史記・項羽本紀「四面楚歌」 — 司馬遷 の表紙イラスト

史記・項羽本紀「四面楚歌」 — 司馬遷

高等学校 漢文 第1学年 古典 漢文中国 古典 史 学言語 文化 目安 30 分 JLPT N1 漢字 第9学年 語彙 上級 難易度 ★★★★☆

作者
司馬遷 (しば せん)(紀元前145頃–紀元前86頃)
原作発表
-91 年(漢 (前漢 ・ 紀元前91頃))
出典
国民文庫 / 諸子百家 漢文叢書
底本:『史記』全130巻のうち「項羽本紀」(項羽の伝記)。司馬遷『史記』(紀元前91年頃成立)。中国最古の通史で、二十四史の筆頭。

学習のめあて

  • 中国 最古 の 通史『史記』 の 名 場面 に 触 れる
  • 「四面 楚歌」 と いう 故事 成語 の 原典 を 知 る
  • 司馬遷 の 文学 的 史 学 の 魅力 を 体感 する
  • 楚 漢 戦争 と い う 中国 古代 史 の 転換 期 を 理解 す る

本文

原文 (漢文)

項王軍壁垓下、兵少食尽。
漢軍及諸侯兵、囲之数重。
夜聞漢軍四面皆楚歌、項王乃大驚曰、
「漢皆已得楚乎。是何楚人之多也。」
項王則夜起、飲帳中。
有美人名虞、常幸従。
駿馬名騅、常騎之。
於是項王乃悲歌慷慨、自為詩曰、
「力抜山兮気蓋世、
 時不利兮騅不逝、
 騅不逝兮可奈何、
 虞兮虞兮奈若何。」
歌数闋、美人和之。
項王泣数行下、左右皆泣、莫能仰視。

書き下し文

項王こうおうぐん垓下がいかかべし、へいすくなくしてしょくく。
漢軍かんぐんおよ諸侯しょこうへいこれかこむこと数重すうじゅうなり。
よる漢軍かんぐん四面しめんみな楚歌そかするをき、項王こうおうすなわおおいにおどろきてはく、
かんみなすでたるか。なんひとおおきや。」と。
項王こうおうすなわよるき、とばりうちむ。
美人びじんづく、つねこうせられてしたがふ。
駿馬しゅんめすいづく、つねこれす。
於是ここ項王こうおうすなわかなしみてうた慷慨こうがいし、みづかつくりてはく、
ちからやまおおふ。
 ときあらずしてすいかず。
 すいかざるを奈何いかんすべき。
 なんじ奈何いかんせん。」
うたふこと数闋すうけつ美人びじんこれす。
項王こうおうくこと数行すうこうくだり、左右さゆうみなき、あおるものし。

現代語訳

項王 (項羽) の 軍 は、 垓下 に 城壁 を 築 い て 立 て 籠 も っ た が、 兵 は 少 な く、 食料 も 尽 き か け て い た。
漢 軍 と 諸侯 の 軍 が、 何 重 に も 包 囲 し て い た。

夜、 漢 軍 の 四 方 か ら、 楚 (項羽 の 故 郷) の 歌 が 聞 こ え て く る の を 聞 い て、 項王 は 大 い に 驚 い て 言 っ た:

「漢 は も う 楚 を 全 部 攻 め 取 っ て し ま っ た の か? な ぜ こ ん な に 楚 の 兵 が 多 い の だ ?」

そ し て 項王 は、 夜 中 に 起 き 上 が り、 陣 中 の 幕 の 中 で 酒 を 飲 ん だ。
彼 に は、 虞 (ぐ) と い う 名 の 寵 妃 が お り、 常 に 寵 愛 し 連 れ て い た。
ま た、 騅 (すい) と い う 名 の 駿 馬 が お り、 常 に そ れ に 乗 っ て い た。

こ こ で 項王 は、 悲 し み に 沈 み、 慷 慨 (こ う が い ・ 憤 慨) し な が ら、 自 ら 詩 を 作 っ て 詠 ん だ:

力 山 を 抜 き、 気 世 を 蓋 ふ (お お う)
時 利 あ ら ず し て、 騅 行 か ず
騅 行 か ざ る を 奈 何 (いかん) す べ き
虞 や 虞 や、 若 (なんじ) を 奈 何 せ ん

