金米糖(金平糖)— 『備忘録』より

中学校 理科 第1学年 科学随筆観察と探究 目安 25 分

作者
寺田寅彦(1878–1935)
原作発表
1927 年
出典
青空文庫
底本:「寺田寅彦随筆集 第二巻」岩波文庫、岩波書店、1947年9月10日初版発行(1997年5月6日第70刷を入力に使用)

学習のめあて

  • 「対称性から考えると球になるはず」という素朴な予想と、現実の金平糖の角がぶつかる「パラドックス」を理解する
  • 「統計的平均」と「個体のゆらぎ」の区別という、現代物理学の重要な観点に触れる
  • 寺田の思考が「金米糖 → 物質と生命 → 生命の起源」へと広がっていく構造を追い、随筆の「飛躍」のおもしろさを味わう

本文

 金米糖こんぺいとうという菓子は今日ではちょっと普通の菓子屋駄菓子屋だがしやには見当たらない。聞いてみるとキャラメルやチョコレートにだんだん圧迫されて、今ではこれを製造するものがきわめてまれになったそうである。もっとも小粒で青黄赤などに着色して小さなガラスびんに入れて売っているのがあるが、あれは少し製法がちがうそうである。

 この金米糖のできあがる過程が実に不思議なものである。私の聞いたところでは、純良な砂糖に少量の水を加えてなべの中で溶かしてどろどろした液体とする。それに金米糖の心核となるべき芥子粒けしつぶを入れて杓子しゃくし攪拌かくはんし、しゃくい上げしゃくい上げしていると自然にああいう形にできあがるのだそうである。

 中に心核があってその周囲に砂糖が凝固してだんだんに生長する事にはたいした不思議はない。しかしなぜあのようにつのを出して生長するかが問題である。

 物理学では、すべての方向が均等な可能性をもっていると考えられる場合には、対称シンメトリーの考えからすべての方面に同一の数量を付与するを常とする。現在の場合に金米糖が生長する際、特にどの方向に多く生長しなければならぬという理由が考えられない、それゆえに金米糖は完全な球状に生長すべきであると結論したとする。しかるに金米糖のほうでは、そういう論理などには頓着とんちゃくなく、にょきにょきと角を出して生長するのである。

 これはもちろん論理の誤謬ごびゅうではない。誤った仮定から出発したために当然に生まれた誤った結論である。このパラドックスを解くかぎはどこにあるかというと、これは畢竟ひっきょう、統計的平均についてはじめて言われうるすべての方向の均等性という事を、具体的に個体にそのまま適用した事が第一の誤りであり、次には平均からの離背が一度でき始めるとそれがますます助長されるいわゆる不安定の場合のある事を忘れたのが第二の誤りである。

 平均の球形からの偶然な統計的異同 fluctuation が、一度少しでもできて、そうしてそのためにできた高い所が低い所よりも生長する割合が大きくなるという物理的条件さえあればよい。現在の場合にこの条件が何であるかはまだよくわからないが、そのような可能性はいくらも考え得られる。

 おもしろい事には金米糖の角の数がほぼ一定している、その数を決定する因子が何であるか、これは一つのきわめて興味ある問題である。

 従来の物理学ではこの金米糖の場合に問題となって来るような個体のフラクチュエーションの問題が多くは閑却されて来た。その異同がいつも自働的に打ち消されるような条件の備わった場合だけが主として取り扱われて来た。そうでない不安定の場合は、言わば見ても見ぬふりをして過ぎて来た。畢竟はそういうものをいかにして取り扱ってよいかという見当がつかなかったせいもあろうが、一つにはまた物理学がその「伝統の岩窟がんくつ」にはまり込んで安きをぬすんでいたためとも言われうる。

 物理学上における偶然異同の現象の研究は近年になっていくらか新しい進展の曙光しょこうを漏らし始めたように見えるが、今のところまだまだその研究の方法も幼稚で範囲もはなはだ狭い。

