万葉集の防人歌 — 古代庶民の声
中学校 歴史 第1学年 古典 歴史的分野 大きな転換の様子古代までの日本律令国家と庶民の生活 目安 30 分
学習のめあて
- 万葉集巻二十に収められた防人歌から、古代律令制下の庶民の生活と心情を読み取る
- 古事記の「神話」と万葉集の「庶民の歌」という、対照的な二つの文学を並べて、奈良時代日本の重層性を理解する
- 「方言」「素朴な感情」「家族・恋人への思い」を、和歌の表現のなかから読み取る
- 防人制度がなぜ「東国農民」を九州に派遣する制度になっていたのかを学ぶ
本文
万葉集の最後の巻、巻第二十には、東国の農民が九州北部の警備にかり出された「防人(さきもり)」とその家族の歌が、まとめて収められています。これは奈良時代の編者・大伴家持が、防人たちの引率に立ち会ったときに集めたものです。古事記の神話的英雄譚(神々の物語)と並べて読むと、同じ8世紀の日本がどれほど重層的な世界だったか、しみじみと伝わってきます。
歌 一 — 妻を思う
韓衣
裾に取りつき
泣く子らを
置きてそ来ぬや
母なしにして
— 万葉集 巻二十 4401 上総国(現在の千葉県中部)の防人、他田舎人大島
【現代語訳】 韓衣の裾にすがりついて泣く子らを、家に置いてきてしまった。母(妻)もいないのに——。
「韓衣(からころも)」とは当時の上等な着物。父が旅立ちの装束を整えるとき、幼い子らがその裾にしがみついて泣いた。それを引きはがして出てきてしまった。家には亡き妻もいない(おそらく妻はすでに病死している)。残されるのは幼い子だけ。父の絶望と、自分にしてやれることがないという無力感が、わずか31文字に凝縮されています。
歌 二 — 父母を思う
父母が
頭かき撫で
幸くあれて
言ひし言葉ぜ
忘れかねつる
— 万葉集 巻二十 4346 駿河国(現在の静岡県中央部)の防人、丈部稲麻呂
【現代語訳】 父も母も、私の頭を撫でて、「無事でいるんだよ」と言ってくれた、あの言葉が、いつまでも忘れられない。
「幸(さき)くあれて」——「幸いであれよ」、つまり「無事でいてくれ」という意味の、ごく素朴な親の言葉です。徒歩で何か月もかかる九州への旅。任期3年。生きて帰れる保証はありません。出発の朝、父母が髪を撫でて「無事でいるんだよ」と言ったあの瞬間の声が、旅の途中でずっと耳に残っている——という歌。具体的なしぐさ(頭を撫でる)が一首の中心にあるのが印象的です。
歌 三 — 妻の歌
我が背なを
筑紫へ遣りて
うつくしみ
帯は解かなな
あやにかも寝も
— 万葉集 巻二十 4422 武蔵国(現在の東京・埼玉あたり)の防人の妻、椋椅部刀自売
【現代語訳】 いとしい夫を筑紫(九州)へ送り出して、(夫を慕う心に)帯も解かないでいよう、なんとも寂しいことに、独り寝することか。
「我が背な(わがせな)」は、女性が夫や恋人を呼ぶときの言葉。「うつくしみ」は「愛おしさのゆえに」。夫の留守に、自分は帯を解かない(=夫以外を寄せ付けない、夫の身に何かあったときに礼を尽くす準備でもある)。これも素朴で、率直な妻の歌です。律令制下の防人制度が、当時の家族をどれほど引き裂いていたかが、これらの歌に滲んでいます。
歌 四 — 母の歌
時々の
花は咲けども
何為そも
母とふ花の
咲き出来ずけむ
— 万葉集 巻二十 4323 遠江国(現在の静岡県西部)の防人、丈部稲麻呂
【現代語訳】 四季のたびに花は咲くけれど、どうして、「母」という花は、もう一度咲き出すことがないのだろうか。
母を失った息子が、旅の途中で四季の花を見ながら詠んだ歌。「母とふ花」——「母という花」。母が亡くなって、もう二度と母に会うことはない。季節の花と、二度と咲かない「母の花」の対比が、この歌の美しさです。古典的にも非常に評価の高い一首で、現代の私たちが読んでも、胸を打ちます。
物語を読み解く ① — 防人制度の地理
なぜ、東国(現在の関東・東海地方)の農民が、九州(大宰府)まで派遣されたのでしょうか。当時の地理的事情を整理すると、その理由が見えてきます。
| 出身国 | 現在の都道府県 | 大宰府までの距離 |
|---|---|---|
| 武蔵国 | 東京・埼玉 | 約1,200 km(徒歩で約2か月) |
| 上総国 | 千葉中部 | 約1,250 km |
| 駿河国 | 静岡中央 | 約1,000 km |