(私 の 力 は 山 を 抜 き 取 る ほ ど、 気 概 は 世 界 を 覆 う ほ ど 大 き か っ た。
  だ が、 時 の 運 は 私 に 利 し て い な い。 愛 馬 騅 も 走 ろ う と し な い。
  騅 が 走 ら な い の を、 ど う し て や れ ば よ い の か。
  虞 よ、 虞 よ、 そ な た を、 私 は ど う し て や れ ば よ い の か。)

項王 は こ の 詩 を 数 回 繰 り 返 し て 歌 い、 美 人 虞 も 唱 和 し た。
項王 の 涙 が 何 筋 も 流 れ 落 ち、 周 り の 部 下 た ち も 皆 泣 い て、 顔 を 上 げ て 主 を 見 る こ と が で き る 者 は い な か っ た。

解説 ─ 史記 の な か の 最 大 の 名 場 面

こ の 場 面 は、 中 国 文 学 史 上、 最 も 有 名 で 感 動 的 な 場 面 の 一 つ で あ る。

紀 元 前 202 年、 楚 漢 戦 争 の 最 終 局 面。
4 年 間 戦 い 続 け た 項 羽 は、 つ い に 漢 軍 (劉 邦 軍) に 垓 下 で 完 全 包 囲 さ れ た。
兵 は 約 10 万 か ら 数 千 に 減 り、 食 料 も 尽 き か け、 援 軍 も 来 ぬ 絶 望 的 状 況。

そ の 夜、 漢 軍 の 陣 営 か ら、 突 然 ─ 項 羽 の 故 郷 「楚」 の 民 謡 が 四 方 か ら 響 い て き た。
こ れ は 漢 の 軍 師 ・ 張 良 ら の 戦 略 で あ っ た:
楚 の 兵 出 身 の 漢 軍 兵 た ち に、 楚 の 歌 を 歌 わ せ た の だ。

こ の 「四面 楚歌」 を 聞 い た 瞬 間、 項 羽 は こ う 考 え た ─
「漢 は も う 楚 全 土 を 制 圧 し て し ま っ た の か。 だ か ら こ そ、 こ れ ほ ど 多 く の 楚 の 兵 が、 敵 側 に い る の だ」
心 理 戦 と し て、 こ の 戦 術 は 完 璧 で あ っ た。

「四面 楚歌」 ─ 故事 成 語 の 誕 生

こ の 場 面 か ら、 中 国 ・ 日 本 で 共 通 し て 使 わ れ る 故 事 成 語 が 生 ま れ た:

四面 楚歌 ─ 周 囲 を 完 全 に 敵 に 囲 ま れ、 助 け の 望 み が 絶 え た 状 況

現 代 日 本 で も、 政 治 ・ ビ ジ ネ ス ・ 個 人 の 困 難 な 場 面 で よ く 使 わ れ る 表 現 で あ る:

  • 「政 治 家 が 不 祥 事 で 四面 楚歌 の 状 況 に 陥 っ た」
  • 「会 議 で 自 分 の 提 案 が 全 員 か ら 反 対 さ れ、 四面 楚歌 だ っ た」
  • 「家 庭 内 で の 意 見 対 立 で 四面 楚歌 だ」

2200 年 前 の 中 国 の 一 場 面 が、 今 も な お 日 本 語 の 中 で 生 き 続 け て い る の だ。

項 羽 の 詩 ─ 中 国 文 学 史 の 名 篇

項 羽 が こ の 絶 望 的 状 況 で 詠 ん だ 詩 「力 抜 山 兮 気 蓋 世」 は、 中 国 文 学 史 で も 屈 指 の 名 篇 と さ れ る。

意 味
力 抜 山 兮 気 蓋 世私 の 力 は 山 を 抜 き、 気 概 は 世 界 を 覆 う
時 不 利 兮 騅 不 逝時 の 運 は 私 に 利 さ ず、 愛 馬 騅 も 走 ら な い
騅 不 逝 兮 可 奈 何騅 が 走 ら な い の を、 ど う す れ ば よ い の か
虞 兮 虞 兮 奈 若 何虞 よ、 虞 よ、 そ な た を ど う し て や れ ば よ い の か

こ の 4 行 詩 ─ 中 国 で 「垓 下 歌」 (が い か の う た) と 呼 ば れ る ─ に は、 項 羽 と い う 一 人 の 男 の 全 て が 凝 縮 さ れ て い る。
彼 の 武 勇 (力 抜 山)、 そ の 武 勇 が 通 用 し な く な っ た 嘆 き (時 不 利)、 愛 馬 へ の 思 い (騅)、 そ し て 何 よ り も、 愛 す る 女 性 虞 (ぐ) を 残 し て 死 な ね ば な ら な い 痛 切 さ (虞 兮 虞 兮)。

