古事記「天の岩戸」
中学校 歴史 第1学年 古典 歴史的分野 A(1) 古代までの日本 目安 30 分
学習のめあて
- 『古事記』が 712 年に天皇の系譜を整える目的で編纂された政治的書物であり、同時に古代日本人の信仰や生活感を伝える史料であることを理解する
- 「天の岩戸」の物語構造(危機・知恵・解決)を整理し、八百万の神々それぞれの役割を読み取る
- 物語に込められた「裏テーマ」——日食・芸能の起源・儀礼・共同体の知恵——を、本文の細部から議論する
本文
一 はじまり — スサノオの乱暴
高天原(たかまのはら)には、太陽の女神アマテラスがおさめる、清らかな神々の世界があった。アマテラスの弟に、スサノオという荒々しい神がいた。スサノオは本当は海原を治めるべきだったのに、母を恋しがって泣いてばかりで、追放されてしまった。
高天原を出る前に、姉のアマテラスにあいさつしに行ったスサノオは、田を荒らし、神聖な機織りの場に汚れた馬の皮を投げ込むなど、ひどい乱暴を働いた。機織りをしていた女神の一人は、それに驚いて怪我をして死んでしまった。
二 アマテラス、岩屋にこもる
弟の乱暴に深く傷ついたアマテラスは、天の岩屋戸(あめのいわやと)に入って、その戸を固く閉ざしてしまった。
すると、たちまち高天原は真っ暗になり、葦原(あしはら)の中つ国——いまの日本の地——も、夜のように暗くなった。常夜の闇である。あらゆる禍が一度に起こりはじめた。
三 八百万の神々の知恵
困りはてた八百万(やおよろず)の神々は、天の安の河原に集まって、どうすればアマテラスをふたたび外に出せるか、相談した。
知恵の神思金神(おもいかねのかみ)が、ひとつの作戦を立てた。
まず、常世国(とこよのくに)の長鳴鳥(ニワトリ)を集めて、いっせいに鳴かせる。天の安の河の上流の堅い岩を取り、鍛えて大きな鏡を作る。勾玉をたくさんつないだ玉飾りを作る。それらを、根のついたままの大きな榊の木に飾り付ける。
そして、女神アメノウズメ(天宇受売命)が、岩屋戸の前に進み出た。
四 ウズメの舞、神々の笑い
ウズメは、岩屋戸の前にひっくり返した桶を置いて、その上に乗った。手にはささを持ち、頭には蔓草を巻きつけ、胸をあらわにし、裳の紐を陰部まで垂れ下げて、足を踏みならして狂おしいほどに舞い踊った。
高天原がどっとゆれるほど、八百万の神々が一斉に笑った。
その笑い声が、岩屋戸の中まで聞こえた。アマテラスは不思議に思って、戸を少しだけ開けて、こう問いかけた。
「私が隠れて世界が暗いはずなのに、なぜウズメは舞い、神々は笑っているのか」
ウズメが答えた。
「あなたよりも貴い御方がいらっしゃるので、皆喜んでいるのです」
そう言いながら、二人の神が大きな鏡をアマテラスにそっと差し出した。アマテラスは、鏡に映る自分の輝く姿を、まだ知らない別の神かと思って、もっとよく見ようと身を乗り出した。
五 岩戸開き
その瞬間、戸のかげに隠れていた怪力の神タヂカラオ(天手力男神)が、アマテラスの手をぐっと取り、岩屋戸の外へ引き出した。すばやくもう一人の神が、戸の前に注連縄(しめ縄)を張りめぐらせ、「もう二度と戻ってはいけません」と告げた。
ふたたび高天原に光が満ち、葦原の中つ国にも朝が戻った。
乱暴を働いたスサノオは、八百万の神々によって、ひげと爪を切られ、高天原から追放された。スサノオはその後、出雲(いずも)の国に降り立ち、八岐大蛇を倒すという別の物語に進んでいく。
この物語の歴史的背景
『古事記』は、和銅5年(712 年)に成立した、日本に現存する最古の歴史書です。天武天皇(在位 673–686)の命によって始まり、その死後、元明天皇の代に太安万侶が完成させ献上しました。
なぜこの時期に、神話から始まる歴史書が必要だったのでしょうか。天武天皇は、672 年の壬申の乱で兄の天智天皇の子・大友皇子を破って即位した、いわば非正統な経緯のある天皇でした。自分と子孫の皇位継承を正当化するため、「天皇家の祖先は太陽の女神アマテラスである」という神話を、国家の公式な物語として整える必要があったのです。
もうひとつの目的は、飛鳥・奈良時代を通じて大陸から流入した仏教・儒教・道教に対して、日本固有の信仰と歴史を文字で残しておくこと。これによって、後世まで「日本らしさ」の核となる物語が伝わることになりました。
この物語の「裏テーマ」
「天の岩戸」は、ただの楽しい神話ではありません。多層的に読み解くことができます。
① 自然現象としての太陽の不在 — 太陽が消えて世界が暗くなるという描写は、日食の記憶を物語化したという説があります。古代の人々にとって、突然太陽が欠ける日食は理解不能な大事件でした。あるいは、冬至(一年で一番昼が短い日)の不安と、その後に太陽が戻ってくる安心感を語っているとも読めます。