 そういう意味から、金米糖の生成に関する物理学的研究は、その根本において、将来物理学全般にわたっての基礎問題として重要なるべきあるものに必然に本質的に連関して来るものと言ってもよい。

 同じ意味で将来の研究問題と考えられる数々の現象の一つは、リヒテンベルクの放電図形である。これも従来はほとんど骨董的こっとうてき題目だいもくとして閑却され、たまたまこれを研究する好事家こうずかは多くの学者の嘲笑ちょうしょうを買ったくらいである。ところが皮肉な事には最近に至ってこの現象が電気工学で高圧の測定に応用される可能性が認められるようになって、だんだんこの研究に従事する人の数を増すように見える。しかし今までのところまだだれもこの現象の成因について説明を試みた人はない。しかるにこの現象はその根本の性質上おのずから金米糖の生成とある点まで共通な因子をもっている。そしておそらく将来ある「一つの石によって落とさるべき二つの鳥」である。

 生物学上の「生命」の問題に対しては、今のところ物理学はなんら容喙ようかいの権利をもたない。ロード・ケルヴィンは地球上の生命の種子が光圧によって星の世界から運ばれたという想像を述べた。しかしそれは生命そのものの起原に対しては枝葉の問題である。今のままの物理学ではおそらく永久に無力であろうが、もし物理学上の統計的異同の研究が今後次第に進歩して行けばこの方面から意外の鍵が授けられて物質と生命との間に橋を架ける日が到着するかもしれないという空想が起こる。

 街上を往来している人間の数についてある統計を取ってみると、その結果は、個々の人間もあたかも無生のガス分子ででもあると同様な統計的分布を示す事が証明される。もし人間以外のあるものが他の世界からこれら街上の人間についてただこのような統計的分布に関係した事がらのみを観察していたならば、そのものの目には、人間は無生の微分子としか見えないであろう。そうして、その同じ微分子が、一方で有機的な国家社会的の機関を構成しているのを見てその有機体の生命の起原を疑い怪しむに相違ない。

 このアナロジーから喚起される一つの空想は、もしや生命の究極の種が一つ一つの物質分子の中にすでに備わっているのではないかという事である。物理学者はおそらくただその統計的の現われのみを観察しているのではないだろうか、そうして無生の微粒と思っているものが生物という国家を作り社会を組織しているのに会って驚き怪しんでいるのではないだろうか。

 同一元素の分子の個々のものに個性の可能性を認めようとした人は前にもあった。ついでに原子個々にそれぞれ生命を付与する事によって科学の根本に横たわる生命と物質の二元をひとまとめにする事はできないものだろうか。

 金米糖の物理から出発したのが、だんだんに空想の梯子はしごをよじ登って、とうとう千古の秘密のなぞである生命の起原にまでも立ち入る事になったのはわれながら少しく脱線であると思う。近年の記録を破ったことしの夏の暑さに酔わされた痴人の酔中語のようなものであると見てもらうほうが適当かもしれない。

 それにしてもこのおもしろい金米糖が千島ちしまアイヌかなんぞのように滅びて行くのは惜しい。天然物保存に骨を折る人たちは、ついでにこういうものの保存も考えてもらいたいものである。

