君死にたまふことなかれ — 与謝野晶子
高等学校 国語 第1学年 近代詩反戦文学明治の女性詩人 目安 30 分
学習のめあて
- 与謝野晶子の代表的反戦詩を原文で読む
- 明治37年 (1904) の時代背景を理解する
- 詩が時代に対して持ちうる力を体感する
- 「天皇は戦に出てたまふな」という表現の衝撃を考える
本文
君死にたまふことなかれ ── 旅順口包囲軍の中に在る弟宗七を歎きて (与謝野晶子)
あゝをとうとよ、君を泣く
君死にたまふことなかれ
末に生まれし君なれば
親のなさけはまさりしも
親は刃をにぎらせて
人を殺せとをしへしや
人を殺して死ねよとて
二十四までを育てしや堺の街のあきびとの
旧家をほこるあるじにて
親の名を継ぐ君なれば
君死にたまふことなかれ
旅順の城はほろぶとも
ほろびずとても、何事ぞ
君は知らじな、あきびとの
家のおきてに無かりけり君死にたまふことなかれ
すめらみことは、戦に
おほみづからは出でまさね
かたみに人の血を流し
獣の道に死ねよとは
死ぬるを人のほまれとは
おほみこゝろの深ければ
もとよりいかで思されむあゝをとうとよ、戦に
君死にたまふことなかれ
過ぎにし秋を父ぎみに
おくれたまへる母ぎみは
なげきの中に、いたましく
我が子を召され、家を守り
安しと聞ける大御代も
母のしら髪はまさりぬるあえかにわかき新妻を
君わするるや、思へるや
十月も添はでわかれたる
少女ごころを思ひみよ
この世ひとりの君ならで
あゝまた誰をたのむべき
君死にたまふことなかれ
現代語訳
ああ 弟 よ、私 は 君 の こと を 泣 い て いる。
君 よ、死 ん で は い け な い。
末 っ 子 と し て 生 ま れ た 君 だ か ら、両親 の 愛情 は 一 層 深 か っ た は ず。
で も、両親 は 君 に 刃 を 握 ら せ て、「人 を 殺 せ」 と 教 え た だ ろ う か。
「人 を 殺 し て、自分 も 死 ね」 と 言 う ため に、24 歳 ま で 育 て た わ け で は な い だ ろ う。
堺 の 街 の 商人 と し て、由緒 あ る 旧 家 を 誇 る 主 (あるじ) と し て、
親 の 名 を 継 ぐ 君 だ か ら ─ 死 ん で は な ら な い。
旅順 の 要塞 が 落 ち よ う と、落 ち な か ろ う と、何 の 関係 が あ ろ う か。
君 は 知 ら な い だ ろ う が、商人 の 家 の 掟 (おきて) に は、戦 に 行 か ね ば な ら な い と は 書 い て な い。
君 よ、死 ん で は な ら な い。
天皇 (すめらみこと) は、戦 に 自 ら 出 ら れ る こ と は な い。
互 い に 人 の 血 を 流 し、獣 の 道 に 死 ね、と ─
死 ぬ こ と が 人 の 誉 れ だ、 な ど と、
天皇 の お心 が 深 け れ ば 深 い ほ ど、け っ し て お 思 い に は な ら な い は ず だ。
ああ 弟 よ、戦 で 死 ん で は な ら な い。
昨年 の 秋、父 を 亡 く さ れ た 母 ぎ み は、
そ の 悲 し み の 中 で、痛 ま し く も、我 が 子 を 召 さ れ、家 を 守 り、
平和 と 聞 か さ れ る 御代 (天皇 の 治 世) の 中 で も、母 の 白髪 は 増 え る ばか り だ。
そ し て、ま だ 若 く て 可 憐 な 新妻 を、君 は 忘 れ た か、 そ れ と も 思 い 続 け て い る か。
結婚 し て わ ず か 10 ヶ月 で 別 れ て 戦 地 に 行 っ た、君 の 妻 の 心 を 思 い み よ。
こ の 世 で 頼 れ る の は 君 だ け な の だ。
君 よ、死 ん で は な ら な い。
解説 ─ 明治 37 年 9 月、衝撃 の 発表
