 係 を 深 く 考 察。 本 サ イ ト chugakurika1 で 既 出 の 中 谷『雪』 と 並 ぶ 中 学 理 科 教 材。
『古事記』(712年) 上巻の中心場面。アマテラスが岩屋に隠れて世界が暗闇になり、八百万の神々が知恵を出し合って太陽を取り戻す。天皇の系譜の正当化という政治的目的を持って編まれた神話だが、その奥には日食の記憶・芸能の起源・共同体回復の儀礼など、いくつもの「裏テーマ」が重層している。
高天原を追放されたスサノオが、出雲の肥の河に降り立ち、八つの頭と八つの尾を持つ八岐大蛇(ヤマタノオロチ)から少女クシナダヒメを救う。蛇の尾から現れた一振りの剣——後の「草薙剣」——は、なぜ「三種の神器」の一つとなったのか。
皮を剝かれて泣いていた白兎を、八十神(やそがみ)の嘘から救ったオオクニヌシ。やさしさを描いた古事記の名場面であり、後の「国造り」へ続く出雲神話の入り口。
高天原のアマテラスが、地上の国「葦原中国」を治めるオオクニヌシに、その国を譲るよう求めた段。三度の使者、タケミナカタの抵抗、出雲大社の起源。出雲神話圏が大和朝廷の神話体系に統合される、政治的にきわめて重要な物語。
国譲りのあと、アマテラスの孫ニニギノミコトが、三種の神器(八咫鏡・草薙剣・八尺瓊勾玉)を授かって、高天原から地上の高千穂へと降る。天皇家の祖先がはじめて地上に立つ場面。古事記神話の頂点であり、また戦前の「皇国史観」の中核ともなった重要段。
天孫降臨から三代後、ニニギノミコトの曾孫イワレヒコ(神武天皇)が、日向(宮崎)から東へ進み、ついに大和(奈良)の橿原で即位する。古事記中巻の冒頭。神話から伝説、伝説から歴史への移行点であり、戦前は「皇紀の起点」として最重要視された段。
万葉集巻二十には、東国の農民が九州北部の防衛にかり出された「防人」とその家族の歌が収められている。律令制下の庶民の声を直接聞ける、世界的にもまれな貴重な史料。神話的英雄譚(古事記)とは対照的な、無名の人々の心の記録。
「春過ぎて夏来たるらし白妙の衣ほすてふ天の香具山」── 飛鳥時代から奈良時代にかけて編まれた、日本最古の歌集『万葉集』から、天皇・貴族・防人 (さきもり) ・農民まで、あらゆる立場の人の歌を選び読む。
八歳の良平は、村はずれの工事現場で土工と一緒にトロッコを押して、夢中で遠くまで行く。日が暮れかかる頃に一人で帰される少年の不安と必死さ、そして大人になっても消えない記憶を描く芥川の名短編。
「こんな夢を見た」で始まる漱石の連作短編から、もっとも有名な第一夜。死を告げる女と、墓の傍で百年待つ自分。最後に開く真白な百合の一輪が忘れ難い余韻を残す。
「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響あり…」— 平家一門の栄華と滅亡を語る軍記物語の、誰もが知る冒頭。七五調のリズムが響く文語のうつくしさと、無常観の世界観に触れる。
「春はあけぼの」— 四季それぞれの「いちばん好きな時間」を清少納言が短く言い切った、随筆文学の傑作。日本語の感性の原点に触れる古典入門の定番。
「蟻が、蝶の羽をひいて行く、ああ、ヨットのやうだ」── たった 4 行の中に、生と死、小ささと大きさ、地と海の壮大な対比を凝縮した三好達治の代表詩。同詩集から「春の岬」も。
「ジョバンニはなぜか胸が一杯になって、なんにも云えずに立ってゐました」── 宮 沢 賢 治 が 何 度 も 書 き 直 し、 未 完 の ま ま 残 し た 「銀 河 鉄 道 の 夜」。 孤 独 な 少 年 ジ ョ バ ン ニ と 親 友 カ ム パ ネ ル ラ の、 銀 河 を 走 る 不 思 議 な 夜 の 旅。
「お 城 の 跡 の 石 垣 の 上 か ら、 一 人 の 少 年 が 飛 び 降 り よ う と し て、 鳥 の よ う に 両 手 を 広 げ た」── 国 木 田 独 歩 が 描 く、 知 的 障 害 を 持 つ 少 年 「六 蔵」 と の 静 か な 物 語。「い つ か 鳥 に な っ て 飛 び た い」 と 願 う 子 の、 痛 切 な 美 し さ。