司 馬 遷 と 『史 記』

『史 記』 の 著 者 ・ 司 馬 遷 (し ば せ ん) も、 ま た 悲 劇 の 人 で あ っ た。

父 ・ 司 馬 談 の 遺 志 を 継 い で 『史 記』 編 纂 を 始 め た 司 馬 遷 だ が、 紀 元 前 99 年、 匈 奴 と の 戦 い で 降 伏 し た 名 将 ・ 李 陵 (り り ょ う) を 弁 護 し た た め、 武 帝 の 怒 り を 買 い、宮 刑 (去 勢) に 処 さ れ た。

当 時 の 中 国 で、 宮 刑 を 受 け る こ と は 死 ぬ こ と よ り も 屈 辱 と さ れ た。
だ が 司 馬 遷 は、 こ の 屈 辱 を 耐 え て、 父 の 遺 志 で あ る 『史 記』 を 完 成 さ せ る こ と を 選 ん だ。
そ し て、 約 14 年 か け て、 全 130 巻 ・ 約 52 万 字 の 大 著 を 完 成 さ せ た の で あ る。

彼 が 描 い た 項 羽 像 ─ 名 将 で あ り な が ら 最 後 に 敗 れ、 愛 す る 女 性 と 別 れ ね ば な ら な か っ た 悲 劇 の 英 雄 ─ に は、 司 馬 遷 自 身 の 挫 折 と 屈 辱 を 知 る 者 の 共 感 が、 ど こ か に 滲 ん で い る か も し れ な い。

日 本 へ の 影 響

『史 記』 は、 5 世 紀 頃 に 日 本 に 伝 来 し、 以 後 千 数 百 年 に わ た り、 日 本 人 の 教 養 の 根 幹 を な し て き た。

特 に 「項 羽 と 劉 邦」 の 物 語 は、 日 本 文 学 ・ 演 劇 ・ 漫 画 で 数 多 く 翻 案 さ れ て き た:

  • 司 馬 遼 太 郎 『項 羽 と 劉 邦』 (1980 年 代 の ベ ス ト セ ラ ー)
  • 横 山 光 輝 『項 羽 と 劉 邦』 (漫 画)
  • 歌 舞 伎 『四面 楚歌』 (江 戸 期 の 演 目)
  • 中 島 敦 『李 陵』 (司 馬 遷 が 弁 護 し た 李 陵 が 主 人 公)

2200 年 前 の 中 国 の 一 場 面 が、 今 も 日 本 人 の 想 像 力 を 刺 激 し 続 け て い る。

項 羽 の 最 期

こ の 「四面 楚歌」 の 後、 項 羽 は 800 の 騎 馬 を 率 い て 包 囲 を 突 破 し、 烏 江 (う こ う) ま で 落 ち 延 び る。
そ こ で、 故 郷 楚 へ 渡 る 船 が 用 意 さ れ て い た が、 項 羽 は こ う 言 っ て 拒 む:

「江 東 (こ う と う) の 子 弟 8 千 人 を 率 い て 西 へ 進 ん だ 私 が、 今 一 人 で 帰 っ て、 ど の 顔 で 江 東 の 父 老 (古 老) に 会 え ば よ い の か。 た と え 彼 ら が 何 も 言 わ な く て も、 私 自 身 の 心 が、 私 を 許 さ な い」

そ し て、 項 羽 は 自 ら 首 を 切 っ て 自 害 し た。 30 歳 で あ っ た。

中 国 史 上 で も っ と も 強 大 な 武 将 の 一 人 で あ り な が ら、 結 局 政 治 家 と し て の 劉 邦 に 敗 れ た 悲 劇 の 英 雄 ─ そ れ が 項 羽 で あ り、 「四面 楚歌」 と い う 故 事 成 語 の 源 で あ る。