明治 37 年 (1904) 2 月、日 露 戦争 が 始 ま っ た。
ロシア の 旅順 要塞 を 攻略 す る た め、日本 軍 は 第 三 軍 (司令官 乃木 希典) を 派遣 し、激戦 を 繰 り 広 げ た。203 高地 の 戦 い だけ で、日本 軍 約 1 万 5 千 人 が 戦死 し た。
そ う し た 戦時 下 の 雰囲気 の 中、9 月、雑誌 『明星』 に 与謝野晶子 の こ の 詩 が 掲載 さ れ た。
そ し て、瞬 く 間 に、文学 界 ─ いや、社会 全体 ─ を 揺 さ ぶ っ た。
「天皇 は 戦 に 出 て たまふ な」 ── 反逆 の 一句
詩 の 第 3 連 に 出 て く る 一句 ──「すめらみこと は、戦 に おほみづから は 出 で ま さ ね」
(天皇 は、戦 に 自 ら 出 ら れ な い)。
こ の 表現 は、当時 の 社会 で、極 め て 危 険 な も の だ っ た。
明治 22 年 (1889) の 大日本帝国 憲法 で 「天皇 は 神聖 に し て 侵 す べ か ら ず」 と さ れ、新聞 や 雑誌 で 天皇 に 触 れ る だ け で 不敬罪 に 問 わ れ る 時代 だ っ た か ら で あ る。
晶子 は し か し、こ の 表現 で、こ う 言 い た か っ た の だ ─
「お 心 の 深 い 天皇 で あ れ ば、人々 を 戦 に 出 し て 殺 す こ と を 望 む は ず が な い」 と。
こ れ は、天皇 を 「侮辱」 し た の で は な く、「戦争 を 推 進 し て い る の は 天皇 で は な い」 と 訴 え た の だ。
だ が こ の 微 妙 な 区別 は、当時 の 多 く の 読者 に は 伝 わ ら な か っ た。
大町桂月 の 「乱臣 賊子」 批判 と 晶子 の 反論
発表 後 す ぐ、評論 家 の 大町桂月 (おおまち けいげつ、1869–1925) が、雑誌 『太陽』 で 晶子 を 激 し く 批判 し た。
「与謝野晶子 の 詩 は、皇室 中心 の 我 が 国 体 を 危 う く す る、乱臣 賊子 の 言 で あ る」 (大町桂月)
晶子 は こ の 批判 に 対 し、雑誌 『明星』 で 反論 し た。
「歌 は ま こ と の 心 を 歌 う も の。 戦時 で あ ろ う と、ま こ と を 歌 う こ と は、け っ し て 不忠 で は な い」
晶子 は 屈 し な か っ た。
そ し て、こ の 詩 と そ の 論争 は、日本 文学 史 上、「文学 と 国家」 を 巡 る 最大 級 の 事件 と し て、後世 に 記憶 さ れ る こ と と な っ た。
5 連 の リフレイン 構造
本詩 は 5 連 か ら 成 り、各 連 が 「君死 に た ま ふ こ と な か れ」 で 結 ば れ て い る。
こ の リフレイン の 重 ね 方 が、詩 全体 に 強 い 訴 求 力 を 与 え て い る。
| 連 | 視点 | 誰 の 立場 か ら |
|---|---|---|
| 第 1 連 | 「君 を 育 て た 両親」 の 視点 | 育 て た 親 の 愛情 |
| 第 2 連 | 「商人 の 家」 の 視点 | 家業 を 継 ぐ べ き 立場 |
| 第 3 連 | 「天皇 と 国民」 の 視点 | 政治 へ の 反問 |
| 第 4 連 | 「母 ぎ み」 の 視点 | 父 を 亡 く し た 母 |
| 第 5 連 | 「新妻」 の 視点 | 残 さ れ た 若妻 |
詩 は、弟 を 取 り 巻 く 家族 全員 の 心情 を 順 に 描 き 出 す。
そ し て 最後 の 第 5 連、新妻 へ の 思 い で 終 わ る ── こ こ に 晶子 の 詩 人 と し て の 力量 が 凝縮 さ れ て い る。