「ふるさとは遠きにありて思ふもの/そして悲しくうたふもの」— 故郷を離れて、東京の路上に立ち尽くす青年の、痛切なほどに美しい一篇。室生犀星『抒情小曲集』所収の名詩。
「メロスは激怒した」— 王の暴政に怒り、友を人質に立てて妹の結婚式に駆けつけ、約束の刻限までに王城へ走り帰る青年メロス。太宰治が古代ギリシアの伝承を借りて描く、人を信じる勇気の物語。本ページは抜粋。
京都・高瀬川を下る舟に、罪人・喜助 (きすけ) と護送役人・庄兵衛 (しょうべえ) が乗る。弟殺しの罪を負うはずの喜助は、なぜか穏やか ―― この一場面が問いかける「足ること」と「安楽死」の倫理。
「むかしむかし、丹後の国の水の江というところに浦島という男がいた」── 太宰治が戦争の防空壕で書いた、おなじみの「浦島太郎」の語り直し。古典説話に近代人の眼差しを重ねた、ユーモアと哲学のある名作。
「廻れば大門の見返り柳いと長けれど」── 明治28年、樋口一葉が23歳で書いた中編。吉原遊郭の門前を舞台に、少年少女の淡い恋を雅文体で描いた、明治文学の最高傑作の一つ。
「お 釈 迦 様 は 極 楽 の 蓮 池 の ふ ち を、 ひ と り で ぶ ら ぶ ら 御 歩 き に な っ て い ら っ し ゃ い ま し た」── 大盗賊カンダタが地獄から這い上がろうとする物語。「赤い鳥」創刊号を飾った芥川龍之介の名作短編。
「真 夏 の 宿 場 は 空 虚 で あ っ た」── 横 光 利 一 が 25 歳 で 書 い た、 文 学 史 上 革 命 的 な 短 編。 馬 車 に 乗 り 合 わ せ た 七 人 と、 そ れ を 見 守 る 一 匹 の 蠅。 川 端 康 成 と と も に 「新 感 覚 派」 の 出 発 点 と な っ た 名 作。
「そんなにもあなたはレモンを待つてゐた」— 妻智恵子の最期の床に高村光太郎がそっと差し出した一個のレモン。死と生、悲しみと愛惜が、果物の鮮烈な香りに凝縮した名詩。
「ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん」— 中原中也のもっとも有名な詩。サーカスのブランコの揺れと、見上げる観客のため息と、近代日本人の哀しみを、擬音語の反復で凝縮した昭和初期の名詩。
「うすしどに うちにたまよりたまよ うすしどに……」 — 萩原朔太郎『月に吠える』。口語自由詩を確立し、日本近代詩を 一気に 大人にした 1917 年の処女詩集から、二つの短詩を読む。
「ふるさとは遠きにありて思ふもの、そして悲しくうたふもの」── 室生犀星が東京で書いた、故郷・金沢への切ない断章。離れているからこそ、ふるさとは美しい。離れているからこそ、ふるさとは詩になる。
「禅智内供 (ぜんちないぐ) の 鼻 と 言 え ば、 池 の 尾 で 知 ら ない 者 は ない」── 芥川龍之介 が 23 歳 で 書 い た 出世 作。 顎 を 越 す ほ ど の 長 い 鼻 を 持 つ 僧 侶 の 心理 を、 鋭く 描 く。 「人 の 不幸 を 喜 ぶ 心」 を 暴く、 芥川 の 名作 短編。
「夢 は い つ も か へ つ て 行 つ た 山 の 麓 の さ び し い 村 に」── 立 原 道 造 が 24 歳 で 早 世 す る わ ず か 2 年 前 に 書 い た、 ソ ネ ッ ト 形 式 の 名 詩。 透 明 な 抒 情 と 14 行 の 完 璧 な 形 式 が、 短 い 命 の 切 な さ を 包 む。
「か ら ま つ の 林 を 過 ぎ て、 か ら ま つ を し み じ み と 見 き」── 大 正 期、 北 原 白 秋 が 信 州 ・ 軽 井 沢 の 落 葉 松 林 を 詠 ん だ 8 連 の 自 然 詩。 反 復 と 抑 制 さ れ た 文 体 が、 静 か な 林 の 美 し さ を 伝 え る。
