史記・項羽本紀「四面楚歌」 — 司馬遷
高等学校 漢文 第1学年 古典 漢文中国 古典 史 学言語 文化 目安 30 分 JLPT N1 漢字 第9学年 語彙 上級 難易度 ★★★★☆
学習のめあて
- 中国 最古 の 通史『史記』 の 名 場面 に 触 れる
- 「四面 楚歌」 と いう 故事 成語 の 原典 を 知 る
- 司馬遷 の 文学 的 史 学 の 魅力 を 体感 する
- 楚 漢 戦争 と い う 中国 古代 史 の 転換 期 を 理解 す る
本文
原文 (漢文)
項王軍壁垓下、兵少食尽。
漢軍及諸侯兵、囲之数重。
夜聞漢軍四面皆楚歌、項王乃大驚曰、
「漢皆已得楚乎。是何楚人之多也。」
項王則夜起、飲帳中。
有美人名虞、常幸従。
駿馬名騅、常騎之。
於是項王乃悲歌慷慨、自為詩曰、
「力抜山兮気蓋世、
時不利兮騅不逝、
騅不逝兮可奈何、
虞兮虞兮奈若何。」
歌数闋、美人和之。
項王泣数行下、左右皆泣、莫能仰視。
書き下し文
項王の軍、垓下に壁し、兵少なくして食尽く。
漢軍及び諸侯の兵、之を囲むこと数重なり。
夜漢軍の四面皆楚歌するを聞き、項王乃ち大いに驚きて曰はく、
「漢皆已に楚を得たるか。是れ何ぞ楚人の多きや。」と。
項王則ち夜起き、帳の中に飲む。
美人有り虞と名づく、常に幸せられて従ふ。
駿馬騅と名づく、常に之に騎す。
於是項王乃ち悲しみて歌ひ慷慨し、自ら詩を為りて曰はく、
「力山を抜き気世を蓋ふ。
時利あらずして騅逝かず。
騅逝かざるを奈何すべき。
虞や虞や若を奈何せん。」
歌ふこと数闋、美人之に和す。
項王泣くこと数行下り、左右皆泣き、能く仰ぎ視るもの莫し。
現代語訳
項王 (項羽) の 軍 は、 垓下 に 城壁 を 築 い て 立 て 籠 も っ た が、 兵 は 少 な く、 食料 も 尽 き か け て い た。
漢 軍 と 諸侯 の 軍 が、 何 重 に も 包 囲 し て い た。
夜、 漢 軍 の 四 方 か ら、 楚 (項羽 の 故 郷) の 歌 が 聞 こ え て く る の を 聞 い て、 項王 は 大 い に 驚 い て 言 っ た:
「漢 は も う 楚 を 全 部 攻 め 取 っ て し ま っ た の か? な ぜ こ ん な に 楚 の 兵 が 多 い の だ ?」
そ し て 項王 は、 夜 中 に 起 き 上 が り、 陣 中 の 幕 の 中 で 酒 を 飲 ん だ。
彼 に は、 虞 (ぐ) と い う 名 の 寵 妃 が お り、 常 に 寵 愛 し 連 れ て い た。
ま た、 騅 (すい) と い う 名 の 駿 馬 が お り、 常 に そ れ に 乗 っ て い た。
こ こ で 項王 は、 悲 し み に 沈 み、 慷 慨 (こ う が い ・ 憤 慨) し な が ら、 自 ら 詩 を 作 っ て 詠 ん だ:
力 山 を 抜 き、 気 世 を 蓋 ふ (お お う)
時 利 あ ら ず し て、 騅 行 か ず
騅 行 か ざ る を 奈 何 (いかん) す べ き
虞 や 虞 や、 若 (なんじ) を 奈 何 せ ん
(私 の 力 は 山 を 抜 き 取 る ほ ど、 気 概 は 世 界 を 覆 う ほ ど 大 き か っ た。
だ が、 時 の 運 は 私 に 利 し て い な い。 愛 馬 騅 も 走 ろ う と し な い。
騅 が 走 ら な い の を、 ど う し て や れ ば よ い の か。
虞 よ、 虞 よ、 そ な た を、 私 は ど う し て や れ ば よ い の か。)
項王 は こ の 詩 を 数 回 繰 り 返 し て 歌 い、 美 人 虞 も 唱 和 し た。
項王 の 涙 が 何 筋 も 流 れ 落 ち、 周 り の 部 下 た ち も 皆 泣 い て、 顔 を 上 げ て 主 を 見 る こ と が で き る 者 は い な か っ た。
