大日本帝国憲法・第一章「天皇」抜粋
高等学校 日本史 第1学年 古典 近代国家の形成明治憲法体制戦前と戦後の連続と断絶 目安 35 分
学習のめあて
- 大日本帝国憲法第一章の原文を、当時の表記のまま読み、その思想構造を理解する
- 「主権者は誰か」という問いに対する、明治憲法(天皇)と日本国憲法(国民)の答えの違いを把握する
- プロイセン憲法をモデルとした明治憲法の歴史的位置づけを学ぶ
- 「立憲君主制」の枠組みのなかで、なぜ後の軍国主義への暴走が起こったかを考察する
本文
原文 — 第一章「天皇」(抜粋)
以下は、大日本帝国憲法 第一章「天皇」のうち、特に重要な第1条〜第7条、および第11条までを掲げます。当時の漢文調表記のままで、読みやすいよう要所に振り仮名を補っています。
第一条 大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス
第二条 皇位ハ皇室典範ノ定ムル所ニ依リ皇男子孫之ヲ継承ス
第三条 天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス
第四条 天皇ハ国ノ元首ニシテ統治権ヲ総攬シ此ノ憲法ノ条規ニ依リ之ヲ行フ
第五条 天皇ハ帝国議会ノ協賛ヲ以テ立法権ヲ行フ
第六条 天皇ハ法律ヲ裁可シ其ノ公布及執行ヲ命ス
第七条 天皇ハ帝国議会ヲ召集シ其ノ開会閉会停会及衆議院ノ解散ヲ命ス
……
第十一条 天皇ハ陸海軍ヲ統帥ス
— 大日本帝国憲法(明治22年=1889年2月11日発布)
第一章のかなめ — 五つの条文を読む
第1条 「大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス」
明治憲法の根本規定。「大日本帝国」という国の名称、「万世一系の天皇」という統治主体、「之を統治す」という統治の事実宣言の三つから成る、わずか一文の中に明治国家の核心が凝縮されています。
「万世一系」とは、神武天皇以来、一つの皇統が連綿と続いてきたとする観念で、古事記・日本書紀の神話を歴史的事実として扱う立場に立っています。本教材「天孫降臨」、「神武東征」と直接つながる思想です。
第3条 「天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス」
戦前を象徴する有名な条文。「神聖(しんせい)にして侵すべからず」——天皇は法的批判の対象から完全に外され、神格化される。これは戦前の「不敬罪」(皇室への批判・無礼を処罰する刑法上の罪、1947年廃止)の憲法上の根拠でした。
「神聖」という言葉自体が、宗教的な響きをもっています。教育勅語の「天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ」と並べて読むと、明治国家がいかに天皇を法的・道徳的・宗教的に至高の存在として位置づけたかが見えてきます。
第4条 「天皇ハ国ノ元首ニシテ統治権ヲ総攬シ此ノ憲法ノ条規ニ依リ之ヲ行フ」
明治憲法の体制的性格を端的に示す条文。「天皇は国の元首」「統治権を総攬(そうらん、すべて掌握する)」と宣言したうえで、「此ノ憲法ノ条規ニ依リ之ヲ行フ(この憲法の規定に従ってこれを行う)」と付け加えます。
この最後の一句が重要です。これがなければ「絶対君主制」になりますが、「憲法の規定に従う」という条件が付くことで、形式的には「立憲君主制」となるのです。ただし、「憲法の規定」自体が天皇の絶大な権限を保証しているため、実質的には「外見的立憲制」と評されることがあります。
第5条 「天皇ハ帝国議会ノ協賛ヲ以テ立法権ヲ行フ」
立法権についての規定。注目すべきは、立法権の主体は議会ではなく天皇であり、議会は「協賛(同意・賛成)」する立場に置かれている点です。日本国憲法第41条「国会は、国の唯一の立法機関である」と比べると、決定的な違いが見えてきます。
| 大日本帝国憲法 第5条 | 日本国憲法 第41条 | |
|---|---|---|
| 立法権の主体 | 天皇 | 国会 |
| 議会の位置 | 天皇の立法権に「協賛」する | 「国の唯一の立法機関」 |