| 遠江国 | 静岡西部 | 約950 km |
東国の農民が派遣された理由は、いくつか考えられます。
- 大和朝廷の支配の確実な地域 東国は、すでに律令制下で戸籍が整備され、徴用しやすかった。
- 九州近郊の住民の負担軽減 大宰府の近郊(豊前・筑前など)の住民は、すでに様々な負担を負っていたため、新たに防人にも徴用すれば過重になる。
- 反乱防止 地元の人々を兵にすると、地元の有力豪族と結びついた反乱のリスクがある。遠隔地の人々ならその心配が少ない。
これは、現代から見ると「過酷な徴用制度」に映りますが、当時の律令国家が、地理的・政治的な合理性のもとに編成した制度でした。
物語を読み解く ② — 古事記と万葉集
古事記(712年成立)と万葉集(759年以降成立)は、同じ8世紀奈良時代に編まれた二つの大書ですが、その性格は対照的です。
| 古事記 | 万葉集 | |
|---|---|---|
| 主人公 | 神々・天皇・英雄 | 天皇から農民まで、あらゆる階層 |
| 目的 | 天皇家の正統化と国家形成史 | あらゆる人々の感情の保存 |
| 視点 | 上から、神話的、構築的 | 下から、率直、収集的 |
| 文体 | 漢字訓読体(中国古典の影響) | 万葉仮名(日本語の音をそのまま表記) |
同じ国家のなかで、なぜこの対照的な二つの大書が生まれたのでしょうか。一つの推測は——大和朝廷は、「天皇支配の正統性」を神話で語る一方で、「あらゆる階層の人々を統合する」ためにこそ、庶民の歌も丁寧に集めて、国家の「文化」のなかに位置づけたかったのではないか、ということです。
これが、後の世まで読み継がれて、国民文学としての万葉集の地位を築いていきます。「奈良時代の日本ほど、庶民の生の声を肉筆に近い形で残した古代社会は、世界的にも珍しい」——これが、現代の文献史学が、万葉集を高く評価する理由です。
歴史の窓 — 大伴家持という編纂者
万葉集の編纂の中心人物は、大伴家持(718–785年頃)とされます。古代の名門軍事氏族「大伴氏」の出身で、自身も歌人としてすぐれ、宮廷の高官として、また防人を引率する兵部少輔(ひょうぶしょうゆう)としても活動しました。
755年(天平勝宝7年)、家持は防人たちの引率に立ち会いました。その際に防人たちから集めた歌が、万葉集巻二十に多数収められたのです。家持自身、率直な感情を歌に詠む歌人だっただけに、防人たちの素朴な歌に深く共鳴したと思われます。
大伴氏は後に、長岡京遷都(784年)に絡んだ政変で失脚し、家持自身も死後に名誉を剥奪されました(後に名誉回復)。その意味で、家持と万葉集には、古代律令貴族の繁栄と没落という、もう一つの物語も重なっています。
関連する古代の物語
- 古事記「神武東征」 — 神話から伝説への移行
- 古事記「天孫降臨」 — 三種の神器の神話
- 古事記「国譲り」 — 出雲統合の神話
- 『日本書紀』(720年)— 古事記と並ぶ国家編纂史書(未収録)
- 『万葉集』天皇・貴族の歌(未収録)— 防人歌との対照
- 『懐風藻』(751年)— 日本最古の漢詩集(未収録)
奈良時代という、日本古代の文化的最盛期。神話・歴史・漢詩・和歌・庶民の声——多様な「ことば」が同時並行的に編まれていきました。本教材は、その多様性のなかの、もっとも「庶民の声」に近い側面を切り取って見せるものです。古事記の神話と並べて読むことで、奈良時代日本の立体的な姿が浮かび上がります。
語句の意味
各見出し語をクリックすると、外部辞書で詳しい意味を調べられます。 ※ Wiktionary について
- 万葉集(まんようしゅう) K 日本最古の和歌集。8世紀末(759年以降)に大伴家持らによって編まれた、全20巻4500首以上の大歌集。天皇・貴族から農民・防人まで、あらゆる階層の人々の歌が収められている。
- 防人(さきもり/さきまもり) K 古代律令制度の下で、九州北部の沿岸警備のために徴用された兵士。多くは東国(現在の関東・東海地方)の農民から選ばれ、家族と引き離されて3年間の任期で大宰府(だざいふ、現在の福岡県太宰府市)に派遣された。
- 大伴家持(おおとものやかもち、718–785年頃) K 奈良時代の歌人・官人。万葉集の編纂の中心人物とされる。755年(天平勝宝7年)に兵部少輔(ひょうぶしょうゆう、軍政を司る官)として、防人たちの引率に立ち会った。その際に防人たちから集めた歌が、万葉集巻二十に多数収められている。