解説 ─ 史記 の な か の 最 大 の 名 場 面
こ の 場 面 は、 中 国 文 学 史 上、 最 も 有 名 で 感 動 的 な 場 面 の 一 つ で あ る。
紀 元 前 202 年、 楚 漢 戦 争 の 最 終 局 面。
4 年 間 戦 い 続 け た 項 羽 は、 つ い に 漢 軍 (劉 邦 軍) に 垓 下 で 完 全 包 囲 さ れ た。
兵 は 約 10 万 か ら 数 千 に 減 り、 食 料 も 尽 き か け、 援 軍 も 来 ぬ 絶 望 的 状 況。
そ の 夜、 漢 軍 の 陣 営 か ら、 突 然 ─ 項 羽 の 故 郷 「楚」 の 民 謡 が 四 方 か ら 響 い て き た。
こ れ は 漢 の 軍 師 ・ 張 良 ら の 戦 略 で あ っ た:
楚 の 兵 出 身 の 漢 軍 兵 た ち に、 楚 の 歌 を 歌 わ せ た の だ。
こ の 「四面 楚歌」 を 聞 い た 瞬 間、 項 羽 は こ う 考 え た ─
「漢 は も う 楚 全 土 を 制 圧 し て し ま っ た の か。 だ か ら こ そ、 こ れ ほ ど 多 く の 楚 の 兵 が、 敵 側 に い る の だ」
心 理 戦 と し て、 こ の 戦 術 は 完 璧 で あ っ た。
「四面 楚歌」 ─ 故事 成 語 の 誕 生
こ の 場 面 か ら、 中 国 ・ 日 本 で 共 通 し て 使 わ れ る 故 事 成 語 が 生 ま れ た:
四面 楚歌 ─ 周 囲 を 完 全 に 敵 に 囲 ま れ、 助 け の 望 み が 絶 え た 状 況
現 代 日 本 で も、 政 治 ・ ビ ジ ネ ス ・ 個 人 の 困 難 な 場 面 で よ く 使 わ れ る 表 現 で あ る:
- 「政 治 家 が 不 祥 事 で 四面 楚歌 の 状 況 に 陥 っ た」
- 「会 議 で 自 分 の 提 案 が 全 員 か ら 反 対 さ れ、 四面 楚歌 だ っ た」
- 「家 庭 内 で の 意 見 対 立 で 四面 楚歌 だ」
2200 年 前 の 中 国 の 一 場 面 が、 今 も な お 日 本 語 の 中 で 生 き 続 け て い る の だ。
項 羽 の 詩 ─ 中 国 文 学 史 の 名 篇
項 羽 が こ の 絶 望 的 状 況 で 詠 ん だ 詩 「力 抜 山 兮 気 蓋 世」 は、 中 国 文 学 史 で も 屈 指 の 名 篇 と さ れ る。
| 句 | 意 味 |
|---|---|
| 力 抜 山 兮 気 蓋 世 | 私 の 力 は 山 を 抜 き、 気 概 は 世 界 を 覆 う |
| 時 不 利 兮 騅 不 逝 | 時 の 運 は 私 に 利 さ ず、 愛 馬 騅 も 走 ら な い |
| 騅 不 逝 兮 可 奈 何 | 騅 が 走 ら な い の を、 ど う す れ ば よ い の か |
| 虞 兮 虞 兮 奈 若 何 | 虞 よ、 虞 よ、 そ な た を ど う し て や れ ば よ い の か |
こ の 4 行 詩 ─ 中 国 で 「垓 下 歌」 (が い か の う た) と 呼 ば れ る ─ に は、 項 羽 と い う 一 人 の 男 の 全 て が 凝 縮 さ れ て い る。
彼 の 武 勇 (力 抜 山)、 そ の 武 勇 が 通 用 し な く な っ た 嘆 き (時 不 利)、 愛 馬 へ の 思 い (騅)、 そ し て 何 よ り も、 愛 す る 女 性 虞 (ぐ) を 残 し て 死 な ね ば な ら な い 痛 切 さ (虞 兮 虞 兮)。
司 馬 遷 と 『史 記』
『史 記』 の 著 者 ・ 司 馬 遷 (し ば せ ん) も、 ま た 悲 劇 の 人 で あ っ た。