② 芸能の起源 — アメノウズメの舞は、日本の神楽(かぐら)・能・歌舞伎の祖と位置付けられます。神聖な場面で女性が大胆な動きで笑いを誘うという形は、世界各地の祭祀に共通する型です。「笑いと裸体が、聖なる場の力を呼び戻す」という古代的な感覚が背景にあります。
③ 共同体回復の儀礼 — 神々が「集まって相談し」「皆で役割分担して」「みんなで笑う」という展開は、共同体が危機に直面したときの理想的な対処の手順を描いています。一人の知恵者(思金神)が指揮し、各人が持ち場で力を発揮し、最後は全員の笑いが場をひらく。これは古代日本の祭の構造そのものでもあります。
④ 皇統の正統化 — 物語の最後で、岩戸の前に飾られた鏡と勾玉は、後に天皇位の象徴とされる三種の神器のうち二つです(残る一つは草薙剣で、別の場面で登場)。神話と現実の天皇制を結びつけるための、政治的にきわめて重要な仕掛けでもあります。
⑤ 「光」と「闇」の根源的なメタファー — 太陽が隠れる=悪が栄える、太陽が戻る=秩序が回復する。この光と闇の対比は、洋の東西を問わず神話の普遍的な構造でもあります。古事記の編者たちは、日本だけの物語を書いたつもりでありながら、人類共通のテーマに触れていました。
批判的に読む
戦前の日本では、この神話を「史実」として教え、「天皇は神の子孫である」という絶対的な権威の根拠とされました。これは国家神道と結びつき、軍国主義の正当化にも使われた歴史があります。
戦後の日本国憲法は、天皇を「日本国民統合の象徴」として位置づけ直し、神話と政治を切り離しました。「古事記」は歴史的な文化財・文学作品として、自由に読み解くべき対象になりました。
現代の私たちは、この物語を 「天皇は神の子孫だから偉い」という結論を支える書類として読むのではなく、古代日本人がどのように世界を見て、どのように物語を作ってきたかを知る手がかりとして読みます。同じ物語でも、読み方によって意味が大きく変わる——それが、史料を批判的に読むということです。
※ このページについて
本ページは『古事記』上巻「天の岩屋戸」の場面を、中学1年生向けに編者がやや平易に再構成したものです。底本は青空文庫の武田祐吉訳『古事記』。原文(漢文混じり)と読み下し文は、青空文庫または岩波文庫・新潮日本古典集成・新編日本古典文学全集などでぜひ全文を当たってみてください。本ページの「裏テーマ」の解釈は通説の一部であり、研究の蓄積はもっと豊かです。
語句の意味
各見出し語をクリックすると、外部辞書で詳しい意味を調べられます。 ※ Wiktionary について
- 古事記(こじき) K 和銅5年(712 年)、太安万侶が稗田阿礼の誦習をもとに編纂・献上した、日本最古の歴史書。上中下の三巻からなり、上巻は神話、中・下巻は天皇の事績を記す。同時期の『日本書紀』(720) と並んで「記紀」と呼ばれる。
- 稗田阿礼(ひえだの あれ) K 天武天皇に仕えた舎人(とねり)。当時の伝承を一度耳で聞いただけで覚える非凡な記憶力を持ち、口頭で誦習(しょうしゅう=声に出して読み上げる)したとされる。性別は不明。
- 太安万侶(おおの やすまろ) K 元明天皇の命を受けて、稗田阿礼が誦習する内容を文字に記した編纂者。1979 年に奈良市で墓誌が発見され、実在の人物だったことが裏付けられた。
- アマテラス(天照大御神) K 太陽の女神。高天原(たかまのはら)を統べる最高神。皇室の祖神とされ、伊勢神宮内宮の御祭神。
- スサノオ(須佐之男命) K アマテラスの弟神。海原を治めるはずだったが、母を恋しがって泣き続け、追放される。高天原で乱暴を働いてアマテラスが岩屋に隠れる原因となる。後に出雲で八岐大蛇を退治し、英雄神に転じる二面的な神。
- 高天原(たかまのはら) K 神々が住む天上界。アマテラスが統べる神々の領域。
- 天の岩屋戸(あめの いわやと) K アマテラスが隠れた岩の戸。アマテラスが入ってしまうと世界中が真っ暗になる。
- 八百万(やおよろず)の神々 K 数えきれないほど多くの神々。古代日本の自然信仰は、山・川・木・石など万物に神を見る多神教の世界観。
- 思金神(おもいかねのかみ) K 八百万の神々の中で「思慮深い知恵の神」とされる存在。岩戸開きの作戦を立案する。
- アメノウズメ(天宇受売命) K 岩戸の前で「胸をあらわにし、裳の紐を陰部まで垂れ下げ」舞い踊って神々を笑わせ、アマテラスを誘い出した女神。日本の芸能の祖神(始祖)とされ、後の神楽・能・歌舞伎などの源流に位置付けられる。
- タヂカラオ(天手力男神) K 「手の力が強い」神。岩戸の隙間からアマテラスを引き出した怪力の神。後に天孫降臨に同行する。