「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らずと言えり」— 明治5年に書かれ、日本人の人権思想の出発点となった福沢諭吉の名著。初編の冒頭から、学問と平等についての核心部分を読む。
「広く会議を興し、万機公論に決すべし」— 慶応4年(1868年)3月、明治新政府が天皇の名で宣明した5か条の基本方針。近代日本のスタート地点となった、わずか100字ほどの公文書。
「日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し…」— 1947年に施行された日本国憲法の前文。主権在民・基本的人権・平和主義の三大原則を凝縮した、現代日本のスタート地点となる文書。
「最大遺物とは何であるか — 勇ましい高尚なる生涯であります」— 明治27年、内村鑑三が箱根の夏期学校で青年たちに語った名講演。「人生に何を遺すか」を、お金・事業・思想・教育と検証していき、最後に到達するもの。
「朕惟フニ我カ皇祖皇宗…」— 1890年に発布され、58年間日本の教育の根本指針とされ、1948年に国会で「排除」「失効確認」された315字の文書。なぜ生まれ、なぜ失効したのか。原文に向き合い、批判的に読み解く。
「政 権 運 用 の 究 極 の 目 的 は、 政 治 上 一 般 民 衆 の 利 福 並 び に 意 嚮 を 重 ん ず る に あ る」── 大 正 5 年、 吉 野 作 造 が 雑 誌 『中 央 公 論』 に 発 表 し、 大 正 デ モ ク ラ シ ー の 理 論 的 支 柱 と な っ た 記 念 的 論 文。 「民 本 主 義」 と い う 新 概 念 を 提 唱。
「片 手 に 論 語、 片 手 に 算 盤 (そ ろ ば ん)」── 「日 本 資 本 主 義 の 父」 渋 沢 栄 一 が、 約 500 の 企 業 を 創 設 し た 経 験 か ら 説 く、 道 徳 と 経 済 を 両 立 さ せ る 経 営 哲 学。 2024 年 新 一 万 円 札 の 肖 像。
「むじな」— 江戸の紀伊国坂で、泣いている若い女に声をかけた男の話。日本の怪談を英語で書いた小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)の代表作『Kwaidan』から、最も短く印象深い一編。
「雪女」— 嵐の夜、渡し守の小屋に避難した若い木こり巳之吉は、白い女に出会い、命と引き換えに「決して口外しない」誓いを立てる。十年後、彼の前に現れた美しいお雪は…。怖さと哀しさが入り混じる怪談の名作。
「One dollar and eighty-seven cents. That was all.」── アメリカ短編の名手 O. Henry が、ニューヨークの貧しい夫婦のクリスマスを描いた不朽の名作。互いを思う愛が、皮肉な結末で結ばれる。英語の語感と人情を同時に味わう教材。
「Once upon a midnight dreary, while I pondered, weak and weary…」── 19世紀アメリカが生んだ最高の浪漫派詩人 Edgar Allan Poe の代表詩。失われた愛と、現れる謎の烏 (からす)。英語の韻律の美しさを味わう古典詩教材。
英語のすべての文は、たった「5つの文型」に整理できる。本教材ではそれぞれの文型の代表動詞・典型例・頻出イディオムを文型ごとに整理し、大学受験までに身につけたい必須語彙約 200 語を、文型のなかで自然に提示する。1教材で受験英語の核心を立体的に把握する設計。
「O Captain! my Captain! our fearful trip is done」── 19 世紀 ア メ リ カ 詩 の 最 大 の 詩 人 ウ ォ ル ト・ホ イ ッ ト マ ン が、 リ ン カ ー ン 大 統 領 の 暗 殺 を 悼 ん で 書 い た 名 詩。 船 と 船 長 の 比 喩 で 国 と 指 導 者 を 描 く、 米 国 文 学 史 上 屈 指 の エ レ ジ ー。
