線香花火(『備忘録』より)

中学校 理科 第1学年 科学随筆観察と探究 目安 20 分

作者
寺田寅彦(1878–1935)
原作発表
1927 年
出典
青空文庫
底本:「寺田寅彦随筆集 第二巻」岩波文庫、岩波書店、1947年9月10日初版発行(1997年5月6日第70刷を入力に使用)

学習のめあて

  • 寺田が線香花火の四段階(蕾/松葉/柳/散り菊)を、視覚・聴覚・音楽の比喩でどう描き分けているかを読み取る
  • 「文献に見当たらない」という理由で誰も研究しなかった対象に、寺田が研究の価値を見出した過程をたどる
  • 「われわれの足元に埋もれている宝」とは何か、自分の身の回りで見つけられるかを考える

本文

 夏の夜に小庭の縁台で子供らのもてあそぶ線香花火にはおとなの自分にも強い誘惑を感じる。これによって自分の子供の時代の夢がよみがえって来る。今はこの世にない親しかった人々の記憶がよび返される。

 はじめ先端に点火されてただかすかにくすぶっている間の沈黙が、これを見守る人々の心をまさにきたるべき現象の期待によって緊張させるにちょうど適当な時間だけ継続する。次には火薬の燃焼がはじまって小さな炎が牡丹ぼたんの花弁のように放出され、その反動で全体は振り子のように揺動する。同時に灼熱しゃくねつされた熔融塊ようゆうかいの球がだんだんに生長して行く。炎がやんで次の火花のフェーズに移るまでの短い休止期ポーズがまた名状し難い心持ちを与えるものである。火の球は、かすかな、ものの煮えたぎるような音を立てながら細かく震動している。それは今にもほとばしり出ようとする勢力エネルギーが内部に渦巻うずまいている事を感じさせる。突然火花の放出が始まる。目に止まらぬ速度で発射される微細な火弾が、目に見えぬ空中の何物かに衝突して砕けでもするように、無数の光の矢束となって放散する、その中の一片はまたさらに砕けて第二の松葉第三第四の松葉を展開する。この火花の時間的ならびに空間的の分布が、あれよりもっと疎であってもあるいは密であってもいけないであろう。実に適当な歩調と配置で、しかも充分な変化をもって火花の音楽が進行する。この音楽のテンポはだんだんに早くなり、密度は増加し、同時に一つ一つの火花は短くなり、火の矢の先端は力弱くたれ曲がる。もはや爆裂するだけの勢力のない火弾が、空気の抵抗のためにその速度を失って、重力のために放物線を描いてたれ落ちるのである。荘重なラルゴで始まったのが、アンダンテ、アレグロを経て、プレスティシモになったと思うと、急激なデクレスセンドで、哀れにさびしいフィナーレに移って行く。私の母はこの最後のフェーズを「散り菊」と名づけていた。ほんとうに単弁の菊のしおれかかったような形である。「チリギクチリギク/\」こう言ってはやして聞かせた母の声を思い出すと、自分の故郷における幼時の追懐が鮮明によび返されるのである。あらゆる火花のエネルギーを吐き尽くした火球は、もろく力なくポトリと落ちる、そしてこの火花のソナタの一曲が終わるのである。あとに残されるものは淡くはかない夏の宵闇よいやみである。私はなんとなくチャイコフスキーのパセティクシンフォニーを思い出す。

 実際この線香花火の一本の燃え方には、「序破急」があり「起承転結」があり、詩があり音楽がある。

 ところが近代になってはやり出した電気花火とかなんとか花火とか称するものはどうであろう。なるほどアルミニウムだかマグネシウムだかの閃光せんこうは光度において大きく、ストロンチウムだかリチウムだかの炎の色は美しいかもしれないが、始めからおしまいまでただぼうぼうと無作法に燃えるばかりで、タクトもなければリズムもない。それでまたあの燃え終わりのきたなさ、曲のなさはどうであろう。線香花火がベートーヴェンのソナタであれば、これはじゃかじゃかのジャズ音楽である。これも日本固有文化の精粋がアメリカの香のする近代文化に押しのけられて行く世相の一つであるとも言いたくなるくらいのものである。

 線香花火の灼熱した球の中から火花が飛び出し、それがまた二段三段に破裂する、あの現象がいかなる作用によるものであるかという事は興味ある物理学上ならびに化学上の問題であって、もし詳しくこれを研究すればその結果は自然にこれらの科学の最も重要な基礎問題に触れて、その解釈はなんらかの有益な貢献となりうる見込みがかなりに多くあるだろうと考えられる。それで私は十余年前の昔から多くの人にこれの研究を勧誘して来た。特に地方の学校にでも奉職していて充分な研究設備をもたない人で、何かしらオリジナルな仕事がしてみたいというような人には、いつでもこの線香花火の問題を提供した。しかし今日までまだだれもこの仕事に着手したという報告に接しない。結局自分の手もとでやるほかはないと思って二年ばかり前に少しばかり手を着けはじめてみた。ほんの少しやってみただけで得られたわずかな結果でも、それははなはだ不思議なものである。少なくもこれが将来一つの重要な研究題目になりうるであろうという事を認めさせるには充分であった。

