鼻 (はな) — 芥川龍之介
中学校 国語 第3学年 近代小説B 読むこと古典翻案 目安 30 分
学習のめあて
- 芥 川 龍 之 介 の 出 世 作 を 読 む
- 古 典 翻 案 文 学 の 方 法 を 理 解 す る
- 「人 の 不 幸 を 喜 ぶ 心」 と い う 普 遍 的 心 理 を 考 察 す る
本文
あらすじ
京 都 の 山 科 (や ま し な) の 池 の 尾 (い け の お) と い う 寺 に、 禅 智 内 供 (ぜ ん ち な い ぐ) と い う 高 僧 が い た。
彼 に は 一 つ、 大 き な 悩 み が あ っ た。 そ れ は、 顎 (あ ご) の 下 ま で 垂 れ 下 が る、 五 ・ 六 寸 (約 15–18 cm) も あ る 異 様 に 長 い 鼻 で あ っ た。
こ の 鼻 の せ い で、 内 供 は 食 事 を す る の に も 不 自 由 し て い た (鼻 を 弟 子 に 持 ち 上 げ て も ら う 必 要 が あ っ た)。
だ が 何 よ り も 辛 い の は、 鼻 を 他 人 に 笑 わ れ る こ と だ っ た。 表 向 き は 「私 は こ の 鼻 を 気 に し て い な い」 と 装 い な が ら、 内 心 は ず っ と 苦 し み 続 け て き た。
あ る 日、 弟 子 が 「鼻 を 短 く す る 方 法」 を 中 国 か ら 持 ち 帰 っ た。
熱 い 湯 で 茹 で、 踏 ま せ て 油 を 絞 り 出 す、 と い う 荒 治 療 で あ る。
内 供 は そ の 方 法 を 試 し、 見 事 に 鼻 を 普 通 の 大 き さ に 縮 め る こ と に 成 功 し た。
こ れ で 笑 わ れ な く な る、 と 内 供 は 喜 ん だ。
だ が ─ 鼻 が 短 く な っ た 後、 周 り の 人 々 は 以 前 よ り も っ と 露 骨 に 笑 う よ う に な っ た の だ。
内 供 は ま っ た く 理 解 で き な か っ た。 な ぜ 普 通 の 鼻 に な っ た の に、 か え っ て 笑 わ れ る の か?
芥 川 は こ こ で、 鋭 く 人 間 の 心 を 暴 く。
「人 間 の 心 に は、 互 い に 矛 盾 す る 二 つ の 感 情 が あ る。 も と よ り 他 人 の 不 幸 に 同 情 し な い 者 は な い。 し か し、 そ の 人 が、 ど う に か し て そ の 不 幸 を 切 り 抜 け る こ と が で き る と、 こ ち ら は な ん と な く 物 足 り な い 気 持 ち が す る」
内 供 は、 そ の 「物 足 り な い 気 持 ち」 を、 自 分 が 周 り か ら 向 け ら れ て い る こ と に 気 づ い た。
そ し て、 い つ し か 内 供 は ─ 元 の 長 い 鼻 に 戻 り た い と 思 う よ う に な っ た。
あ る 朝、 目 を 覚 ま す と、 不 思 議 な こ と に、 内 供 の 鼻 は 元 の 五 ・ 六 寸 の 長 い 鼻 に 戻 っ て い た。
内 供 は こ う 呟 い た:「こ う な れ ば、 も う 誰 も 笑 う ま い」 と。
解 説 ─ 出 世 作 と し て の 「鼻」
芥 川 龍 之 介 (あ く た が わ り ゅ う の す け) は、 大 正 5 年 (1916) 2 月、 東 京 帝 国 大 学 英 文 科 4 年 生 (23 歳) の と き、 雑 誌 『新 思 潮』 に こ の 「鼻」 を 発 表 し た。
こ れ を 読 ん だ 夏 目 漱 石 は、 芥 川 に 直 接 手 紙 を 書 き、 こ う 絶 賛 し た:
「あ な た の も の は 大 変 面 白 い と 思 い ま す ─ 落 ち 着 い て 真 面 目 に 不 真 面 目 を や っ て ゐ る 所 が 大 変 上 等 で す ─ 鼻 一 本 で あ ん な も の を こ し ら え る の は 中 々 普 通 の 人 に 出 来 る 事 で は あ り ま せ ん」
─ 夏 目 漱 石 か ら 芥 川 龍 之 介 へ の 手 紙 (1916 年 2 月 19 日)
日 本 文 壇 の 最 高 権 威 だ っ た 漱 石 か ら の こ の 絶 賛 は、 芥 川 の 文 壇 デ ビ ュ ー を 一 気 に 決 定 づ け た。