「Alice was beginning to get very tired」── 1865 年、 オ ッ ク ス フ ォ ー ド の 数 学 者 ル イ ス・キ ャ ロ ル (1832–1898) が 書 い た『不 思 議 の 国 の ア リ ス』。 ナ ン セ ン ス と 言 葉 遊 び に 満 ち た 児 童 文 学 の 古 典。 高 1 英 語 で 抜 粋 を 原 文 で 味 わ お う。
唐代の故事「人虎伝」を翻案した中島敦の代表作。詩人を志した李徴がなぜ虎になったのか、虎の口で語られる「臆病な自尊心と尊大な羞恥心」の告白は、高校国語の不動の名作。
平安京の朱雀大路、羅生門の下で雨やみを待つ一人の下人。死骸の山の中で老婆と出会い、「饑死か盗人か」の問いに迫られる。高校国語の不朽の定番、芥川23歳のデビュー作。
「つれづれなるままに、日くらし、硯にむかひて…」— 鎌倉末期の隠者・兼好法師による日本三大随筆の一つ。序段と「弓射ることを習ふに」(第九十二段)の二段を読む、古典随筆入門の定番セット。
「むかし、男、初冠して…」— 元服したばかりの男が、狩りに出た先で姉妹の美しさに心乱れ、即興の和歌を詠む。日本最古の歌物語『伊勢物語』の劈頭、「みやび」の精神が凝縮された一段。
「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり…」— 日本古典文学のもっとも有名な冒頭。平家一門の栄華と没落を、琵琶法師の語りに乗せて描いた中世の大叙事詩。仏教的無常観の凝縮が、800年の時を超えて響き続ける。
「あゝをとうとよ、君を泣く、君死にたまふことなかれ」── 日露戦争に弟を送り出した与謝野晶子が、明治37年に発表した反戦詩。「天皇は戦に出てたまふな」とまで言い切った、近代日本文学最大の反戦の絶唱。
「ゆく河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず」— 鴨長明が日野の山中の方丈の庵で書いた、日本最初期の本格的随筆。「無常」を川の流れ・うたかた・露と霜という三つの比喩で凝縮した冒頭は、800年を超えて読み継がれている。
「春はあけぼの。やうやう白くなりゆく山ぎは、すこしあかりて…」— 日本最初の本格的随筆の第一段。四季それぞれの「をかし」と感じる時刻と情景を、清少納言が魂のレンズで切り取った珠玉の短章。
「月日は百代の過客にして、行きかふ年もまた旅人なり」— 元禄2年(1689年)、46歳の松尾芭蕉が江戸を出発し、奥羽・北陸を巡った150日2,400キロの旅の記録。俳諧と紀行が融合した日本文学の最高峰の一つの、もっとも有名な冒頭。
「花の色は移りにけりな」「ちはやぶる神代も聞かず」「世の中よ道こそなけれ」— 百人一首から、平安〜鎌倉の心の風景を凝縮した 5 首。たった 31 音に込められた千年の声。
「富士には、月見草がよく似合ふ」— 太宰治が結婚直前の数ヶ月を山梨県御坂峠の天下茶屋で過ごした体験を綴った随筆風の中編。富士山という「あまりに直截な美」と、人間の生きにくさが共鳴する。抜粋。
「堕ちよ、堕ちきれ」— 終戦半年後、軍国主義と道徳主義の崩れた日本に、坂口安吾は「人間とは堕落する存在だ。堕ちきった果てに、自分自身を見出すしかない」と書いた。戦後思想の出発点となった評論の冒頭部。
「子路は何でもいい、孔子の役に立つことが嬉しかった」── 中島敦が描く孔子の弟子・子路の生涯。荒武者から賢人の弟子へ、そして衛の内乱で壮絶な最期へ。剛直な男の純粋な忠義を、漢文の韻律をもって描く。
「いづれの御時にか、女御、更衣あまた侍ひ給ひける中に…」— 紫式部が書き始めた世界最古の長篇物語の冒頭。桐壺更衣の悲劇から始まり、光源氏の生涯54帖の壮大な物語が、たった数行の中に予告されている。