父 ・ 司 馬 談 の 遺 志 を 継 い で 『史 記』 編 纂 を 始 め た 司 馬 遷 だ が、 紀 元 前 99 年、 匈 奴 と の 戦 い で 降 伏 し た 名 将 ・ 李 陵 (り り ょ う) を 弁 護 し た た め、 武 帝 の 怒 り を 買 い、宮 刑 (去 勢) に 処 さ れ た。
当 時 の 中 国 で、 宮 刑 を 受 け る こ と は 死 ぬ こ と よ り も 屈 辱 と さ れ た。
だ が 司 馬 遷 は、 こ の 屈 辱 を 耐 え て、 父 の 遺 志 で あ る 『史 記』 を 完 成 さ せ る こ と を 選 ん だ。
そ し て、 約 14 年 か け て、 全 130 巻 ・ 約 52 万 字 の 大 著 を 完 成 さ せ た の で あ る。
彼 が 描 い た 項 羽 像 ─ 名 将 で あ り な が ら 最 後 に 敗 れ、 愛 す る 女 性 と 別 れ ね ば な ら な か っ た 悲 劇 の 英 雄 ─ に は、 司 馬 遷 自 身 の 挫 折 と 屈 辱 を 知 る 者 の 共 感 が、 ど こ か に 滲 ん で い る か も し れ な い。
日 本 へ の 影 響
『史 記』 は、 5 世 紀 頃 に 日 本 に 伝 来 し、 以 後 千 数 百 年 に わ た り、 日 本 人 の 教 養 の 根 幹 を な し て き た。
特 に 「項 羽 と 劉 邦」 の 物 語 は、 日 本 文 学 ・ 演 劇 ・ 漫 画 で 数 多 く 翻 案 さ れ て き た:
- 司 馬 遼 太 郎 『項 羽 と 劉 邦』 (1980 年 代 の ベ ス ト セ ラ ー)
- 横 山 光 輝 『項 羽 と 劉 邦』 (漫 画)
- 歌 舞 伎 『四面 楚歌』 (江 戸 期 の 演 目)
- 中 島 敦 『李 陵』 (司 馬 遷 が 弁 護 し た 李 陵 が 主 人 公)
2200 年 前 の 中 国 の 一 場 面 が、 今 も 日 本 人 の 想 像 力 を 刺 激 し 続 け て い る。
項 羽 の 最 期
こ の 「四面 楚歌」 の 後、 項 羽 は 800 の 騎 馬 を 率 い て 包 囲 を 突 破 し、 烏 江 (う こ う) ま で 落 ち 延 び る。
そ こ で、 故 郷 楚 へ 渡 る 船 が 用 意 さ れ て い た が、 項 羽 は こ う 言 っ て 拒 む:
「江 東 (こ う と う) の 子 弟 8 千 人 を 率 い て 西 へ 進 ん だ 私 が、 今 一 人 で 帰 っ て、 ど の 顔 で 江 東 の 父 老 (古 老) に 会 え ば よ い の か。 た と え 彼 ら が 何 も 言 わ な く て も、 私 自 身 の 心 が、 私 を 許 さ な い」
そ し て、 項 羽 は 自 ら 首 を 切 っ て 自 害 し た。 30 歳 で あ っ た。
中 国 史 上 で も っ と も 強 大 な 武 将 の 一 人 で あ り な が ら、 結 局 政 治 家 と し て の 劉 邦 に 敗 れ た 悲 劇 の 英 雄 ─ そ れ が 項 羽 で あ り、 「四面 楚歌」 と い う 故 事 成 語 の 源 で あ る。
語句の意味
各見出し語をクリックすると、外部辞書で詳しい意味を調べられます。 ※ Wiktionary について
- 司馬遷 (しば せん) K 紀元前145頃–紀元前86頃。前漢の歴史家。父 司馬談 の 仕事 を 継 い で『史記』 を 編纂。 紀元前 99 年、 李陵 の 罪 を 弁護 した ため 武帝 の 怒 り を 買 い、宮刑 (去 勢) に 処 さ れ た 後 も、 屈辱 を 耐 え て 著作 を 完成 さ せ た。 「太史公」 と 呼 ば れ た。
