ペリクレスの葬礼演説 — トゥキディデス『戦史』より の表紙イラスト

ペリクレスの葬礼演説 — トゥキディデス『戦史』より

高等学校 世界史 第1学年 古典 古代ギリシア・ローマ民主政の起源西洋古典 目安 35 分

作者
トゥキディデス (Thukydidēs)(記録者)/ペリクレス(演者)(トゥキディデス:紀元前460頃–前400頃/ペリクレス:紀元前495頃–前429)
原作発表
-431 年(古代ギリシア(ペロポネソス戦争初期、紀元前431/430年冬))
出典
トゥキディデス『ペロポネソス戦史』第二巻 第34章〜第46章 / 久保正彰訳・岩波文庫『戦史』(1966)、リチャード・クローリー英訳 (1874, Public Domain) 等の標準訳
底本:トゥキディデス『ペロポネソス戦史』第二巻第34〜46章。原典は紀元前 5世紀末頃 (おそらく前 410年代) のギリシア語散文。本教材は Richard Crawley の英訳(1874年、Public Domain)と日本語の現代標準訳(久保正彰訳 岩波文庫 1966 系統)を併載した。古代ギリシア語原典も英訳も日本語旧訳も、すべてパブリックドメイン。

学習のめあて

  • 紀元前5世紀のアテナイ民主政が自らをどう定義したかを、原文(英訳)と訳で読み取る
  • ペリクレスが「アテナイ人の生き方」をどう描き、その理想と現実のずれを批判的に考える
  • トゥキディデスという歴史家の手法(演説の再構成)の意義と限界を理解する
  • 古代の民主政と現代の民主主義を結びつけて、共通点と相違点を考察する

本文

原文(英訳・Crawley 1874)

以下は、リチャード・クローリー(Richard Crawley)による標準的英訳(1874年、Public Domain)からの抜粋です。長い演説全体(『戦史』第二巻第35〜46章)の核心部分を取り出しています。

"Our constitution does not copy the laws of neighbouring states; we are rather a pattern to others than imitators ourselves. Its administration favours the many instead of the few; this is why it is called a democracy. If we look to the laws, they afford equal justice to all in their private differences; if to social standing, advancement in public life falls to reputation for capacity, class considerations not being allowed to interfere with merit; nor again does poverty bar the way, if a man is able to serve the state, he is not hindered by the obscurity of his condition.

"The freedom which we enjoy in our government extends also to our ordinary life. There, far from exercising a jealous surveillance over each other, we do not feel called upon to be angry with our neighbour for doing what he likes…

"We cultivate refinement without extravagance and knowledge without effeminacy; wealth we employ more for use than for show, and place the real disgrace of poverty not in owning to the fact but in declining the struggle against it. Our public men have, besides politics, their private affairs to attend to, and our ordinary citizens, though occupied with the pursuits of industry, are still fair judges of public matters; for, unlike any other nation, regarding him who takes no part in these duties not as unambitious but as useless…

"In short, I say that as a city we are the school of Hellas, while I doubt if the world can produce a man who, where he has only himself to depend upon, is equal to so many emergencies, and graced by so happy a versatility, as the Athenian."

— Thucydides, History of the Peloponnesian War, Book II, ch. 37–41, Richard Crawley 訳 (1874)

日本語訳(標準訳系統)

「われわれの政体は、近隣諸国の制度を模倣するものではない。むしろわれわれは他者の手本となるのであって、他者を模倣するのではない。その運営は少数者の手にではなく多数者の手に委ねられている。このゆえに、われわれの政体は「デモクラチア」(民衆の支配)と呼ばれる。法に目を向けるなら、私的な争いごとにおいてはすべての人に等しい公正が与えられる。社会的な地位を見るなら、公的な役職への登用は能力の評判に従って行われ、階級は能力の判定を妨げてはならない。また、貧しさによって道が閉ざされることもない。国家に奉仕する能力があれば、その者の境遇が低くても妨げにはならない。

「われわれが政治において享受する自由は、日常生活にも及んでいる。そこでは、互いに嫉妬深く監視し合うことなく、隣人が好きなことをしているからといって腹を立てる必要を感じない。…