そ し て こ の 年 の 暮 れ、 漱 石 は 49 歳 で 病 没 す る。
芥 川 は、 漱 石 か ら 「次 の 時 代 の 文 学」 を 託 さ れ た 一 人 と し て、 そ の 後 11 年 間、 数 多 く の 名 作 を 残 す こ と と な る。
原 典 ─ 『今 昔 物 語 集』 の 一 話
「鼻」 の 原 典 は、 平 安 時 代 末 期 の 説 話 集 『今 昔 物 語 集』 巻 28 第 20 話 「池 尾 禅 珍 内 供 鼻 語」 で あ る。
原 典 の あ ら す じ は、 ほ ぼ 芥 川 版 と 同 じ。 だ が、 大 き な 違 い が 一 つ あ る。
原 典 は、 単 に 「鼻 が 大 き か っ た 僧 が、 こ う や っ て 鼻 を 短 く し た」 と い う、 面 白 お か し い 笑 い 話 と し て 書 か れ て い る。
原 典 に は、 「人 の 不 幸 を 喜 ぶ 心 理」 と い う 主 題 は、 ほ と ん ど な い。
芥 川 は、 こ の 古 い 笑 い 話 に、 近 代 的 な 心 理 分 析 を 加 え た。
そ し て 平 安 時 代 の 物 語 を、 大 正 時 代 の 心 理 小 説 と し て 蘇 ら せ た。
「人 の 不 幸 を 喜 ぶ 心」 ─ 普 遍 的 な テ ー マ
芥 川 が 暴 い た 「人 間 の 暗 い 心」 ─ 人 の 不 幸 か ら の 立 ち 直 り を、 か え っ て 不 快 に 思 う 心 理 ─ は、 残 念 な が ら、 100 年 経 っ た 今 も 私 た ち の 周 り に あ る。
- SNS で 誰 か が 成 功 す る と、 揚 げ 足 を 取 る コ メ ン ト が 増 え る
- 同 級 生 が 急 に 成 績 を 上 げ る と、 嫉 妬 す る
- テ レ ビ で 「成 功 者」 を 見 る と、 ど こ か 「気 に 食 わ な い」 と 感 じ る
芥 川 は、 こ う し た 心 理 が 「人 間 の 本 質」 の 一 部 だ と 看 破 し た。
そ し て、 そ の こ と を、 「鼻」 と い う 笑 い 話 を 通 し て、 美 し く、 そ し て 残 酷 に 描 い た の で あ る。
芥 川 賞 と 現 代
芥 川 は そ の 後、 「羅 生 門」 「藪 の 中」 「地 獄 変」 「ト ロ ッ コ」 「杜 子 春」 「蜘 蛛 の 糸」 な ど、 数 多 く の 名 作 を 残 し た。
だ が 1927 年 7 月、 35 歳 で 服 毒 自 殺。「ぼ ん や り し た 不 安」 と 書 き 残 し て の 自 死 だ っ た。
友 人 の 菊 池 寛 (き く ち か ん) は、 芥 川 の 業 績 を 永 遠 に 記 念 す る た め に、 1935 年 「芥 川 賞」 を 創 設 し た。
以 来 90 年、 日 本 文 学 界 で 最 も 名 誉 あ る 文 学 賞 と し て、 多 く の 新 進 作 家 を 世 に 送 り 出 し て き た。
芥 川 が 23 歳 で 書 い た 「鼻」 ─ そ の 短 い 物 語 の 中 に、 100 年 を 超 え て 響 き 続 け る 「人 間 と は 何 か」 へ の 問 い が あ る。
ぜ ひ、 青 空 文 庫 で 全 文 を 読 み、 そ の 問 い を 自 分 の 心 で 受 け 止 め て み て ほ し い。
語句の意味
各見出し語をクリックすると、外部辞書で詳しい意味を調べられます。 ※ Wiktionary について
- 芥川龍之介 (あくたがわ りゅうのすけ) K 1892–1927。 東 京 生 ま れ。 東 京 帝 国 大 学 英 文 科 卒。 夏 目 漱 石 門 下。 「羅 生 門」 「鼻」 「藪 の 中」 「地 獄 変」 「ト ロ ッ コ」 な ど、 数 多 く の 短 編 の 名 作 を 残 し た。 35 歳 で 服 毒 自 殺。 没 後、 友 人 の 菊 池 寛 が 「芥 川 賞」 を 創 設 (1935 年)、 今 も 日 本 文 学 界 最 高 峰 の 文 学 賞 と し て 続 く。
- 禅智内供 (ぜんちないぐ) K 物 語 の 主 人 公。 池 の 尾 (い け の お) の 寺 の 僧 侶。 「内 供 (な い ぐ)」 は 朝 廷 の 内 道 場 に 奉 仕 す る 高 僧 の 称 号。 五 ・ 六 寸 (約 15–18 cm) も あ る 異 様 に 長 い 鼻 を 持 つ。