- 巻第二十(かんだいにじゅう) K 万葉集の最後の巻。大伴家持自身が編集に関わった巻で、防人歌が集中して収録されている。
- 大宰府(だざいふ) K 奈良時代に九州を統括した中央政府の出先機関。現在の福岡県太宰府市にあった。防人の派遣先・拠点。
- 万葉仮名(まんようがな) K 平仮名・片仮名が成立する前、漢字の音を借りて日本語を書き表した古代の表記法。万葉集の原文は、この万葉仮名で書かれている。
- 国造(くにのみやつこ) K 古代の地方豪族で、律令制以前から地域を治めていた一族。律令制になっても、地域の有力者として防人の徴用に関わった。
- 七夕(しちせき)の手向(たむ)け K 防人が出発前に故郷で別れを惜しむ習俗。本教材の歌の背景。
- 唐衣(からころも) K 「韓衣(からころも)」とも。当時の上等な衣服。歌の枕詞としても用いられた。
- 防人司(さきもりのつかさ) K 防人の召集・引率・配置を担当した役所。
- 律令制(りつりょうせい) K 7世紀末から8世紀の日本で完成した、中国の唐に倣った中央集権的な法律・統治体制。701年「大宝律令」が完成し、戸籍制度・班田収授・租庸調・防人制度などが整備された。
考えてみよう
- 防人歌に詠まれている感情を、それぞれ整理してみましょう。妻を思う歌、子を思う歌、母を思う歌、故郷を思う歌——どんな種類の歌があるでしょうか。
- 「父母が頭撫づき幸あれてイヒシ言葉ぜ忘れ兼ぬる」のような歌に見られる「素朴さ」「方言」「率直さ」は、貴族や天皇の歌と比べてどう違うでしょうか。
- 防人として徴用された農民が、なぜ東国(現在の関東・東海)から、九州まで派遣されたのでしょうか。律令国家の地理的な事情を考えてみましょう。
- 古事記の神話(神々の物語)と、万葉集の防人歌(無名の庶民の声)。同じ8世紀の日本で編纂されたこの二つの文献は、それぞれ何を後世に伝えようとしたものでしょうか。
- 大伴家持は、宮廷の高官でありながら、なぜ防人たちの素朴な歌を集めて記録に残したのでしょうか。家持自身の人物像から、その動機を推測しましょう。
- 「世界中で、奈良時代の日本ほど、庶民の声を肉筆に近い形で残した古代社会は珍しい」と評価されることがあります。なぜ万葉集の存在が、世界的にも貴重とされるのでしょうか。
- 現代の私たちが、戦争に派遣される人々の手紙や日記を読むとき、どんな感情を抱きますか。1200年前の防人歌と、現代の戦争文学を、感情のレベルで比較してみましょう。
指導要領との対応
このページは、文部科学省「中学校学習指導要領(平成29年告示)」歴史 第1学年の 以下の指導事項を意識して編集しています。
- 歴史 B(1)ア — 古代国家の形成 — 律令体制と庶民
- 歴史 B(1)イ — 古代の人々の生活と信仰
- 歴史 B(2) — 古代の文化(万葉集と国民文学の源流)
※ 文部科学省告示の本文ではなく、編集者による要旨の言い換えです。 正確な指導事項は文部科学省の公式資料を参照してください。
指導案 教員向け・授業展開の例
万葉集巻二十に収められた防人歌は、奈良時代律令制下の庶民の生活と心情を直接伝える、世界的にも貴重な史料。古事記の神話的英雄譚と並べて読むことで、奈良時代の文化の重層性が見える。本教材では4首の代表的な防人歌(妻・子・母・故郷をそれぞれ詠む)を扱い、(1)歌の感情を味わう、(2)律令制度(防人制度)の社会的背景を学ぶ、(3)大伴家持という編纂者の役割を理解する、を順に進める。中学校歴史教育では、「制度史」だけでなく「生活史」「文化史」を立体的に学ぶ教材として位置づけられる。
指導目標
- 万葉集巻二十の代表的な防人歌4首を、原文と現代語訳の両方で読む
- 古事記の神話と万葉集の防人歌という、奈良時代の二つの文学的記録を対比する
- 律令制度(防人制度)の社会的・地理的背景を理解する
- 大伴家持の編纂者としての役割を学ぶ
授業の流れ
- 1時間目(歌の鑑賞) 防人歌4首を音読する。それぞれの歌に詠まれた感情(妻への思い・子への思い・母への思い・故郷への思い)を整理する。「素朴さ」「方言」「具体性」など、貴族の歌との違いを観察する。