- 三種の神器(さんしゅの じんぎ) K 天皇位の象徴とされる三つの宝物——鏡(八咫鏡)・玉(八尺瓊勾玉)・剣(草薙剣)。岩戸の前に飾られた鏡と勾玉がその二つの起源と語られ、神話と天皇制が結びつく。
- 神楽(かぐら) K 神に捧げる音楽と舞踊。古来「神宿る」ものとされ、岩戸の前のアメノウズメの舞が神楽の起源とされる。現在も各地の神社で奉納される。
考えてみよう
- アマテラスはなぜ岩屋に隠れたのですか。本文と用語の説明から、出来事を順を追って整理しましょう。
- 八百万の神々は、アマテラスを岩屋から出すために色々なものを準備します。鏡・勾玉・木・鶏・歌・舞——それぞれは何を意図したものだったでしょうか。
- アメノウズメが「胸をあらわにし」「裳の紐を陰部まで垂れ下げ」踊る場面を、原文どおりに伝える編集判断はどう評価できますか。古代の祭祀における「あけすけな笑い」の意味を想像してみましょう。
- 「天の岩戸」を <strong>太陽の不在 → 復活</strong> の物語と読むと、何の自然現象を語っているように見えますか。日食・冬至・夜と朝の交替、それぞれの観点で考えてみましょう。
- 『古事記』が編纂された 712 年は、天武天皇の血統が皇位を継承する正統性を示すことが政治的に重要な時期でした。「太陽神アマテラスが皇室の祖先である」という設定は、政治的にどんな効果を持ったでしょうか。
- 現代の私たちが古代の神話を学ぶ意味は何だと思いますか。「事実かどうか」とは別の価値を考えてみましょう。
指導要領との対応
このページは、文部科学省「中学校学習指導要領(平成29年告示)」歴史 第1学年の 以下の指導事項を意識して編集しています。
- 歴史 A(1)ア — 我が国の歴史の流れを大観して、各時代の特色や時代の転換を捉える
- 歴史 A(2)イ — 古代の文化財や史料を通して、当時の人々のものの見方や、自然・社会との関わりを考察する
※ 文部科学省告示の本文ではなく、編集者による要旨の言い換えです。 正確な指導事項は文部科学省の公式資料を参照してください。
指導案 教員向け・授業展開の例
中学1年・歴史の「古代までの日本」の単元で、『古事記』を扱う際の中核教材。神話の「楽しい物語」としての読みと、「政治的に編まれた史料」としての批判的読みを両立させたい。とくに「裏テーマ」(日食説、芸能の起源、共同体回復の儀礼、皇統正統化)を学級でディスカッションすることで、史料の重層性に気づかせる。
指導目標
- 『古事記』編纂の歴史的背景(壬申の乱 → 天武の意向 → 712 年献上)を押さえる
- 「天の岩戸」の物語構造を場面ごとに整理する
- 物語の表のテーマ(アマテラスの帰還)と裏のテーマ(日食・芸能起源・皇統正統化)を区別して議論する
授業の流れ
- 1時間目 稗田阿礼・太安万侶の人物と編纂の経緯。なぜ 8 世紀前半にこのような書物が必要だったかを問う(天皇家の正統性証明)。本文の通読。
- 2時間目 場面分け(① スサノオの乱暴/② アマテラスが隠れる/③ 神々の作戦会議/④ ウズメの舞/⑤ 岩戸開き)。それぞれの神の役割を整理。
- 3時間目 「裏テーマ」討論。教師が「これは日食の記憶ではないか?」「ウズメの踊りが芸能の原点とされるのはなぜか?」など問いを投げ、グループで本文の根拠を探しながら議論。最後に「私たちは神話をどう読むべきか」をまとめる。
発問例・議論のポイント
- なぜ『古事記』は「日本最古の歴史書」と呼ばれるのに、神話から始まるのでしょうか。「歴史」と「神話」の境目は、当時の人々にとってどんなものだったでしょう。
- アメノウズメの踊りで「神々がどっと笑った」という記述があります。神聖な場面で「笑い」を中心に据えたのは、なぜでしょうか。
- アマテラスが岩屋から出てくる決定打は「神々の笑い」と「鏡に映った自分の姿」でした。この二つが象徴するものは何でしょうか。
- 「天皇は太陽神の子孫である」というこの神話が、後の歴史でどう使われ、また批判されてきたか(戦前の国家神道、戦後の象徴天皇制への転換など)を考える。
発展課題
- 『古事記』の他の有名場面(八岐大蛇・天孫降臨・海幸彦山幸彦)を分担して調べ、互いに紹介する。
- 『日本書紀』(720) の同じ場面と比較して、書き方の違いを探す。
- 神楽(かぐら)の実演動画を見て、千年以上前から続く伝統と岩戸神話のつながりを感じる。
- 世界各地の太陽神話(エジプトのラー、ギリシアのアポロン、北欧の太陽神話)と比較し、文化を越えた「太陽の不在と復活」の物語を考察する。
⇒ 学習パス「古事記 神話の旅」 の 1 / 6
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