 このおもしろく有益な問題が従来だれも手を着けずに放棄されてある理由が自分にはわかりかねる。おそらく「文献中に見当たらない」、すなわちだれもまだ手を着けなかったという事自身以外に理由は見当たらないように思われる。しかし人が顧みなかったという事はこの問題のつまらないという事には決してならない。

 もし西洋の物理学者の間にわれわれの線香花火というものが普通に知られていたら、おそらくとうの昔にだれか一人や二人はこれを研究したものがあったろうと想像される。そしてその結果がもし何かおもしろいものを生み出していたら、わが国でも今ごろ線香花火に関する学位論文の一つや二つはできたであろう。こういう自分自身も今日まで捨ててはおかなかったであろう。

 近ごろフランス人で刃物を丸砥石まるといしでとぐ時に出る火花を研究して、その火花の形状からその刃物の鋼鉄の種類を見分ける事を考えたものがある。この人にでも提出したら線香花火の問題も案外早く進行するかもしれない。しかしできる事なら線香花火はやはり日本人の手で研究したいものだと思う。

 西洋の学者の掘り散らした跡へはるばる遅ればせに鉱石の欠けらを捜しに行くもいいが、われわれの足元に埋もれている宝をも忘れてはならないと思う。しかしそれを掘り出すには人から笑われ狂人扱いにされる事を覚悟するだけの勇気が入用である。

語句の意味

  • 牡丹(ぼたん)の花弁 線香花火が点火直後に小さな炎を放つ「蕾(つぼみ)」の段階を、牡丹の花びらに見立てている。
  • 灼熱(しゃくねつ)した熔融塊(ようゆうかい)の球 線香花火の先端で形成される、赤くドロドロに溶けた火薬の球体。ここから火花が飛び出す。
  • フェーズ 「相」「段階」。英語 phase。寺田は線香花火を「フェーズ」の音楽として捉えた。
  • ラルゴ/アンダンテ/アレグロ/プレスティシモ 音楽の速度記号。「ゆっくり/歩く速さで/速く/非常に速く」。線香花火のテンポの変化を音楽用語で表現。
  • デクレッシェンド(デクレスセンド) 音楽用語で「だんだん弱く」。線香花火が終わりに向かう様子。寺田の原文は「デクレスセンド」と表記されているが、現在の標準は「デクレッシェンド」。
  • フィナーレ 楽曲の終結部。線香花火の最後の「散り菊」の段階に対応。
  • パセティクシンフォニー 「悲愴交響曲」。チャイコフスキー作曲、彼の死の直前に書かれた最後の交響曲(第6番)。
  • 序破急(じょはきゅう) 日本の伝統芸能(雅楽・能・茶道など)における三段構成の原理。「ゆっくり始まり、変化し、急に終わる」。
  • 起承転結(きしょうてんけつ) 漢詩の構成原理。「ものごとを起こし、受け、転じ、結ぶ」。
  • 散り菊(ちりぎく) 寺田の母が呼んだ、線香花火の最終段階の名称。落ちかけた菊の花にたとえた呼び名。
  • 西洋の学者の掘り散らした跡 西洋で既に研究され尽くした分野。寺田は、それを追いかけるよりも日本独自の素材(線香花火)に着目せよと言う。

考えてみよう

  1. 寺田は線香花火を四つのフェーズに分けて描写しています。それぞれのフェーズの特徴を、本文の言葉を引いて整理しましょう。
  2. 「線香花火がベートーヴェンのソナタであれば、これはじゃかじゃかのジャズ音楽である」という比喩で、寺田は近代花火(電気花火)の何を批判しているのでしょうか。
  3. 寺田は「私は十余年前の昔から多くの人にこれの研究を勧誘して来た」と書きます。なぜ誰もこの研究に着手しなかったと寺田は推測していますか。本文から該当箇所を見つけましょう。
  4. 「われわれの足元に埋もれている宝をも忘れてはならない」という結びに、寺田の科学観・研究観が表れています。これを現代の私たちに引き付けると、どのようなメッセージになりますか。
  5. あなたの身の回りで、「線香花火」のように、当たり前すぎて誰も観察しない/研究しない素材を一つ挙げ、なぜそれが研究対象になりうるか考えてみましょう。

指導要領との対応

このページは、文部科学省「中学校学習指導要領(平成29年告示)」理科 第1学年の 以下の指導事項を意識して編集しています。

  • 中1 第1分野 — 光と音、燃焼、エネルギーの変換
  • 中1 第1分野 — 化学変化と物質量の関係
  • 学びに向かう力 — 身近な現象に物理学・化学のまなざしを向け、未解明の問題に挑む態度

※ 文部科学省告示の本文ではなく、編集者による要旨の言い換えです。 正確な指導事項は文部科学省の公式資料を参照してください。

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出典・ライセンス

  • 原文: 寺田寅彦「線香花火(『備忘録』より)」(1927年)
  • 入力テキスト: 青空文庫 (底本:「寺田寅彦随筆集 第二巻」岩波文庫、岩波書店、1947年9月10日初版発行(1997年5月6日第70刷を入力に使用))
  • 原文の権利: パブリックドメイン
  • 編集・語注・発問・解説: CC BY 4.0 © project_procopios contributors