- 2時間目(社会的背景) 律令制度(特に防人制度)の概要を確認。なぜ東国の農民が九州に派遣されたのか、地理的・政治的背景を共有。大伴家持という編纂者の人物像と、彼が防人歌を集めた動機を考察。古事記(神話)と万葉集(庶民の歌)を並べて、奈良時代日本の文化の重層性を理解する。
発問例・議論のポイント
- 防人歌のなかには、防人本人の歌だけでなく、防人を送る妻や母の歌も含まれています。「夫が遠くに行く悲しみ」と「夫が無事に帰ってくるよう祈る思い」は、現代の私たちにも普遍的に共有できる感情です。1200年の時を超えて、何が同じで何が違うか、考えてみましょう。
- 東国から九州まで、当時の徒歩で数か月の長旅でした。任期3年。多くの防人は、故郷への帰路の途中で病死しました。律令制下の「庶民の負担」が、どれほど重いものだったかを実感してみましょう。
- 大伴家持は、万葉集編纂者として有名な貴族・官人ですが、彼が防人たちの素朴な歌をわざわざ集めて記録に残したのは、なぜでしょう。彼自身の歌人としての感性、または政治家としての配慮、どちらが大きかったでしょうか。
- 古事記が「天皇家の支配の正統化」の物語であるのに対し、万葉集は「あらゆる階層の人々の声」を集めた歌集です。同じ8世紀の日本で、なぜこの二つの異なる性格の書物が生み出されたのか、考えてみましょう。
- 防人歌に詠まれているのは、英雄でも武将でもなく、無名の農民とその家族です。「歴史」のなかで無名の人々の声を残すことの意義について、討論しましょう。
発展課題
- 万葉集の他の階層の歌(天皇・貴族・農民・遊行女婦など)と防人歌を比較する。
- 大宰府跡(福岡県)と関連の歴史的遺跡を地図で確認する。
- 律令制(大宝律令701年・養老律令757年)の概要を学ぶ。
- 大伴家持の他の歌(私的な恋の歌・四季の歌など)を読む。
- 万葉集と『古今和歌集』(905年)以降の貴族中心の歌集を比較し、文学史の変化を見る。
関連する教材
古事記「因幡の白兎」— オオクニヌシのやさしさ
皮を剝かれて泣いていた白兎を、八十神(やそがみ)の嘘から救ったオオクニヌシ。やさしさを描いた古事記の名場面であり、後の「国造り」へ続く出雲神話の入り口。
古事記「神武東征」— 日向から大和へ
天孫降臨から三代後、ニニギノミコトの曾孫イワレヒコ(神武天皇)が、日向(宮崎)から東へ進み、ついに大和(奈良)の橿原で即位する。古事記中巻の冒頭。神話から伝説、伝説から歴史への移行点であり、戦前は「皇紀の起点」として最重要視された段。
古事記「国譲り」— 出雲から大和へ
高天原のアマテラスが、地上の国「葦原中国」を治めるオオクニヌシに、その国を譲るよう求めた段。三度の使者、タケミナカタの抵抗、出雲大社の起源。出雲神話圏が大和朝廷の神話体系に統合される、政治的にきわめて重要な物語。
古事記「天孫降臨」— 三種の神器と高千穂
国譲りのあと、アマテラスの孫ニニギノミコトが、三種の神器(八咫鏡・草薙剣・八尺瓊勾玉)を授かって、高天原から地上の高千穂へと降る。天皇家の祖先がはじめて地上に立つ場面。古事記神話の頂点であり、また戦前の「皇国史観」の中核ともなった重要段。
学習メモ
ログイン中のユーザーのみ利用できます。記入は自動でクラウドに保存され、別端末からも参照できます。
AI 先生に聞く
教材の内容について、AI に質問できます。実験的な機能です。 AI は時に誤った内容を答えることがあります。最終的には自分で考え、 本文を確認してください。
この教材を改善する
誤字・誤訳・事実誤認の報告、語注や発問への提案など、現場での気づきを直接 GitHub Issue に投稿できます。GitHub アカウントがあれば誰でも参加できます。
出典・ライセンス
- 原文: 万葉集(撰者:大伴家持ら)「万葉集の防人歌 — 古代庶民の声」(759年)
- 入力テキスト: 万葉集 巻第二十「防人歌」 (底本:『万葉集』(759年以降成立)。本教材は岩波書店『日本古典文学大系 万葉集』(1962年)および岩波文庫『万葉集』(佐佐木信綱校訂、1927年)の標準的訓読をもとに、中学生向けに語注と現代語訳を補った。万葉集原典は著作権の保護対象外(公有)。)
- 原文の権利: パブリックドメイン
- 編集・語注・発問・解説: CC BY 4.0 © project_procopios contributors