そ の 後 ─ 弟 は 生 き て 帰 っ た
詩 の 力 も あ っ た か、晶子 の 弟・鳳籌三郎 は、日露戦争 を 生 き 延 び て 帰国 し た。
そ し て、堺 の 老舗 駿河屋 (す る が や) を 継 い だ。
晶子 は、そ の 後 も 多 く の 詩 を 書 き、12 人 の 子 を 育 て、女性 解放 運動・平和 運動 で も 活躍 し た。
そ し て、太平洋 戦争 の 真 っ た だ 中、昭和 17 年 (1942)、東京 で 64 歳 で 亡 く な っ た。
1904 年 か ら 2026 年 へ
本詩 が 発表 さ れ て か ら、122 年 が 経 つ。
そ の 間、人類 は 二 度 の 世界 大戦、冷戦、地域 紛争、テロ、そ し て 2020 年代 に 入 っ て も な お 続 く 戦争 を 経験 し て き た。
晶子 が 突 き 付 け た 問 い ──「人 を 殺 し て 死 ね と 教 え る た め に、24 歳 ま で 育 て た の か」── は、 残念 な が ら、今 も 私 た ち の 前 に 突 き 付 け ら れ た ま ま で あ る。
詩 が 時代 に 対 し て 持 ち う る 力 ── そ れ は、いつ の 時代 に も、ひと り の 人間 の 「ま こ と の 心」 か ら し か 生 ま れ な い。
与謝野晶子 が 122 年 前 に 教 え て く れ た こ と で あ る。
語句の意味
各見出し語をクリックすると、外部辞書で詳しい意味を調べられます。 ※ Wiktionary について
- 与謝野晶子 (よさの あきこ) K 1878–1942。大阪府堺市生まれ。本名 鳳 志やう (ほう しょう)。明治37年に第一歌集『みだれ髪』を刊行し、近代日本の女性詩人として最高峰となった。夫は詩人の与謝野鉄幹 (1873–1935)。12 人の子を産み、平和論・女性解放論でも活躍した。
- 君死にたまふことなかれ K 「君よ、死んではいけない」。「君」は晶子の実の弟・鳳籌三郎 (ほう ちゅうざぶろう)。日露戦争 (1904–1905) で陸軍第二軍に従軍し、旅順攻囲戦に参加していた。副題に「旅順口包囲軍の中に在る弟宗七を歎きて」とある (「宗七」は通称)。
- 旅順 (りょじゅん) K 中国遼東半島の南端、現在の中国遼寧省大連市旅順口区。日露戦争中、ロシア軍の要塞があり、日本軍は何度も総攻撃を仕掛けた。203 高地の戦い (1904 年 12 月) で日本軍は約 6 万人の死傷者を出した。日露戦争最大の激戦地。
- 鳳籌三郎 (ほう ちゅうざぶろう) K 与謝野晶子の実の弟。本詩発表時、日露戦争に陸軍兵士として従軍中。詩の力もあってか無事に帰国した。
- 明星 (みょうじょう) K 与謝野鉄幹・晶子を中心とした浪漫主義詩歌雑誌 (1900–1908)。北原白秋・石川啄木・木下杢太郎など、多くの近代詩人を輩出した。本詩は明治37年9月号に掲載された。
- 大みこゝろ (おおみこころ) K 天皇のお心。「天皇のお心は戦を望んでいない」と詩は主張する。
- けものの道 (けものの みち) K 「獣 (けもの) のする所業」「人としての道理に反すること」。「人を殺せと教えることが、けものの道だろうか」と詩は問う。
- 旧家 (きうか / きゅうか) K 古くから続く家柄。「あきびとの家」(商人の家) は、武家ではないこと、戦に出ねばならない家柄ではないことを示す。
- 大阪堺 (おおさか さかい) K 大阪の堺市。晶子の実家「鳳家」は堺の老舗の和菓子店「駿河屋」だった。晶子は鳳家の三女として生まれた。
- 暖簾 (のれん) K 商家の入口にかかる布。家業の象徴。「親のなさけは増さりしも」と詩は、戦に出る息子を残された母の悲しみを描く。