「美は物体にあるのではなく、物体と物体との作り出す陰翳の綾、明暗にある」── 昭和初期、谷崎潤一郎が西洋の電気照明文化を批判し、日本独特の「陰翳の美学」を擁護した名随筆。日本人の美意識の原点を問い直す。
「朝、 食 堂 で ス ウ プ を 一 さ じ、 す っ と お 母 さ ま が ふ い に、 『あ』 と 幽 (か す) か な 叫 び 声 を お 挙 げ に な っ た」── 太 宰 治 が 戦 後 の 没 落 し ゆ く 華 族 家 庭 を 描 い た 長 編 の 冒 頭。「斜 陽 族」 と い う 言 葉 を 生 ん だ、 戦 後 文 学 の 金 字 塔。
「や は 肌 の あ つ き 血 汐 に ふ れ も 見 で さ び し か ら ず や 道 を 説 く 君」── 明 治 34 年 (1901)、 23 歳 の 与 謝 野 晶 子 (1878–1942) が 第 一 歌 集『み だ れ 髪』 を 出 版 し、 短 歌 界 に 衝 撃 を 与 え た。 女 性 の 情 熱 を 大 胆 に 歌 い 上 げ た 革 命 的 名 作 を、 高 2 古 典 探 究 で 読 む。
「経験するというのは、事実其儘に知るの意である」— 日本哲学の出発点となった『善の研究』。京都学派の祖・西田幾多郎が、東洋と西洋を架橋する独自の哲学を樹立した、1911年の名著。大学入試現代文の常連でもある。
終戦から 9 ヶ月、丸山眞男は『超国家主義の論理と心理』で、日本の天皇制ファシズムを構造分析した。「無責任の体系」「抑圧の移譲」 ―― これら今もよく使われる言葉の起点。
「ある日の午後、比叡山中堂で、私は或ることを考えていた」── 戦時下の昭和17年、小林秀雄が比叡山で『一言芳談抄』に遭遇し、書きとめた一篇。「無常」とは何か。歴史と現在、生と死、思い出すことと生きること。
「議論の本位を定むる事」── 明治初期、福澤諭吉が日本社会の方向を決定づけた巨大な文明論の冒頭。「軽重・長短・善悪・是非」を判断する基準は、立つ位置によって変わる。日本が西洋に学ぶべきかどうか、その「議論の出発点」を問い直す名章。
「自己本位 (じこほんい) と いう 言葉 を 自分 の 手 に 握 っ て か ら、 私 は 非常 に 強 く な っ た」── 夏目漱石 が 47 歳、 死 の 2 年 前 に 学習院 で 行 っ た 名 講演。 「自分 で 考える」 こと の 大切さ を、 自身 の 苦悩 を 通 し て 語 る。
「死 ぬ こ と は 帰 っ て ゆ く こ と で あ る」── 戦 時 下 の 1941 年、 三 木 清 が 書 い た 23 編 の 哲 学 エ ッ セ イ。 死・幸 福・孤 独 ・ 偽 善・嫉 妬 ・ 名 誉 ─ 人 生 の 主 題 に つ い て、 簡 潔 で 深 い 思 索 が 紡 が れ る。
「し た し た し た … 暗 い 闇 を 引 い て 来 る」── 折 口 信 夫 (1887–1953) が、 国 文 学 者・民 俗 学 者 と し て 蓄 え た 知 識 を 文 学 に 結 晶 さ せ た 名 作『死 者 の 書』 (1939)。 大 津 皇 子 の 死 と、 古 代 大 和 の 信 仰・葬 礼 を 描 く 異 色 の 作 品 を、 高 3 国 語 で 探 究 す る。
「生か、死か、それが疑問だ」(To be, or not to be) — シェイクスピア戯曲史上もっとも有名な独白。坪内逍遥が明治末に苦心の上に訳した、日本人にとっての西洋古典の入り口。
「歌へ女神よ、アキレウスの怒りを」 ―― ヨーロッパ文学の出発点とされる、紀元前 8 世紀の口承叙事詩。土井晩翠 (どい ばんすい) の明治末訳で、漢文調の重厚な日本語に。
「人間とは何か。教育とは何か。真理とは何か」── 西洋哲学の最深部に光をあてる、プラトンの不朽の比喩。鎖につながれて影だけを見続けた囚人が、太陽の下に出るまでの旅。
