杜甫「春望」
高等学校 漢文 第1学年 古典 漢文漢詩中国古典 目安 20 分 JLPT N1 漢字 第9学年 語彙 上級 難易度 ★★★★☆
学習のめあて
- 五言律詩の構造(起承転結・押韻・対句)を体得する
- 「国破れて山河あり」に込められた戦乱と無常の対比を味わう
- 杜甫の生涯と安史の乱の歴史的背景を理解する
本文
原文(漢文)
國破山河在 深
城春草木深 深
感時花濺涙
恨別鳥驚心 心
烽火連三月
家書抵萬金 金
白頭掻更短
渾欲不勝簪 簪
書き下し文
国破れて山河在り、
城春にして草木深し。
時に感じては花にも涙を濺ぎ、
別れを恨んでは鳥にも心を驚かす。
烽火三月に連なり、
家書万金に抵る。
白頭掻けば更に短く、
渾て簪に勝へざらんと欲す。
現代語訳
国家は破れたが、山と河は変わらずそこにある。
都の城内は春になり、草木が(人気なく)深く生い茂っている。
時節に心を動かされ、花を見ても涙がこぼれ、
別れを嘆いては、鳥の声にも心が驚かされる。
戦乱ののろし火は三ヶ月も連なって続き、
家族からの一通の手紙は万金にも値する。
白くなった頭をかけば、髪はますます少なくなり、
ほとんど簪(かんざし)も挿せないほどになってしまった。
歴史的背景:安史の乱と杜甫
755 年、唐の節度使・安禄山と史思明が反乱を起こした(安史の乱)。756 年に都・長安が陥落、玄宗皇帝は四川へ逃れた。
杜甫は新帝粛宗の元へ駆けつけようとして、反乱軍に捕らえられ、長安に幽閉される。757 年春、その幽閉中に詠まれたのが「春望」である。45 歳。家族とは離れ離れ、戦乱の終わりも見えない。
五言律詩の構造
「春望」は五言律詩の典型。8 行、各行 5 字。構造は:
| 句 | 内容 | 役割 |
|---|---|---|
| 1-2 | 国破山河在 / 城春草木深 | 首聯(しゅれん) — 場面提示 |
| 3-4 | 感時花濺涙 / 恨別鳥驚心 | 頷聯(がんれん) — 対句、感情 |
| 5-6 | 烽火連三月 / 家書抵萬金 | 頸聯(けいれん) — 対句、状況 |
| 7-8 | 白頭掻更短 / 渾欲不勝簪 | 尾聯(びれん) — まとめ・自身 |
押韻:「深・心・金・簪」(いずれも -im の音、現代中国語では shēn・xīn・jīn・zān と読まれるが、唐代音では押韻していた)。
「国破れて山河あり」の射程
この対句は、東アジア漢字文化圏で最も知られた漢詩の句のひとつ。人為の脆さと自然の不変を対比する詩想は、後世の日本にも深く根を下ろした。
松尾芭蕉は『奥の細道』平泉の段で、藤原氏三代の栄華の跡を訪れ、「夏草や兵どもが夢の跡」と詠んだ。この発句は、明らかに杜甫「国破れて山河あり」を踏まえている。
時代も国も違えど、戦乱と栄枯盛衰の中で「変わらぬ自然」を見つめる眼差しは、漢字文化圏を貫く一本の系譜である。
語句の意味
各見出し語をクリックすると、外部辞書で詳しい意味を調べられます。 ※ Wiktionary について
- 杜甫(と ほ) K 712–770。唐代を代表する詩人。李白と並ぶ「詩聖」と称される。安史の乱前後の社会的混乱を描いた詩で知られる。日本の和歌・俳諧にも深い影響を与えた。
- 春望(しゅんぼう) K 「春の眺め」。757年春、安史の乱で陥落した長安に幽閉された杜甫が、戦乱と家族との離別を背景に詠んだ五言律詩。
- 五言律詩(ごごん りっし) K 唐代の代表的漢詩形式。1句 5 字、全 8 句。3-4 句と 5-6 句は対句となる。押韻は偶数句末。
- 国破れて山河あり(くに やぶれて さんが あり) K 国家(都・社会秩序)は破壊されたが、山と河は変わらずそこにある。人為的な破壊と自然の不変との対比。
- 城春にして草木深し(しろ はるにして そうもく ふかし) K 都の城内は春になり、(人がいないので)草木が深く生い茂っている。荒廃した都の春景色。
- 烽火(ほうか) K のろし火。戦乱の合図として上げる烽(とぶひ)。「烽火三月に連なる」= 戦が三ヶ月も続いている。