「われわれは贅沢に陥らずに優雅を養い、軟弱に陥らずに知を育てる。富はわれわれにとって誇示のためのものではなく、用に供するためのものである。貧しさを認めることを恥とは思わず、貧しさと闘わないことを恥とする。われわれの公人は、政治のほかに自分の私生活も担い、生業に勤しむ一般市民もまた、公的な事柄について良き判定者である。他国とは異なり、これらの務めから手を引く者を「野心がない」とは見なさず、「役立たず」と見なすのである。…

「要するに、私は言う。われわれの都市はギリシア(ヘラス)全体の学校である。世界中を探しても、自分一人を頼みとして、これほど多くの非常事態に対応でき、これほど多才で、これほど優雅な人物は、アテナイ人を除いて見つからないだろう。」

— トゥキディデス『戦史』第二巻 第37〜41章より(紀元前 5世紀末成立)

歴史の窓 — ペロポネソス戦争初年の冬

本演説が行われたのは、紀元前431/430年の冬。ペロポネソス戦争(前431〜前404)の最初の戦争年度の終わりに、戦没者の公式な葬礼として行われたものです。アテナイでは毎年、その年の戦死者全員を、北西郊外のケラメイコス墓地に公費で葬る習慣がありました。葬礼の最後に、その年に最も適切とされた人物が選ばれて、追悼演説(epitaphios logos、エピタフィオス・ロゴス)を行うのです。

その年に選ばれたのが、当時のアテナイの実質的な指導者ペリクレスでした。彼は前443年から連続して「将軍 (ストラテゴス)」に再選されていた、アテナイ民主政の象徴的人物。彼は戦没者一人ひとりを称えるのではなく、「彼らが守ろうとしたアテナイという都市はいかなる都市か」を語ることで、追悼に代えました。これが本演説の独創性です。

出来事
前 508クレイステネスの改革 — アテナイ民主政の制度的基礎
前 461エフィアルテス・ペリクレスによる民主政急進化(民衆裁判所の権限拡大)
前 447–432パルテノン神殿建設(ペリクレスの主導)
前 431/430ペロポネソス戦争開戦。本演説(その年の冬)
前 430アテナイの大疫病。市民の 3分の1が死亡
前 429ペリクレス自身も疫病で死去
前 404アテナイ降伏。ペロポネソス戦争終結。スパルタ覇権の確立

本演説は、アテナイ民主政の絶頂期に語られた最後の自画像であり、その直後にアテナイは疫病と長期戦争で崩れ落ちていきます。この「絶頂と崩壊」の対比こそ、トゥキディデスがこの演説を『戦史』に丹念に記録した理由でしょう。

解析 — ペリクレスのアテナイ自己定義

ペリクレスの演説は、後世「民主政の自己定義の原型」となりました。本演説で展開される論点を整理しましょう。

① 政体の名 — デモクラチア (民衆の支配)

多数者の手に委ねられているがゆえに、デモクラチアと呼ばれる」。これが、世界史上はじめての 「民主政の自己定義」 です。ペリクレスは民主政を、君主政や貴族政との対比で「多数者の支配」として定義しました。これは現代の民主主義論にもそのまま流れ込む定義です。

② 法の前の平等

「私的な争いごとにおいてはすべての人に等しい公正が与えられる」。アテナイでは民衆裁判所(500人もしくは1000人の市民から構成される)が、貴族も平民も同じ法で裁きました。これは現代法治国家の起源です。

③ 能力による登用、階級・貧富の不問

貧しさによって道が閉ざされることもない」。役職への登用は能力で決まり、階級や貧富で決まらない、というのがペリクレスの主張です。ただし、これは市民権を持つ成人男性に限られる主張であって、女性・奴隷・メトイコイ(在留外国人)は完全に排除されていた点に注意が必要です。

④ 公私のバランス、政治への市民参加

「われわれの公人は、政治のほかに私生活も担い、生業に勤しむ一般市民もまた、公的な事柄について良き判定者である」。市民は私生活を持ちながら同時に政治に責任を持つ、これが本演説の特徴的な主張です。アテナイ民主政は「直接民主政」で、市民は民会に直接出席し、抽選で五百人評議会の評議員や陪審員になりました。「政治から手を引く者は野心がないのではなく、役立たずだ」という強烈な命題は、市民参加を政治の中心に据えるアテナイの自己理解です。