「夜明けに目覚めたなら、こう自分に語りかけよ ── 今日、私は出しゃばりで、忘恩で、傲慢で、嘘つきで、嫉妬深い者たちに会うだろう」── ローマ皇帝マルクス・アウレリウスが、戦場の天幕で自分自身に向けて書いた哲学的覚書。ストア派思想の精髄。
「愛は寛容にして慈悲あり、愛は嫉まず、誇らず、高ぶらず」── 使徒パウロが西暦55年頃にコリントの教会に宛てて書いた書簡の中の「愛の章」。 西洋 文学 と 思想 史 で 最も 引用 さ れ た テクスト の 一つ。 結婚式 で も よく 朗 読 さ れる 不朽 の 名文。
「取 れ、 読 め (Tolle, lege)」── 32 歳 の ア ウ グ ス テ ィ ヌ ス が、 ミ ラ ノ の 庭 園 で 子 ど も の 声 を 聞 き、 聖 書 を 開 い て 回 心 (か い し ん) し た 場 面。 西 洋 自 伝 文 学 の 出 発 点 で あ り、 キ リ ス ト 教 神 学 の 礎 を 据 え た 古 典。
「我 々 の 力 の 内 に あ る も の と、 力 の 外 に あ る も の が あ る」── 元 奴 隷 か ら 自 由 人 と な っ た 古 代 ロ ー マ の 哲 学 者 エ ピ ク テ ト ス (55–135) の『提 要』。 2000 年 間 読 ま れ 続 け る ス ト ア 派 哲 学 の 入 門 書 を、 高 1 西 洋 古 典 和 訳 で 抄 読 し よ う。
「大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス」— 1889年に発布されアジア最初の近代憲法となった大日本帝国憲法の第一章「天皇」を、戦後の日本国憲法と対比しながら読む。明治憲法体制の特質と限界を、原文に向き合って考える。
「広く会議を興し、万機公論に決すべし」— 明治政府が発足直後に天下に誓った 5 か条の根本方針。たった 5 行に「議会・身分制廃止・知識吸収・国際協調」の近代国家への針路が凝縮されている。
「藩 を 廃 し、県 と 為 す」── 1871 年、明治政府が一夜にして全国 261 の藩を消滅させ、3 府 302 県を設置した、世界史上稀有な無血の中央集権革命。3 年 で「廃藩置県」を実現した明治国家の決断と速度。
「王政復古、国威挽回ノ御基立テラセラレ候間」── 慶応3年(1867)末、260年続いた江戸幕府が終わり、天皇親政の新政府が宣言された決定的瞬間。たった一夜のクーデターが、近代日本の出発を告げた。
「臣 等 (し ん ら) 別 に 民撰議院 を 立 つ る の 議 を 建 言 す」── 1874年、板垣退助 ら 8 名 が 政府 に 提出 し た、 議会 開設 を 求 め る 歴史 的 文書。 自由民権運動 の 出発点 と なり、 大日本帝国憲法 (1889) ・ 帝国議会 開設 (1890) へ と つ なが る 道筋 を 切 り 開 い た。
「日 本 国 ハ 清 国 ヨ リ 台 湾 全 島 及 其 ノ 附 属 諸 島 嶼 ノ 主 権 並 該 地 方 ニ 在 ル 城 塁 兵 器 製 造 所 及 官 有 物 ヲ 永 遠 ニ 受 渡 サ ル」── 1895 年 4 月 17 日、 下 関 で 調 印 さ れ た 日 清 講 和 条 約。 日 本 を ア ジ ア の 新 興 帝 国 に 変 え、 そ の 後 50 年 の 東 ア ジ ア 史 を 決 定 し た 条 約。
「学 問 武 芸 を 励 む べ し」「築 城 を 禁 ず」「参 勤 交 代 」── 1615 年 ・ 1635 年 に 制 定 さ れ た 武 家 諸 法 度 が、 約 270 の 大 名 を ど の よ う に 統 制 し、 260 年 続 く 江 戸 幕 府 の 平 和 を 築 い た か を 学 ぶ。 高 校 日 本 史「幕 藩 体 制」 の 基 礎。
「学んで時にこれを習ふ、亦説ばしからずや」— 『論語』の冒頭、孔子が語る「学び・友情・自己実現」の三段の喜び。日本人の精神文化に最も深く根を下ろした漢文の最初の一頁。