- 家書(かしょ) K 家族からの手紙。戦乱中で郵便も途絶え、わずかな便りが万金に値するほど貴重だった。
- 白頭(はくとう) K 白くなった髪。心労と老いで杜甫の髪が白くなったことを示す。
- 渾欲不勝簪(すべて かんざしに たえざらん と ほっす) K 「ほとんど(少なすぎて)かんざしも挿せそうにない」。当時、男性も髪を結ってかんざしを挿していた。
考えてみよう
- 原文「国破山河在、城春草木深」を声に出して 3 回読み、書き下し文「国破れて山河あり、城春にして草木深し」と比べてみましょう。漢文と和文の響きの違いはどこにありますか。
- 「国破れて山河あり」— 杜甫はなぜ「人為(国家)」と「自然(山河)」を対比したのでしょうか。この対比は、戦乱の時代を生きる人にとって何を意味したでしょうか。
- 「家書 万金に抵る」— 戦乱で郵便が途絶えた時代、家族からの一通の手紙はどれほどの価値があったか想像してみましょう。現代の SNS や LINE で家族と即時連絡できる私たちと、何が違うでしょうか。
- 杜甫はこの詩を 45 歳で書きました。「白頭掻けば更に短く」— 戦乱の中で老いていく自分への悲しみを、なぜ「白髪が短くなってかんざしが挿せない」という具体的な身体描写で語ったのでしょうか。
- 「春望」の「望」は単なる「眺め」ではなく、「望み・希望」の意も含むと解釈する説があります。陥落した都の春景色を見ながら、杜甫は何を「望んで」いたのでしょうか。
- この詩は日本にも古くから伝わり、松尾芭蕉も『奥の細道』の中で「夏草や兵どもが夢の跡」(平泉) を詠む際に「国破れて山河あり」を意識していたとされます。芭蕉と杜甫の眼差しの共通点・相違点を考えてみましょう。
指導要領との対応
このページは、文部科学省「高等学校学習指導要領(平成30年告示)」漢文 第1学年の 以下の指導事項を意識して編集しています。
- 古典探究 — 漢詩の文章を読み、その内容や表現の特色を捉える
- 言語文化 — 我が国の言語文化の基底にある漢詩の伝統を理解する
※ 文部科学省告示の本文ではなく、編集者による要旨の言い換えです。 正確な指導事項は文部科学省の公式資料を参照してください。
指導案 教員向け・授業展開の例
杜甫「春望」を通じて、漢詩の構造(五言律詩・対句・押韻)と、戦乱と無常の主題を学ぶ。 『奥の細道』など日本古典への影響も併せて考える。
指導目標
- 漢詩の構造(五言律詩・押韻・対句)を理解する
- 「国破れて山河あり」のメタファーを味わう
- 杜甫の生涯と安史の乱の背景を把握する
- 日本文学(特に芭蕉)への影響を確認する
授業の流れ
- 5分 杜甫の生涯と安史の乱を簡単に説明
- 10分 原文(漢字のみ)の素読でリズムと押韻を体感
- 10分 書き下し文の音読、返り点・送り仮名の確認
- 10分 現代語訳と対句構造の分析(3-4句、5-6句)
- 10分 「国破れて山河あり」の対比について話し合い
- 5分 芭蕉「夏草や」との比較、まとめ
発問例・議論のポイント
- 国家(人為)と自然の対比は、現代の私たちにどう響くか
- 戦乱時代の「手紙」と現代の「SNS」 — 距離と時間の意味
- 杜甫はなぜ「白髪」「かんざし」という具体的身体で老いを語ったか
発展課題
- 杜甫の他の詩「登高」「望岳」も読む
- 同時代の李白「静夜思」と詩風を比較
- 芭蕉が杜甫から受けた影響を、他作品でも辿る
- 中国史の安史の乱と、その後の唐の衰退について歴史と連動
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出典・ライセンス
- 原文: 杜甫(と ほ)「杜甫「春望」」(757年)
- 入力テキスト: 国民文庫 / 唐詩三百首 (底本:杜甫『春望』。757年(至徳2年)春、安史の乱で長安が陥落した後、杜甫が幽閉中に詠んだ五言律詩。)
- 原文の権利: パブリックドメイン
- 編集・語注・発問・解説: CC BY 4.0 © project_procopios contributors