語句の意味

各見出し語をクリックすると、外部辞書で詳しい意味を調べられます。 ※ Wiktionary について

  • 司馬遷 (しば せん) K 紀元前145頃–紀元前86頃。前漢の歴史家。父 司馬談 の 仕事 を 継 い で『史記』 を 編纂。 紀元前 99 年、 李陵 の 罪 を 弁護 した ため 武帝 の 怒 り を 買 い、宮刑 (去 勢) に 処 さ れ た 後 も、 屈辱 を 耐 え て 著作 を 完成 さ せ た。 「太史公」 と 呼 ば れ た。
  • 史記 (しき) K 司馬遷 が 約 14 年 か け て 完成 し た、 中国 最 古 の 通史。 全 130 巻、 526,500 字。 黄帝 (紀元前 26 世紀 と さ れ る 伝説 の 帝) か ら 前漢 武帝 (司馬遷 の 同時代) ま で の 中国 史 を 「本紀」「世家」「列伝」「表」「書」 の 5 部 構成 で 描く。 二十四 史 (中国 の 正史 24 冊) の 筆頭。
  • 項羽 (こう う) K 紀元前232–紀元前202。 楚 の 名将。 秦 を 滅ぼ し た 後、 西楚 覇王 を 名 乗 り、 劉邦 (後 の 漢 高祖) と 楚 漢 戦争 を 戦 う。 紀元前 202 年、 垓下 の 戦い で 敗れ、 自刎 (じ ふ ん) し た。 30 歳 で 中国 最強 の 武 将 と 呼 ば れ た 悲劇 の 英 雄。
  • 劉邦 (りゅう ほう) K 紀元前247頃–紀元前195。 漢 の 創始 者 (高祖)。 庶民 出身 ながら、 項羽 と の 楚 漢 戦争 (紀元前 206–202) に 勝 利 し、 漢 王朝 (紀元前 202–西暦 220) を 建てた。 中国 史上 で 最 も 影響 力 の あ る 皇 帝 の 一人。
  • 楚 漢 戦争 (そ かん せんそう) K 紀元前 206–202 年、 項羽 (楚) と 劉邦 (漢) の 4 年 に わた る 戦争。 秦 滅 亡 (紀元前 207) 後、 中国 統治 の 覇 権 を 巡 っ て 戦 わ れ た。 紀元前 202 年 の 垓下 の 戦い で 項羽 が 敗 れ、 漢 王朝 が 成立 し た。
  • 垓下 (がい か) K 現在 の 中国 安徽 省 (あんき しょう) 霊壁 県 (れいへき けん) 周辺。 項羽 が 最後 に 漢 軍 に 囲 ま れ た 場所。 「垓下 の 戦い」 (紀元前 202 年) で 項羽 軍 は 壊 滅 し た。
  • 四面 楚歌 (し めん そ か) K 「四方 すべて か ら 楚 の 歌 が 聞 こ え る」 の 意。 周 り を 完全 に 敵 に 囲 ま れ、 助 け の 望 み が 絶 え た 状況 を 指 す。 本 場面 か ら 生 ま れ た 中国 ・ 日本 共通 の 故事 成 語。
  • 楚 歌 (そ か) K 項羽 の 故郷 楚 (現 在 の 中国 南部、 江蘇 ・ 安徽 ・ 湖北 一 帯) の 民謡。 漢軍 の 軍師 張良 (ちょう りょう) ら が、 楚 兵 出身 の 漢 軍 兵 に 楚 歌 を 歌わ せ、 包 囲 さ れ た 項羽 軍 の 戦 意 を 喪失 さ せ る 心理 戦 を 行 っ た。
  • 虞美人 (ぐ び じん) K 項羽 の 寵 妃 (ち ょ う ひ)。 「四面 楚歌」 の 場面 で、 項羽 と と も に 詩 を 詠み 交 わ し、 後 に 自害 し た と 伝 え ら れ る。 中国 文学 史 上 で 最 も 有名 な 女性 像 の 一 人。 「虞 美人 草」 (ヒ ナ ゲ シ) の 名 前 の 由 来。
  • 騅 (すい) K 項羽 の 愛馬。 「騅 行 か ず」 (騅 が 走 ろ う と し な い) と は、 馬 さ え 主 を 助 け る こ と が で き ぬ 絶 望 を 表 す。