第11条 「天皇ハ陸海軍ヲ統帥ス」
軍隊の指揮権についての規定。「統帥(とうすい)」とは、軍を統率・指揮することです。問題は、これが第55条「国務各大臣ハ天皇ヲ輔弼シ其ノ責ニ任ス」(内閣の輔弼責任)と区別されたために、後に「統帥権の独立」として、軍部が内閣や帝国議会の統制を拒む根拠となったことです。
1930年(昭和5年)のロンドン海軍軍縮条約をめぐる「統帥権干犯問題」は、その典型でした。浜口雄幸内閣が条約に調印したことを、海軍と野党(政友会)が「統帥権の干犯(侵害)だ」と激しく攻撃。浜口首相は同年11月に右翼青年に狙撃され、翌年死去します。この事件以降、軍部の政治介入は加速し、五・一五事件(1932年)、二・二六事件(1936年)、日中戦争(1937年)、太平洋戦争(1941年)へと、日本は急速に軍国主義化していきます。明治憲法体制が、その制度的欠陥のゆえに、自らの崩壊を準備した過程です。
歴史の窓 — 1889年2月11日、憲法発布の日
明治22年(1889年)2月11日、東京宮城(皇居)で大日本帝国憲法の発布式典が挙行されました。明治天皇から内閣総理大臣・黒田清隆に憲法が「下賜」される形での発布でした。「欽定憲法(きんていけんぽう、君主が定める憲法)」として、上から国民に与えられる、という形式です。
この日は、明治政府が1872年に制定した「紀元節」——神武天皇の即位日とされる2月11日——にあえて合わせて選ばれました。「神武天皇以来、万世一系の天皇統治」という第1条の理念を、儀礼の日付からも強調する政治的演出です。なお、紀元節は戦後1948年にいったん廃止されましたが、1966年に「建国記念の日」として復活し、現在も2月11日は国民の祝日です。
歴史の窓 — 起草の経緯と「お雇い外国人」
明治政府は、近代国家としての日本に憲法が必要なことを早くから認識していました。1881年(明治14年)、「明治十四年の政変」を経て、政府は「10年後(1890年)に国会を開く」と詔書(しょうしょ)で公約。これに伴う憲法調査として、伊藤博文を中心とする使節団がヨーロッパへ派遣されました(1882–83年)。
伊藤は、イギリス(議院内閣制)、フランス(共和制)、ドイツ(プロイセン)など、各国の憲法を比較しました。最終的に選ばれたのは、プロイセン憲法(1850年)を主要なモデルとする路線です。これは、君主の権限を強く保ちつつ、議会制も導入する「君主主義的立憲制」で、当時の日本政府が望んだ「強い天皇制と適度な議会制」の組み合わせに合致しました。
帰国後、伊藤は井上毅・伊東巳代治・金子堅太郎らと共に、東京湾の夏島(横須賀)の山荘などで起草作業を進めました。お雇い外国人として、ドイツ人法学者ヘルマン・ロエスレルが助言にあたりました。1888年に枢密院で審議、1889年2月11日に発布されました。
歴史の窓 — アジア最初の近代憲法
1889年当時、近代憲法を持つアジアの国家は、日本だけでした。同時代のアジアを見渡すと:
- 清朝(中国) 憲法はまだなく、1908年に「欽定憲法大綱」、1911年に憲法草案が出されるが、辛亥革命で清朝自体が崩壊。
- 李氏朝鮮 憲法はなく、君主制のもとで近代化が遅れる。1910年に日本に併合される。
- オスマン帝国(トルコ) 1876年憲法(ミドハト憲法)があったが、1878年に停止され、1908年まで議会開催されず。
- タイ(シャム) 絶対王政が続く。憲法の制定は1932年。
- インド イギリス植民地下。独自の憲法を持つのは独立後の1950年。
この国際比較のなかで、明治日本の「アジア最初の近代立憲国家」としての立ち位置が際立ちます。これは近代化の先進性を示す一方で、日本がこの「先進性」を背景に、後に同じアジア諸国を侵略していく根拠ともなりました。明治憲法体制の評価は、こうした多面的な歴史的文脈のなかで行うべきものです。
戦前と戦後をつなぐ — 二つの第1条
大日本帝国憲法 第1条と、日本国憲法 第1条。この二つを並べて読むと、戦前と戦後の断絶と連続が、もっとも凝縮された形で見えてきます。
| 大日本帝国憲法(1889) | 日本国憲法(1946/1947) | |