「国破れて山河あり、城春にして草木深し」— 安史の乱で陥落した長安の春、戦乱に引き裂かれた家族と、不変の自然との対比。杜甫の代表作にして、漢詩の最高峰の一つ。
「故きを温ねて新しきを知る、以て師為るべし」— たった一行が、日本語の中に「温故知新」として千年以上生き続けている。学びの本質を語った『論語』の名句。
「道の道とすべきは、常の道に非ず」— 道家思想の祖・老子が放つ、知の冒頭宣言。語りえぬものを語る、東洋思想最深部への入り口。
「四面 楚歌、項王 大いに 驚きて 曰 はく」── 中国 最古 の 通史『史記』から、楚漢 戦争 の 最終 場面 「垓下 の 戦い」。 周囲 を 漢軍 に 囲 ま れ、 故郷 楚 の 歌 を 四 方 か ら 聞 き、 名将 項羽 が 涙 を 流 す 名 場面。
「国 破 れ て 山 河 あ り、城 春 に し て 草 木 深 し」── 安 史 の 乱 で 戦 火 に 包 ま れ た 長 安 で、 杜 甫 が 詠 ん だ 五 言 律 詩。 国 が 滅 ん で も 山 河 は 変 わ ら ず 残 る ─ そ の 痛 切 な 対 比 が、 1200 年 を 超 え て 響 く 名 詩。
「牀 前 月 光 を 看 る ─ 疑 う ら く は 是 れ 地 上 の 霜 か と」── 李 白 (701–762) 30 歳 頃 の 五 言 絶 句『静 夜 思』。 二 十 字 で、 旅 先 で 月 を 見 て 故 郷 を 思 う 心 を 完 璧 に 表 現 し た 中 国 詩 の 最 高 傑 作 の 一 つ。 唐 詩 の 鑑 賞 と し て 暗 唱 し よ う。
「我らの政体は他国の制度を模倣するものではなく、むしろ他国の手本となるものである…多数者の手にある故に、われわれの政体はデモクラチアと呼ばれる」— 紀元前431年、ペロポネソス戦争初年の冬、戦没者のため雅典で行われた、民主政の自己定義として歴史上もっとも有名な演説。
「ガリア全土は三つに分かれている…」— ローマ共和政末期、ガリア遠征中(前58–前50)にカエサル自身が書いた戦記。簡潔・明晰なラテン語の名文として、現代の高校・大学のラテン語教科書に必ず掲載される、西洋古典文学の柱。
「いかなる自由人も、同輩の合法な裁判または国の法によらない限り、逮捕・拘禁・財産没収されない」— 1215年、イングランドのジョン王が封建貴族に強いられて封印した文書。法の支配と立憲主義の起源として、800年を経た今も世界の立憲国家の基底に響き続ける。
「Hwæt! 聞け、我らは槍のデンマーク人の、いにしえの王たちの名声を聞き及んだ」── 英文学最古の叙事詩 Beowulf の冒頭。アングロサクソン人が口承で伝えた、英雄と怪物の壮大な物語の始まり。
「人 は 生 ま れ な が ら に し て 自 由 で あ り、 権 利 に お い て 平 等 で あ る」── フランス革命のさなか、1789 年 8 月 26 日 に 国 民 議 会 が 採 択 し た 不 朽 の 宣 言。 ロ ッ ク・ル ソ ー の 思 想 を 結 晶 さ せ、 米 国 独 立 宣 言 と 並 ぶ 近 代 人 権 の 礎。
「われわれは、これらの真理を自明のものと信じる ── すべての人は平等に造られている」── 1776年7月4日、英国植民地アメリカが独立を宣言した歴史的文書。近代民主主義の出発点となった、ジェファーソンによる不朽の名文。
「私 の 真 の 栄 光 は 40 の 勝 ち 戦 で は な く、 民 法 典 が 永 遠 に 残 る こ と だ」── ナ ポ レ オ ン (1769–1821) 自 身 の 言 葉。 1804 年 制 定 の 『ナ ポ レ オ ン 法 典』 は、 フ ラ ン ス 革 命 の 成 果 を 法 と し て 固 定 し、 200 年 経 っ た 現 代 世 界 の 民 法 ・ 日 本 民 法 の モ デ ル と な っ た。 高 校 世 界 史 で 学 ぼ う。