考えてみよう

  1. 「四面 楚歌」 と い う 故事 成語 は、 現代 の 日本 語 で も よ く 使 わ れ ま す。 ど ん な 状 況 で 使 い ま す か? 自 分 の 経 験 か ら 例 を 挙 げ ま し ょ う。
  2. 項羽 軍 を 包 囲 し た 漢 軍 は、 な ぜ 「楚 歌」 を 歌 う 戦 術 を 取 っ た の で し ょ う か。 心 理 戦 と し て の 効 果 を 考 え ま し ょ う。
  3. 項羽 が 涙 を 流 し て 詠 ん だ 詩 「虞 (ぐ) や、 虞 や、 若 を 奈 何 せ ん」 (虞 よ、 虞 よ、 そ な た を ど う し よ う) ─ こ の 一 句 に 込 め ら れ た 思 い を、 自 分 の 言 葉 で 表 現 し ま し ょ う。
  4. 司馬遷 は 項羽 と 劉邦 の 戦 い を 描 く と き、 ど ち ら か に 肩 入 れ し て い る で し ょ う か。 そ れ と も 中 立 に 描 い て い る で し ょ う か。 本文 か ら 読 み 取 り ま し ょ う。
  5. 中国 ・ 日 本 ・ 朝 鮮 で、 『史記』 と 『論語』 は ど ち ら も 古 典 中 の 古 典 と さ れ ま す。 こ の 二 つ の 古 典 の 違 い は 何 で し ょ う か。
  6. 司馬遷 自身 が、 宮 刑 と い う 屈 辱 を 受 け な が ら も 『史記』 を 完 成 さ せ た 事 実 は、 本 書 を 読 む と き に ど の よ う な 意 味 を 持 つ で し ょ う か。

指導要領との対応

このページは、文部科学省「高等学校学習指導要領(平成30年告示)」漢文 第1学年の 以下の指導事項を意識して編集しています。

  • 古典探究 — 漢文の文章を読み、その内容や表現の特色を捉える
  • 言語文化 — 我が国の言語文化の基底にある中国古典の伝統を理解する

※ 文部科学省告示の本文ではなく、編集者による要旨の言い換えです。 正確な指導事項は文部科学省の公式資料を参照してください。

指導案 教員向け・授業展開の例

高1 漢文 で、 中国 古 典 の 名 場 面 「四面 楚歌」 を 読 む。 『論語』 (kotokokanbun1/rongo-gakuji) の 哲 学 的 文 体 と は 対 照 的 に、 『史記』 の 物 語 的 ・ 劇 的 文 体 を 体 感 で き る。 日 本 の 故 事 成 語 「四面 楚歌」 「捲 土 重 来」 な ど の 原 典 と し て 重 要。

授業時数
2時限 (各50分)
準備
本 文 (漢 文 ・ 書 き 下 し ・ 現 代 語 訳)、楚 漢 戦 争 の 地 図 と 略 年 表、司 馬 遷 略 伝、「四面 楚歌」 の 現 代 用 例 集

指導目標

  • 『史 記』 の 文 体 と 構 成 を 理 解 す る
  • 「四面 楚歌」 の 場 面 の 詳 細 を 把 握 す る
  • 司 馬 遷 の 史 家 と し て の 姿 勢 を 学 ぶ
  • 故 事 成 語 の 出 典 と し て の 古 典 を 確 認 す る

授業の流れ

  1. 1時限・10分 楚 漢 戦争 (BC 206–202) の 略 史 を 確 認
  2. 1時限・25分 「四面 楚歌」 場 面 を 漢 文 で 音 読
  3. 1時限・10分 書 き 下 し 文 と 現 代 語 訳 を 確 認
  4. 1時限・5分 振 り 返 り
  5. 2時限・20分 項羽 の 詩 「力 抜 山 兮 気 蓋 世」 を 詳 細 に 読 む
  6. 2時限・15分 司 馬 遷 の 生 涯 と 『史 記』 の 成 立
  7. 2時限・10分 故 事 成 語 と し て の 「四面 楚歌」 の 現 代 用 例
  8. 2時限・5分 振 り 返 り

発問例・議論のポイント

  • 項 羽 と 劉 邦、 ど ち ら が 「英 雄」 か?
  • 戦 争 に お け る 心 理 戦 は、 古 代 と 現 代 で ど う 違 う か?
  • 『史 記』 は 文 学 か、 歴 史 か?

発展課題

  • 司 馬 遷 『史 記』 の 他 の 名 場 面 を 読 む (鴻 門 之 会、 完 璧 帰 趙、 焼 香 三 顧 な ど)
  • 中 島 敦 『李 陵』 (高 2 国 語 で 関 連 教 材) を 読 む
  • 「故 事 成 語」 を 集 め て 出 典 を 探 す

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出典・ライセンス

  • 原文: 司馬遷 (しば せん)「史記・項羽本紀「四面楚歌」 — 司馬遷」(-91年)
  • 入力テキスト: 国民文庫 / 諸子百家 漢文叢書 (底本:『史記』全130巻のうち「項羽本紀」(項羽の伝記)。司馬遷『史記』(紀元前91年頃成立)。中国最古の通史で、二十四史の筆頭。)
  • 原文の権利: パブリックドメイン
  • 編集・語注・発問・解説: CC BY 4.0 © project_procopios contributors