語句の意味

  • 金米糖(こんぺいとう) ポルトガル語「コンフェイト(confeito)」から。砂糖と少量の水を煮詰めた液体に芥子粒(けしつぶ)を入れて回しながら作る、角のある球状のお菓子。「金平糖」とも書く。
  • 心核(しんかく) 金平糖の中心に入れる芥子粒。これがないと砂糖の結晶が育たない。
  • 攪拌(かくはん) かき混ぜること。
  • 対称(シンメトリー) ある方向と別の方向に違いがないこと。物理学では「対称性が高いほど結果も対称的になる」と予想することが多い。
  • 頓着(とんちゃく) 気にすること。「頓着なく」=かまわず。
  • 誤謬(ごびゅう) 論理の誤り。「これは誤謬ではない」=論理的にはまちがっていない、ただし前提が間違っていた。
  • パラドックス 一見もっともらしい論理から、現実と矛盾する結論が出る逆説。「金平糖は球になるはず、なのに角がある」がここでの逆説。
  • 畢竟(ひっきょう) つまるところ、結局のところ。
  • 統計的平均 多くの個体を集めて取った平均値。個々の「ゆらぎ」を打ち消した姿。
  • フラクチュエーション(fluctuation) 「ゆらぎ」「異同」。平均値からの偶然のずれ。
  • 不安定(不安定性) 一度ずれが生じると、そのずれがどんどん拡大していく状態。寺田は金平糖の角の発生をこの不安定で説明しようとした。先見の明である。
  • リヒテンベルクの放電図形 高電圧の放電が誘電体(絶縁体)の上に作る、樹枝状・扇形の電気的痕跡。当時は「骨董的」と見られていたが、現代では電力工学やフラクタル研究に欠かせない。
  • 容喙(ようかい) くちばしを差し入れる、つまり口出しすること。
  • ロード・ケルヴィン ウィリアム・トムソン(1824-1907)。イギリスの物理学者、絶対温度の単位ケルビン(K)の名で知られる。
  • アナロジー 類推。あるものを別のものに見立てて、共通点から推論する思考法。
  • 千島(ちしま)アイヌ 千島列島(北方の島々)に住んでいたアイヌの人々。寺田が書いた1927年頃にはすでに激減していた。寺田は金平糖の消えゆく運命をこれにたとえている。

考えてみよう

  1. 寺田は「対称性から考えると金米糖は球になるはず」と論理を立てます。それなのに現実は球にならない。寺田はこのパラドックスを解く鍵として、二つの「誤り」を指摘しています。それらを本文の言葉で書き出しましょう。
  2. 金平糖の角ができる仕組みについて、寺田は「平均からの離背が一度でき始めるとそれがますます助長される」と述べます。この「不安定」の例を、あなたの身の回り(自然・社会のどちらでも)で考えてみましょう。
  3. 「金米糖の物理から出発したのが、だんだんに空想の梯子をよじ登って、とうとう千古の秘密のなぞである生命の起原にまでも立ち入る事になった」と寺田は自ら振り返ります。彼が金平糖から「生命」へ飛躍するときに用いた橋(アナロジー)は、本文のどこに書かれていますか。
  4. 「同一元素の分子の個々のものに個性の可能性を認めようとした人は前にもあった」と寺田は書きます。これはどういう意味でしょうか。あなたの言葉で説明しましょう。
  5. 現在、金平糖の角の数は実は「平均で20〜30程度」になることが知られ、その仕組みは寺田が予言した「不安定性」によることが研究で示されています。寺田の80年前の問いかけが現代の科学につながった例として、調べたうえで短くまとめてみましょう。

指導要領との対応

このページは、文部科学省「中学校学習指導要領(平成29年告示)」理科 第1学年の 以下の指導事項を意識して編集しています。

  • 中1 第1分野 — 物質の状態変化と粒子のふるまい
  • 学びに向かう力 — 対称性・統計・確率の素朴な概念に親しみ、当たり前に見える現象を不思議として捉え直す態度

※ 文部科学省告示の本文ではなく、編集者による要旨の言い換えです。 正確な指導事項は文部科学省の公式資料を参照してください。

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出典・ライセンス

  • 原文: 寺田寅彦「金米糖(金平糖)— 『備忘録』より」(1927年)
  • 入力テキスト: 青空文庫 (底本:「寺田寅彦随筆集 第二巻」岩波文庫、岩波書店、1947年9月10日初版発行(1997年5月6日第70刷を入力に使用))
  • 原文の権利: パブリックドメイン
  • 編集・語注・発問・解説: CC BY 4.0 © project_procopios contributors