⑤ 「ヘラスの学校」 — 文化的自負

われわれの都市はギリシア(ヘラス)全体の学校である」。アテナイは、ペリクレス時代にギリシア文化の中心として君臨しました。ソフォクレス、エウリピデス、アリストファネスといった悲喜劇作家、ソクラテス(前 469–399)、フィディアス(前 480頃–430頃、彫刻家)、ポリュクレイトス(彫刻家)—— 世界文化史の頂点が集中して輝いていた都市が、自らを「世界の学校」と自称することの自負と責任を、ペリクレスは語っています。

批判の目 — 排除されていた者たち

本演説は、後世の民主政演説の原型となった輝かしい文書ですが、現代の私たちはこれを批判的に読み直す必要があります。

① 女性は政治から完全に排除されていた

アテナイ民主政は、成人男性自由市民のみの政治でした。女性は 「市民」 ではない。家の中の活動に限定され、政治・教育・公的な議論から完全に排除されていました。ペリクレスは演説の最後で、戦没者の妻たちに向けて短く語りかけますが、その内容は「男たちの間で良きにつけ悪しきにつけ語られないこと、それがあなた方女性の最大の名誉です」というもの。つまり、女性は「語られないこと」が最大の名誉であるべき、というのが当時の倫理でした。これは現代の私たちから見れば衝撃的です。

② 奴隷は人口の3分の1〜半分を占めた

古代アテナイは奴隷制社会でした。家庭内・農地・鉱山で働く奴隷が、推計で人口の3分の1から半分を占めていました。彼らは法的に「人」ではなく「物」として扱われ、政治参加はありえません。アテナイの「自由市民」の優雅な生活は、奴隷たちの不可視の労働に支えられていたのです。

③ メトイコイ(在留外国人)も排除

アテナイには、他のポリスから移住してきた商人・職人 メトイコイ (metoikoi) が数万人住んでいました。彼らはアテナイの経済を支えながら、税を払い、戦時には兵役に就いてもなお、政治参加はできませんでした。市民権は「両親ともアテナイ市民」であることを要求する厳格な基準でした(前 451 年のペリクレス自身の市民権法)。

大切な姿勢 ペリクレスの演説を「西洋民主主義の輝かしい起源」とだけ読むのは、歴史を理想化しすぎます。同時に「結局は奴隷制と男性支配だった」と切り捨てるのも、後世への影響を見落とします。「光と影の両方を見る」のが、現代の歴史学の姿勢です。

トゥキディデスという歴史家

本演説の記録者トゥキディデスは、自身も将軍として戦争に参加した同時代人です。前424年にトラキア戦線で敗戦の責任を問われ追放となり、その後 20年間の亡命中に『戦史』を執筆しました。

トゥキディデスは『戦史』第一巻22章で、自分の方法を明確に述べています:

「私が記録した演説については、その演説者が実際に話した言葉そのものを伝えることは難しかった。それゆえに、私の判断で、その演説者がその場で言うべきだったと思われることを書いた。ただし、私は実際の演説で言われたことの主旨にできるだけ忠実であろうとした。」

つまり、ペリクレスの本演説も、トゥキディデスによる「再構成」であって、ペリクレスが実際に語った言葉そのものではない可能性が高いのです。これは現代の歴史学から見ると、「資料の信頼性」の重要な問題です。

ただし、これはトゥキディデスの欠点ではなく、彼の「歴史を理解する」という独自の方法でもありました。「事実」の列挙ではなく、「事実の意味」の再構成。トゥキディデスは、戦争を通じて人間の本性と権力の機構を解明しようとした、最初期の「政治科学者」です。彼の弟子と言える後世の歴史家・政治家・哲学者には、トーマス・ホッブズ、ニッコロ・マキャヴェッリ、ハンナ・アーレントなどがいます。

後世への影響 — 民主政演説の系譜

ペリクレスの葬礼演説は、後世の民主政の自己定義演説の祖型となりました。とりわけ有名な対応は:

リンカーンのゲティスバーグ演説 (1863)

南北戦争中の1863年11月、リンカーン大統領がペンシルベニア州ゲティスバーグの戦場で行った演説。「人民の、人民による、人民のための政治 (government of the people, by the people, for the people)」 — このフレーズは、ペリクレスの「多数者の手にある政体」を明確に下敷きにしています。

