春六題 — 抜粋 の表紙イラスト

春六題 — 抜粋

中学校 理科 第2学年 科学随筆観察B 読むこと 目安 18 分 JLPT N2 漢字 第8学年 語彙 中級 難易度 ★★★☆☆

作者
寺田寅彦 (てらだ とらひこ)(1878–1935)
原作発表
1921 年(大正10年 (1921))
出典
青空文庫
底本:寺田寅彦『藪柑子集』(1923) 所収。1921 年に書かれた春の科学随筆 6 篇のうち、冒頭の一篇を抜粋。

学習のめあて

  • 与謝蕪村の俳句「春の海ひねもすのたりのたりかな」を物理学的に分析する
  • 文学的観察と科学的観察が結びつくことを体感する
  • 寺田寅彦の「日常を科学する」眼差しを学ぶ

本文

原文 (抜粋)

はるうみ終日ひねもすのたりのたりかな ―― 与謝蕪村よさ ぶそんらないひとすくない。

はるうみは、ふゆうみのようにあらくはたない。なつうみのようにとおってつよ陽射ひざしをけるわけでもない。はるうみはただ、おおきく、ゆるやかに、やすみなく うえしたへと なみうつ。

「のたりのたり」 ―― 蕪村ぶそんこのこの言葉ことばは、うまでもなく擬音語ぎおんごではなく擬態語ぎたいごであるが、しかし物理学的ぶつりがくてきには非常ひじょう的確てきかく観察かんさつあらわしている。なみ周期しゅうきながく、なみたかさはひくく、水面すいめんはゆったりとがって、またゆるやかにしずむ。これが 「のたり」 といううごきである。

こうした状態じょうたいまれるのは、はるになって気温きおんがり、大気たいき海水かいすい温度差おんどさちいさくなり、つよかぜかなくなるからである。なみてる原動力げんどうりょく ―― かぜ ―― がよわいから、なみきゅうにはたない。けれどもとおくのうみっていたなみが、なが距離きょりつたわってとうたつするため、周期しゅうきながい「うねり」だけがのこる。

蕪村ぶそんは、これらこれら物理ぶつり勿論もちろんっていたわけではない。けれども、はるうみしずかにつめて、「のたりのたり」というひとつの言葉ことばえらんだ。それは百年ひゃくねん以上いじょうったいまでも、はるうみてている。

科学かがくとは、おな自然しぜんちが言葉ことば記述きじゅつするものだが、本質ほんしつ見抜みぬ眼差まなざしは、しばしば一致いっちするのである。

※ 本教材は寺田寅彦『春六題』の冒頭部分を編集者が抜粋・短縮しています。全文は 青空文庫 でご覧ください。

解説:詩人の観察と科学者の観察

寺田寅彦が見せてくれるのは、詩人の「のたりのたり」という言葉が、流体力学的に正確である という事実です。

波の 周期 (= 一つの波が来てから次の波が来るまでの時間) が長い。
波の 高さ (= 波の山と谷の差) が低い。
水面が 緩やかに 上下する。

これら 3 つの性質が同時に成立しているとき、波は「のたり」と動きます。これは 春の気象条件 ―― 弱い風・小さい温度差・遠くからのうねりだけが届く ―― からくる、物理的な現象です。

与謝蕪村は、もちろん流体力学を知りません。彼は、ただ春の海を、何時間も眺めた だけです。けれども、その観察は科学者の式と同じくらい正確だった。

「観察対象」になる日常

寺田寅彦は、晩年「科学者でも何でもない人々が、自分の身の回りの自然を観察する」ことの大切さを繰り返し説きました。 彼の科学随筆 ―― 茶碗の湯、線香花火、金平糖、電車の混雑、そして春の海 ―― はすべて、その実演です。

あなたが、明日の朝、傘の中の雨水の流れを、お風呂の湯気を、教室のホコリの動きを、3 分間だけじっと見つめる ―― それで、あなたも寺田寅彦の弟子になります。

語句の意味

各見出し語をクリックすると、外部辞書で詳しい意味を調べられます。 ※ Wiktionary について

  • 寺田寅彦 (てらだ とらひこ) K 1878–1935。地球物理学者・科学随筆家。本サイト中1理科「茶碗の湯」「線香花火」「金平糖」、中2理科「電車の混雑」の著者。
  • 与謝蕪村 (よさ ぶそん) K 1716–1784。江戸時代中期の俳人・画家。松尾芭蕉と並ぶ俳諧の大家。
  • 春の海ひねもすのたりのたりかな K 与謝蕪村の代表的な俳句。「春の海は 一日中 (ひねもす) のんびり のたりのたり と している」の意。
  • 流体 (りゅうたい) K 流れる物質。気体と液体の総称。水・空気など。物理学の「流体力学」で扱う。
  • のたり K 「のたり」「うねり」のように、ゆったりと大きな波が立ち上がるさま。
  • 春のうらら K 春のおだやかで穏 (ゆる) やかな、よく晴れた一日。

考えてみよう

  1. 「春の海ひねもすのたりのたりかな」 — この俳句が表す「のたり」のうごきを、できるだけ詳しく言葉で説明してみましょう。
  2. 寺田寅彦は、与謝蕪村の感覚を「流体力学的に正しい観察」だと書いています。詩人と科学者では、同じ波を見ても何が違うのでしょうか。
  3. 「春の海」と「冬の海」「夏の海」では、海の動き方がどう違うか、自分の体験から考えてみましょう。
  4. あなたの身の回りで、「ふだんは気にしない動き」を観察してみましょう。例:傘の中の雨水の流れ、お風呂の湯気、教室のホコリの動き。
指導案 教員向け・授業展開の例

中2 理科の科学随筆。文学 (俳句) と科学 (流体力学) の二つの視線が出会う場面を体感する。 「観察すること」そのものの面白さを学ぶ。

授業時数
1時限 (50分)
準備
本文、与謝蕪村の他の俳句、海の動画 (春の凪と冬の荒れ波の比較)

指導目標

  • 与謝蕪村の俳句を物理学的視点で読み直す
  • 寺田寅彦の科学随筆の手法を理解する
  • 「観察対象」を自分でも見つけられるようになる

授業の流れ

  1. 5分 与謝蕪村の句を全員で音読、何を表す句か想像する
  2. 10分 本文を音読
  3. 15分 「のたり」の動きを物理用語で説明し直す
  4. 15分 「自分も春・夏の自然を観察する一文を書く」エクササイズ
  5. 5分 振り返り

発問例・議論のポイント

  • 詩人と科学者は、自然をどう違う風に見るか
  • 「観察対象」を見つけるとは、どういう体験か

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寺田寅彦 (てらだ とらひこ) (昭和初期 (1933))

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出典・ライセンス

  • 原文: 寺田寅彦 (てらだ とらひこ)「春六題 — 抜粋」(1921年)
  • 入力テキスト: 青空文庫 (底本:寺田寅彦『藪柑子集』(1923) 所収。1921 年に書かれた春の科学随筆 6 篇のうち、冒頭の一篇を抜粋。)
  • 原文の権利: パブリックドメイン
  • 編集・語注・発問・解説: CC BY 4.0 © project_procopios contributors