|---|---|---|
| 第1条の主語 | 大日本帝国 | 天皇 |
| 天皇の地位 | 統治者 | 象徴 |
| 主権の所在 | 天皇 | 国民 |
| 正統化の根拠 | 万世一系(神話) | 主権の存する国民の総意 |
| 神格化規定(第3条) | 「神聖ニシテ侵スヘカラス」 | なし(人間としての天皇) |
1946年元日の昭和天皇「人間宣言」と、同年11月3日の日本国憲法公布、1947年5月3日の施行——わずか58年の歩みのなかで、日本の憲法体制は、神話に支えられた立憲君主制から、国民主権の象徴天皇制へと、根本的な転換を遂げました。これは世界の憲法史のなかでも、きわめて大きな変化です。
関連する教材
- 五箇条の御誓文(1868年)— 明治のスタート
- 教育勅語(1890年)— 明治憲法と同じ世界観の上位文書
- 日本国憲法・前文(1946年公布 / 1947年施行)— 戦後の出発点
- 古事記「天孫降臨」— 「万世一系」の神話的根拠
- 古事記「神武東征」— 2月11日の起源
1868年(御誓文)→ 1889年(明治憲法)→ 1890年(教育勅語)→ 1947年(日本国憲法)と続く約80年の流れのなかに、本教材を置いて読んでください。「明治の出発点で掲げられた『公論』と『世界に学ぶ』が、なぜ国体観念のなかに包摂され、そして戦後どう再出発したのか」——この問いに、原文に向き合いながら答えを探していく作業が、現代の私たちの歴史学習の中心です。
語句の意味
各見出し語をクリックすると、外部辞書で詳しい意味を調べられます。 ※ Wiktionary について
- 大日本帝国憲法(だいにほんていこくけんぽう) K 1889年(明治22年)2月11日に発布、1890年(明治23年)11月29日に施行された、近代日本最初の憲法。「明治憲法」とも呼ばれる。1947年(昭和22年)5月3日、日本国憲法施行とともに失効。全76条、第1条から第76条まで。
- 万世一系(ばんせいいっけい) K 「永遠に途切れない一つの系統」の意。古事記・日本書紀の神話(神武天皇以来連綿)に基づく、戦前の皇統観念。第1条の核心。
- 統治(とうち) K 国を治めること。明治憲法では、この統治権が天皇に属するとされた(第1条)。
- 神聖(しんせい)ニシテ侵スヘカラス K 「神聖であって、けっして侵害することはできない」。第3条の有名な表現。天皇を法的批判の対象外に置く規定で、戦前の「天皇の神格化」「国体護持」の根拠となった。
- 元首(げんしゅ) K 国の最高指導者・代表者。明治憲法では天皇が「元首」であり、統治権を「総攬」(すべて掌握)するとされた(第4条)。
- 総攬(そうらん) K すべてを統括すること、一手に掌握すること。第4条「天皇ハ国ノ元首ニシテ統治権ヲ総攬シ」の中心概念。
- 帝国議会(ていこくぎかい) K 明治憲法下の立法機関。貴族院と衆議院の二院制。1890年(明治23年)に開設。戦後、日本国憲法の「国会」(衆議院・参議院)に改組された。
- 協賛(きょうさん) K 同意・賛成。明治憲法では、立法は天皇の権能であり、議会は「天皇の立法権に協賛する」位置に置かれた(第5条)。完全な議会主権ではないという、明治憲法の重要な特質。
- 統帥権(とうすいけん) K 軍隊を統率・指揮する権力。明治憲法第11条「天皇ハ陸海軍ヲ統帥ス」。後の昭和初期、軍部がこの「天皇の統帥権」を盾に、議会や内閣からの統制を拒んで、軍国主義化を進める根拠となった(統帥権の独立)。
- 統帥権の独立(とうすいけんのどくりつ) K 軍の統帥事項について、内閣や帝国議会が関与できないとした、明治憲法体制の運用慣行。1930年(昭和5年)のロンドン海軍軍縮条約をめぐる「統帥権干犯問題」で、この概念が政治の前面に出た。
- プロイセン憲法(プロシア憲法) K 1850年制定のプロイセン王国憲法。君主大権を強く保ちつつ議会制も導入した、君主主義的立憲制の代表例。伊藤博文ら明治政府の憲法調査団(1882–83年)が学び、大日本帝国憲法の主要なモデルとなった。