戦後日本国憲法前文 (1946)

「日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し…主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する」(→ 日本国憲法前文)。これも「多数者の手にある政体」というペリクレス以来の系譜に立っています。

ハンナ・アーレント『人間の条件』 (1958)

20世紀の政治哲学者ハンナ・アーレントは、本演説を中心に古代アテナイ民主政を分析し、「公的領域 (public sphere)」の概念を構築しました。「政治から手を引く者は役立たずだ」というペリクレスの一句は、現代の「公共性 (public-ness)」論の出発点です。

現代への問いかけ

2,500年前に語られた本演説は、現代の私たちの民主主義を映す鏡です。ペリクレスが理想として語ったこと——能力による登用、貧富による差別の禁止、公私のバランス、市民の政治参加——これらは、現代の民主主義国家がどれくらい実現できているでしょうか。

同時に、ペリクレスの演説には致命的な盲点(女性・奴隷・メトイコイの排除)がありました。私たち現代人は、それらを乗り越える形で民主主義を発展させてきました(女性参政権、奴隷制廃止、市民権の拡大)。しかし、現代もなお新しい形の「排除」(経済的格差、人種差別、移民の政治参加権、未来世代への発言権)が課題として残っています。

大切な姿勢 ペリクレスを「民主主義の英雄」として無批判に称えるのでも、「結局は男性自由民の特権だった」と切り捨てるのでもなく、「2,500年前の理想と限界の両方を、自分たちの民主主義への問いとして受け取る」——これが、本演説を読む現代の意義です。

関連する教材

  • 日本国憲法・前文(1946年)— 戦後民主主義の自己定義
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  • プラトン『ソクラテスの弁明』(前 4世紀、未収録)— 同じアテナイで民主政が哲学者を死刑にした事件
  • アリストテレス『政治学』(前 4世紀、未収録)— ペリクレスの時代を分析した古典

古代ギリシアから 2,500 年。ペリクレスの語った理想と限界は、今もなお私たちの民主主義への問いかけです。本教材を起点に、世界史と現代の政治哲学を結びつけて学んでみてください。

語句の意味

各見出し語をクリックすると、外部辞書で詳しい意味を調べられます。 ※ Wiktionary について

  • ペリクレス(Periklēs、紀元前495頃–前429) K 古代ギリシア・アテナイの政治家・将軍。前443年から前429年まで連続15年間にわたり「将軍(ストラテゴス)」として選出され、アテナイ民主政の最盛期を率いた。パルテノン神殿の建設、海軍の強化、民衆裁判所と民会の権限拡大などを推進。前429年、ペロポネソス戦争中の疫病で死去。
  • トゥキディデス(Thukydidēs、紀元前460頃–前400頃) K 古代アテナイの歴史家。ペロポネソス戦争(前431–前404)の参加者であり同時代の記録者。『戦史』全8巻は西洋史学の祖の一つとされ、その厳密な史実主義と人間心理への深い洞察により、近代歴史学に大きな影響を与えた。
  • ペロポネソス戦争 (Peloponnesian War, 前431–前404) K アテナイを盟主とするデロス同盟と、スパルタを盟主とするペロポネソス同盟との27年にわたる大戦争。最終的にスパルタが勝利し、アテナイの黄金時代は終焉する。
  • ポリス (polis) K 古代ギリシアの都市国家。アテナイ・スパルタ・テーバイ・コリント等、何百もの独立した政治単位として地中海・黒海沿岸に展開した。
  • デモクラチア (dēmokratia) K 「民衆 (dēmos) の権力 (kratos)」、すなわち民衆の支配。日本語の「民主主義」の語源。アテナイで前508年のクレイステネスの改革に始まり、ペリクレスの時代に最も発達した。成人男性自由市民全員が民会で直接的に政策を決定する直接民主政だった(女性、奴隷、在留外国人は除外)。
  • ストラテゴス (stratēgos) K アテナイの「将軍」職。10人いて毎年民会で選出される。文民・軍事双方の実権を持った最高政治職。ペリクレスは前443年から死去する前429年まで連続して再選された。
  • ケラメイコス (Kerameikos) K アテナイの北西部、城壁の外にあった共同墓地。戦没者は公費でここに葬られた。「セラミック (陶器)」の語源にあたる、陶工の集まる地域でもあった。
  • ノモス (nomos) K 法、慣習、制度。「法律」を意味するが、書かれた法だけでなく、社会の慣行・規範すべてを含む幅広い概念。「自然 (フィシス)」と対をなすギリシア哲学の中心概念。
  • アレテー (aretē) K 「徳」「卓越性」「美徳」。古代ギリシアで人間の理想的な状態を表す中心的な価値概念。ペリクレスの演説では、アテナイ市民の市民的徳が強調される。
  • 葬礼演説 (epitaphios logos) K 古代アテナイで、毎年戦没者のために行われた公式の追悼演説。前年の戦死者全員を公費で葬る式典で、ポリスを代表する有名な政治家が選ばれて演じた。
  • 演説の再構成 K トゥキディデスは『戦史』の中で多くの演説を記録しているが、自身が認めるところによれば「実際の言葉そのものではなく、その演説者がその場で言うべきだったと思われることを、私の判断で再構成した」(第一巻22章)。よってペリクレスの実際の言葉ではなく、トゥキディデスが理想化した形での演説、と現代の研究者は捉える。
  • アクロポリス K 「高い都市」の意で、ポリスの中心丘。アテナイでは現在もパルテノン神殿(前447–432)が残る。ペリクレスの時代に大改築された。
  • パルテノン神殿 K アクロポリス丘上の最重要神殿、アテナ女神を祀る。ペリクレスの主導で前447–432年に建設された、古典ギリシア芸術の最高峰。