- 池の尾 (いけのお) K 今 の 京 都 府 京 都 市 山 科 区 周 辺 の 古 名。
- 今昔物語集 (こんじゃく ものがたりしゅう) K 平 安 時 代 末 期 (12 世 紀) の 説 話 集。 全 31 巻、 約 1000 話。 イ ン ド・中 国・日 本 の 仏 教 説 話・世 俗 説 話 を 収 め る。 芥 川 は こ の 巻 28 第 20 話 「池 尾 禅 珍 内 供 鼻 語」 (い け の お ぜ ん ち ん な い ぐ の は な の こ と) を 翻 案 し て 「鼻」 を 書 い た。
- 翻 案 (ほんあん) K 既 存 の 物 語 を、 別 の 形 に 書 き 直 す こ と。 芥 川 龍 之 介 は こ の 「鼻」 の ほ か、 「羅 生 門」 「藪 の 中」 「地 獄 変」 「杜 子 春」 な ど、 多 く の 翻 案 文 学 を 残 し た。
- 夏目漱石 (なつめ そうせき) K 1867–1916。 明 治 期 を 代 表 す る 小 説 家。 大 正 5 年、 芥 川 の 「鼻」 を 読 み、 そ の 才 能 を 絶 賛 す る 手 紙 を 送 っ た。 こ れ が 芥 川 の 文 壇 デ ビ ュ ー を 決 定 づ け た。 同 じ 年 12 月、 漱 石 は 49 歳 で 病 没。
- 「人 の 不 幸 を 喜 ぶ」 心 理 K 物 語 の 主 題。 内 供 が 鼻 を 短 く し て 立 派 に な る と、 周 り の 人 は 以 前 よ り 笑 う。 こ の 「人 が 不 幸 か ら 立 ち 直 る の を、 か え っ て 不 快 に 思 う」 心 理 を、 芥 川 は 鋭 く 暴 い た。
考えてみよう
- 「人 が 不 幸 か ら 立 ち 直 る と、 そ れ を 喜 べ な い 人 が い る」 ─ 芥 川 が 描 い た こ の 「人 間 の 暗 い 心」 は、 現 代 の 私 た ち の 周 り に も あ り ま す か?
- 芥 川 龍 之 介 は、 800 年 以 上 前 の 『今 昔 物 語 集』 か ら こ の 物 語 を 拾 い、 「近 代 心 理 小 説」 に 書 き 直 し ま し た。 古 い 物 語 を、 新 し く 書 き 直 す こ と の 意 味 は 何 で し ょ う か?
- 夏 目 漱 石 が こ の 「鼻」 を 「絶 賛 」 し た 時、 芥 川 は ど ん な 気 持 ち だ っ た で し ょ う か。
- あ な た は、 「人 と 違 う 何 か」 で 悩 ん だ こ と は あ り ま す か? 内 供 の 「鼻」 と 比 べ て み ま し ょ う。
指導案 教員向け・授業展開の例
中3 国 語 で 近 代 文 学 の 名 短 編 を 読 む。 高 校 で 学 ぶ 「羅 生 門」 と 同 じ 芥 川 龍 之 介 の、 出 世 作。 『今 昔 物 語 集』 と い う 古 典 か ら 翻 案 さ れ た こ と、 そ し て 「人 間 心 理 の 暗 部」 を 鋭 く 描 い た 点 が 主 題。
指導目標
- 芥 川 の 文 体 と 主 題 を 理 解 す る
- 古 典 翻 案 と い う 文 学 の 方 法 を 知 る
- 「人 の 不 幸 を 喜 ぶ 心 理」 を 考 察 す る
授業の流れ
- 1時限・10分 芥 川 龍 之 介 の 経 歴 と 出 世 作 と し て の 「鼻」
- 1時限・30分 本 文 を 通 読 (青 空 文 庫 全 文)
- 1時限・10分 内 供 の 心 理 の 変 化 を 整 理
- 2時限・15分 『今 昔 物 語 集』 の 原 典 と 比 較
- 2時限・20分 「人 の 不 幸 を 喜 ぶ」 心 理 を 議 論
- 2時限・15分 振 り 返 り
発問例・議論のポイント
- 「人 の 不 幸 を 喜 ぶ」 心 理 は、 現 代 の SNS で も 見 ら れ る か?
- 古 典 を 翻 案 す る こ と の 価 値 は?
発展課題
- 芥 川 龍 之 介 「羅 生 門」 (本 サ イ ト kotoko1) と 比 較
- 『今 昔 物 語 集』 の 他 の 説 話 を 読 む
- 中 島 敦 「弟 子」 (本 サ イ ト kotoko2) と の 翻 案 文 学 比 較
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