- 伊藤博文(いとう ひろぶみ、1841–1909) K 長州藩出身。明治政府の中心人物の一人。1882年に憲法調査のためヨーロッパに渡り、プロイセン憲法を主に学んで帰国。井上毅・伊東巳代治・金子堅太郎らと共に大日本帝国憲法を起草。初代内閣総理大臣。
- 井上毅(いのうえ こわし、1844–1895) K 熊本藩出身。明治政府の官僚。伊藤博文のもとで大日本帝国憲法の実務的起草を担当。同時に「教育勅語」の起草の中心人物でもある(→ <a href="/library/chugakukomin3/kyoiku-chokugo">教育勅語</a>)。
- 立憲君主制(りっけんくんしゅせい) K 憲法によって君主の権力に一定の制約を設けつつ、君主を国家の中心に据える政治体制。明治憲法はこの「立憲君主制」の枠組みを採用したが、君主の権限が大きく、議会の権限が制限された「外見的立憲制」と評されることもある。
考えてみよう
- 第1条「大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス」と、日本国憲法第1条「天皇は、日本国の象徴であり…主権の存する日本国民の総意に基く」を読み比べて、「主権はどこにあるか」という決定的な違いを整理しましょう。
- 第3条「天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス」は、何を意味するでしょうか。これが戦前の天皇制と国家神道のなかで、どんな機能を果たしたかを考察しましょう。
- 第4条「天皇ハ国ノ元首ニシテ統治権ヲ総攬シ此ノ憲法ノ条規ニ依リ之ヲ行フ」の最後の「此ノ憲法ノ条規ニ依リ」は、どんな意味でしょうか。「絶対君主制」と「立憲君主制」の境界としての意義を考えましょう。
- 第5条「天皇ハ帝国議会ノ協賛ヲ以テ立法権ヲ行フ」と、日本国憲法第41条「国会は、国の唯一の立法機関である」を比べて、立法権の所在の違いを考察しましょう。
- 第11条「天皇ハ陸海軍ヲ統帥ス」が、後の「統帥権の独立」「統帥権干犯問題」(1930年)を経て、軍国主義の暴走を許す制度的根拠となった経緯を調べましょう。
- 大日本帝国憲法は、1889年当時の世界でアジア最初の近代憲法でした。同時代の他国(清朝・李氏朝鮮・トルコ・タイ)の状況と比較すると、明治日本の選択にはどんな先進性と限界があったでしょうか。
- 明治憲法は1947年5月2日まで「公式に有効」でした。その日に施行された日本国憲法と、形式的には「同じ国家の連続した憲法体制」とも、「断絶した別の憲法体制」とも見えます。あなたはこの関係をどう整理しますか。
指導要領との対応
このページは、文部科学省「高等学校学習指導要領(平成30年告示)」日本史 第1学年の 以下の指導事項を意識して編集しています。
- 日本史 (4)ア — 近代国家の形成 — 立憲制と内閣制度
- 日本史 (4)イ — 明治憲法体制の特質
- 歴史総合 — 近代化と日本 — アジアにおける最初の近代憲法
※ 文部科学省告示の本文ではなく、編集者による要旨の言い換えです。 正確な指導事項は文部科学省の公式資料を参照してください。
指導案 教員向け・授業展開の例
大日本帝国憲法(1889年)第一章「天皇」は、明治国家の根本構造を示す最重要文書。日本国憲法(1947年)との対比を通じて、戦前と戦後の連続と断絶を立体的に学ぶことができる。本教材は、(1)原文に向き合う読解、(2)プロイセン憲法をモデルとした起草の歴史的経緯、(3)「神聖不可侵」「統治権の総攬」「統帥権」という三つの規定が後の軍国主義へどう接続したかの分析、(4)日本国憲法第1条との対比、を順に扱う。高校日本史・歴史総合の中核となる史料教材。
指導目標
- 大日本帝国憲法第一章の原文を、当時の表記のまま読み、その思想構造を理解する
- プロイセン憲法をモデルとした明治憲法の起草経緯を学ぶ
- 「主権者は誰か」という根本的な問いについて、明治憲法と日本国憲法の答えの違いを把握する
- 「神聖不可侵」「統治権の総攬」「統帥権」という三つの規定の含意を理解する
- 戦前から戦後への連続と断絶を、憲法という観点から立体的に捉える
授業の流れ