- 史記 (しき) K 司馬遷 が 約 14 年 か け て 完成 し た、 中国 最 古 の 通史。 全 130 巻、 526,500 字。 黄帝 (紀元前 26 世紀 と さ れ る 伝説 の 帝) か ら 前漢 武帝 (司馬遷 の 同時代) ま で の 中国 史 を 「本紀」「世家」「列伝」「表」「書」 の 5 部 構成 で 描く。 二十四 史 (中国 の 正史 24 冊) の 筆頭。
- 項羽 (こう う) K 紀元前232–紀元前202。 楚 の 名将。 秦 を 滅ぼ し た 後、 西楚 覇王 を 名 乗 り、 劉邦 (後 の 漢 高祖) と 楚 漢 戦争 を 戦 う。 紀元前 202 年、 垓下 の 戦い で 敗れ、 自刎 (じ ふ ん) し た。 30 歳 で 中国 最強 の 武 将 と 呼 ば れ た 悲劇 の 英 雄。
- 劉邦 (りゅう ほう) K 紀元前247頃–紀元前195。 漢 の 創始 者 (高祖)。 庶民 出身 ながら、 項羽 と の 楚 漢 戦争 (紀元前 206–202) に 勝 利 し、 漢 王朝 (紀元前 202–西暦 220) を 建てた。 中国 史上 で 最 も 影響 力 の あ る 皇 帝 の 一人。
- 楚 漢 戦争 (そ かん せんそう) K 紀元前 206–202 年、 項羽 (楚) と 劉邦 (漢) の 4 年 に わた る 戦争。 秦 滅 亡 (紀元前 207) 後、 中国 統治 の 覇 権 を 巡 っ て 戦 わ れ た。 紀元前 202 年 の 垓下 の 戦い で 項羽 が 敗 れ、 漢 王朝 が 成立 し た。
- 垓下 (がい か) K 現在 の 中国 安徽 省 (あんき しょう) 霊壁 県 (れいへき けん) 周辺。 項羽 が 最後 に 漢 軍 に 囲 ま れ た 場所。 「垓下 の 戦い」 (紀元前 202 年) で 項羽 軍 は 壊 滅 し た。
- 四面 楚歌 (し めん そ か) K 「四方 すべて か ら 楚 の 歌 が 聞 こ え る」 の 意。 周 り を 完全 に 敵 に 囲 ま れ、 助 け の 望 み が 絶 え た 状況 を 指 す。 本 場面 か ら 生 ま れ た 中国 ・ 日本 共通 の 故事 成 語。
- 楚 歌 (そ か) K 項羽 の 故郷 楚 (現 在 の 中国 南部、 江蘇 ・ 安徽 ・ 湖北 一 帯) の 民謡。 漢軍 の 軍師 張良 (ちょう りょう) ら が、 楚 兵 出身 の 漢 軍 兵 に 楚 歌 を 歌わ せ、 包 囲 さ れ た 項羽 軍 の 戦 意 を 喪失 さ せ る 心理 戦 を 行 っ た。
- 虞美人 (ぐ び じん) K 項羽 の 寵 妃 (ち ょ う ひ)。 「四面 楚歌」 の 場面 で、 項羽 と と も に 詩 を 詠み 交 わ し、 後 に 自害 し た と 伝 え ら れ る。 中国 文学 史 上 で 最 も 有名 な 女性 像 の 一 人。 「虞 美人 草」 (ヒ ナ ゲ シ) の 名 前 の 由 来。
- 騅 (すい) K 項羽 の 愛馬。 「騅 行 か ず」 (騅 が 走 ろ う と し な い) と は、 馬 さ え 主 を 助 け る こ と が で き ぬ 絶 望 を 表 す。
考えてみよう
- 「四面 楚歌」 と い う 故事 成語 は、 現代 の 日本 語 で も よ く 使 わ れ ま す。 ど ん な 状 況 で 使 い ま す か? 自 分 の 経 験 か ら 例 を 挙 げ ま し ょ う。
- 項羽 軍 を 包 囲 し た 漢 軍 は、 な ぜ 「楚 歌」 を 歌 う 戦 術 を 取 っ た の で し ょ う か。 心 理 戦 と し て の 効 果 を 考 え ま し ょ う。
- 項羽 が 涙 を 流 し て 詠 ん だ 詩 「虞 (ぐ) や、 虞 や、 若 を 奈 何 せ ん」 (虞 よ、 虞 よ、 そ な た を ど う し よ う) ─ こ の 一 句 に 込 め ら れ た 思 い を、 自 分 の 言 葉 で 表 現 し ま し ょ う。