- 反戦詩 (はんせん し) K 戦争に反対する詩。本作は近代日本文学最初の本格的反戦詩とされ、現在の高校国語教科書にもよく載っている。
考えてみよう
- 本詩は 5 連 から なる 長詩 です。 各 連 が 「君死にたまふ こと なかれ」 で 結ばれて いる 構造 に 注目 し ましょう。 リフレイン (繰り返し) の 効果 は 何 でしょう か。
- 「天皇は戦に出てたまふな」── この一節は当時、大変な物議を醸しました。なぜ「天皇」を持ち出した表現が、明治37年の社会に衝撃を与えたのでしょうか。
- 晶子は「君が父」「君が母」「君が新妻」と、弟を取り巻く家族の心情を順に描いていきます。なぜこの順序で描いたのでしょうか。
- 本詩の発表後、評論家の大町桂月 (おおまち けいげつ) は「乱臣賊子 (国家への謀反人)」と晶子を激しく批判しました。晶子はどう反論したでしょうか? (歴史を調べてみましょう)
- あなたが、もし戦地に近い親しい人を送り出す立場だったら、どんな詩を書きますか。
- 現代の戦争 (ウクライナ、中東など) を念頭に、晶子の問いかけ「君死にたまふことなかれ」は、いまも有効でしょうか。
指導要領との対応
このページは、文部科学省「高等学校学習指導要領(平成30年告示)」国語 第1学年の 以下の指導事項を意識して編集しています。
- 文学国語 — 近代以降の詩を読み、表現の特色と作者の心情を捉える
- 言語文化 — 近代文学が問うた人間と社会の関わりを理解する
※ 文部科学省告示の本文ではなく、編集者による要旨の言い換えです。 正確な指導事項は文部科学省の公式資料を参照してください。
指導案 教員向け・授業展開の例
高1 国語の詩教材として、近代日本最大の反戦詩を読む。 明治37年という時代 (日露戦争・国民総動員) を背景に、一人の女性が「君死にたまふことなかれ」と書いた勇気を体感する。 現代の戦争・平和の問題と直接結びつけて読みたい。
指導目標
- 与謝野晶子の文体とリフレインの効果を理解する
- 明治37年の社会状況を把握する
- 「天皇は戦に出てたまふな」という表現の意味を考察する
- 反戦詩というジャンルの可能性を体感する
授業の流れ
- 1時限・10分 日露戦争 (1904–1905) と明治37年の状況を確認
- 1時限・25分 全 5 連を音読・現代語訳
- 1時限・15分 「君死にたまふことなかれ」のリフレインの効果を分析
- 2時限・15分 「天皇は戦に出てたまふな」の論争を検討
- 2時限・20分 大町桂月の批判と晶子の反論を読む
- 2時限・15分 現代の戦争詩と比較
発問例・議論のポイント
- 詩で戦争に抵抗することはできるか?
- 晶子は12人の子を産んだ。多産と反戦の関係は?
- 戦時下に「弟を案じる」ことは、利己的か、それとも普遍的か?
発展課題
- 与謝野晶子『みだれ髪』(1901) の他の作品を読む
- 同時代の幸徳秋水『廿世紀の怪物帝国主義』との比較
- 戦後の反戦詩 (峠三吉『原爆詩集』など) との比較
- 現代のアンチウォー・ソング (米国フォーク等) との比較
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出典・ライセンス
- 原文: 与謝野晶子 (よさの あきこ)「君死にたまふことなかれ — 与謝野晶子」(1904年)
- 入力テキスト: 雑誌『明星』掲載 (明治37年・1904年9月号) (底本:与謝野晶子「君死にたまふことなかれ — 旅順口包囲軍の中に在る弟宗七を歎きて」(明治37年・1904)。日露戦争のさなか、第二軍に従軍する弟・籌三郎を案じて書かれた長詩。)
- 原文の権利: パブリックドメイン
- 編集・語注・発問・解説: CC BY 4.0 © project_procopios contributors