- 1時間目(原文読解) 大日本帝国憲法第一章を音読する。第1条「万世一系」、第3条「神聖不可侵」、第4条「統治権の総攬」、第5条「立法権」、第11条「統帥権」を中心に、それぞれの意味を語注を頼りに読み取る。プロイセン憲法をモデルとした起草の経緯(伊藤博文のヨーロッパ視察、井上毅の起草)を歴史的背景として共有。
- 2時間目(日本国憲法との対比・歴史的検証) 日本国憲法第一章と並べて読み、(1)主権の所在、(2)天皇の地位、(3)立法権の所在、(4)軍の統制、それぞれの違いを表で整理。明治憲法体制が「統帥権の独立」を通じて、なぜ昭和初期の軍国主義の暴走を許したか、歴史的経緯(1930年統帥権干犯問題→1932年五・一五事件→1936年二・二六事件→1937年日中戦争)を辿る。1945年敗戦と1947年日本国憲法施行による、憲法体制の根本的転換を確認。
発問例・議論のポイント
- 「大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス」という第1条と、「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴」という日本国憲法第1条。この対比は、戦前と戦後の日本のどんな変化を象徴しているでしょうか。
- 第3条「天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス」は、天皇を法的批判の対象外に置く規定です。これと、戦前の<a href="/library/chugakukomin3/kyoiku-chokugo">教育勅語</a>の「天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ」という規定との関係を考えましょう。憲法と教育勅語が、どのように連動して天皇制を支えたか。
- 明治憲法はプロイセン憲法をモデルとしました。当時の伊藤博文らは、なぜイギリス(議院内閣制が確立)やアメリカ(共和制)ではなく、ドイツ(プロイセン)をモデルに選んだのでしょう。19世紀末の国際情勢から考察しましょう。
- 「統帥権の独立」が制度的に保証されていたために、軍部は内閣や議会の統制を拒むことができました。「シビリアン・コントロール(文民統制)」の確立は、日本国憲法第66条(内閣総理大臣その他の国務大臣は、文民でなければならない)まで待つことになります。憲法のなかの軍隊の位置づけを考察しましょう。
- 1889年憲法(明治)→ 1947年憲法(昭和)の流れを、「同じ国家の連続した憲法体制」と見るか「断絶した別の体制」と見るかは、戦後の歴史学・政治学で大きな論点でした。両方の見方を、自分の言葉で説明してみましょう。
発展課題
- 大日本帝国憲法の全76条を読み、第一章以外(人権・議会・内閣・司法)にも目を通す。
- 伊藤博文『憲法義解』(1889年)を読み、当時の起草者自身の解釈を学ぶ。
- プロイセン憲法(1850年)と大日本帝国憲法の対応関係を、条文レベルで比較する。
- 1930年の統帥権干犯問題(ロンドン海軍軍縮条約)について調べ、明治憲法の運用がどう変質していったかを学ぶ。
- 1945年から1947年の日本国憲法制定過程(GHQ草案、帝国議会での審議など)を学び、憲法体制の根本的転換を体験する。
⇒ 学習パス「近代立憲主義の系譜」 の 3 / 5
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出典・ライセンス
- 原文: 大日本帝国(起草:伊藤博文・井上毅ら)「大日本帝国憲法・第一章「天皇」抜粋」(1889年)
- 入力テキスト: 明治政府公布文書 (底本:「大日本帝国憲法」明治22年(1889年)2月11日発布。本文は官報掲載の正式表記による。国の発布する公文書として著作権法第13条により著作物の対象外(公有)。1947年5月3日、日本国憲法施行によって失効。)
- 原文の権利: パブリックドメイン
- 編集・語注・発問・解説: CC BY 4.0 © project_procopios contributors