- 司馬遷 は 項羽 と 劉邦 の 戦 い を 描 く と き、 ど ち ら か に 肩 入 れ し て い る で し ょ う か。 そ れ と も 中 立 に 描 い て い る で し ょ う か。 本文 か ら 読 み 取 り ま し ょ う。
- 中国 ・ 日 本 ・ 朝 鮮 で、 『史記』 と 『論語』 は ど ち ら も 古 典 中 の 古 典 と さ れ ま す。 こ の 二 つ の 古 典 の 違 い は 何 で し ょ う か。
- 司馬遷 自身 が、 宮 刑 と い う 屈 辱 を 受 け な が ら も 『史記』 を 完 成 さ せ た 事 実 は、 本 書 を 読 む と き に ど の よ う な 意 味 を 持 つ で し ょ う か。
指導要領との対応
このページは、文部科学省「高等学校学習指導要領(平成30年告示)」漢文 第1学年の 以下の指導事項を意識して編集しています。
- 古典探究 — 漢文の文章を読み、その内容や表現の特色を捉える
- 言語文化 — 我が国の言語文化の基底にある中国古典の伝統を理解する
※ 文部科学省告示の本文ではなく、編集者による要旨の言い換えです。 正確な指導事項は文部科学省の公式資料を参照してください。
指導案 教員向け・授業展開の例
高1 漢文 で、 中国 古 典 の 名 場 面 「四面 楚歌」 を 読 む。 『論語』 (kotokokanbun1/rongo-gakuji) の 哲 学 的 文 体 と は 対 照 的 に、 『史記』 の 物 語 的 ・ 劇 的 文 体 を 体 感 で き る。 日 本 の 故 事 成 語 「四面 楚歌」 「捲 土 重 来」 な ど の 原 典 と し て 重 要。
指導目標
- 『史 記』 の 文 体 と 構 成 を 理 解 す る
- 「四面 楚歌」 の 場 面 の 詳 細 を 把 握 す る
- 司 馬 遷 の 史 家 と し て の 姿 勢 を 学 ぶ
- 故 事 成 語 の 出 典 と し て の 古 典 を 確 認 す る
授業の流れ
- 1時限・10分 楚 漢 戦争 (BC 206–202) の 略 史 を 確 認
- 1時限・25分 「四面 楚歌」 場 面 を 漢 文 で 音 読
- 1時限・10分 書 き 下 し 文 と 現 代 語 訳 を 確 認
- 1時限・5分 振 り 返 り
- 2時限・20分 項羽 の 詩 「力 抜 山 兮 気 蓋 世」 を 詳 細 に 読 む
- 2時限・15分 司 馬 遷 の 生 涯 と 『史 記』 の 成 立
- 2時限・10分 故 事 成 語 と し て の 「四面 楚歌」 の 現 代 用 例
- 2時限・5分 振 り 返 り
発問例・議論のポイント
- 項 羽 と 劉 邦、 ど ち ら が 「英 雄」 か?
- 戦 争 に お け る 心 理 戦 は、 古 代 と 現 代 で ど う 違 う か?
- 『史 記』 は 文 学 か、 歴 史 か?
発展課題
- 司 馬 遷 『史 記』 の 他 の 名 場 面 を 読 む (鴻 門 之 会、 完 璧 帰 趙、 焼 香 三 顧 な ど)
- 中 島 敦 『李 陵』 (高 2 国 語 で 関 連 教 材) を 読 む
- 「故 事 成 語」 を 集 め て 出 典 を 探 す
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出典・ライセンス
- 原文: 司馬遷 (しば せん)「史記・項羽本紀「四面楚歌」 — 司馬遷」(-91年)
- 入力テキスト: 国民文庫 / 諸子百家 漢文叢書 (底本:『史記』全130巻のうち「項羽本紀」(項羽の伝記)。司馬遷『史記』(紀元前91年頃成立)。中国最古の通史で、二十四史の筆頭。)
- 原文の権利: パブリックドメイン
- 編集・語注・発問・解説: CC BY 4.0 © project_procopios contributors