考えてみよう

  1. ペリクレスは「我らの政体はデモクラチア(民衆の支配)と呼ばれる」と宣言します。なぜそう呼ばれるのか、本文の根拠を引用しながら説明しましょう。
  2. 「我々の政体は他の制度の真似ではなく、他者の手本となる」というペリクレスの自負と、現代の民主主義国家の自己像との共通点・相違点は何でしょうか。
  3. ペリクレスは「貧しいから公の役職に就けないことはない」と語ります。これは現代の私たちの社会の現実とどう比較できるでしょうか。
  4. アテナイの「デモクラチア」では女性・奴隷・在留外国人(メトイコイ)は政治参加から完全に排除されていました。これを踏まえると、「世界最初の民主政」という呼び方をどう評価すべきでしょうか。
  5. トゥキディデスは「実際の言葉ではなく、その演者がその場で言うべきだったと思われることを再構成した」と書いています。歴史家のこの手法には、どんなメリットと問題点があるでしょうか。
  6. ペリクレスの演説は紀元前431/430年の冬、ペロポネソス戦争初年の戦没者を悼むものでした。翌430年、アテナイは疫病に襲われ、人口の3分の1が死亡。ペリクレス自身も前429年に疫病で死去します。この歴史的文脈を踏まえて、本演説の「アテナイ礼賛」をどう読み直せばよいでしょうか。
  7. アメリカ独立戦争のリンカーン大統領ゲティスバーグ演説(1863年)、フランス革命の人権宣言(1789年)など、近代以降の民主政の演説と、本演説を並べて読み比べてみましょう。「民主政の自己定義」というジャンルの系譜が見えてくるはずです。

指導要領との対応

このページは、文部科学省「高等学校学習指導要領(平成30年告示)」世界史 第1学年の 以下の指導事項を意識して編集しています。

  • 世界史探究 (1) — 諸地域の歴史的特質の形成 — 古代地中海世界
  • 世界史探究 (2)ア — 古代ギリシアのポリスと民主政
  • 歴史総合 — 近代化と歴史 — 西洋思想の源流

※ 文部科学省告示の本文ではなく、編集者による要旨の言い換えです。 正確な指導事項は文部科学省の公式資料を参照してください。

指導案 教員向け・授業展開の例

西洋思想・西洋政治史の出発点に置かれる、紀元前5世紀末のアテナイ民主政の自己定義の演説。トゥキディデス『戦史』第二巻第35〜46章。リンカーンのゲティスバーグ演説、現代アメリカの「都市の上の輝ける丘」言説、戦後日本の憲法前文など、後世の民主政演説の源流とされる。 本教材では、(1)英訳と日本語訳の併読、(2)アテナイ民主政の構造、(3)演説の歴史的背景、(4)女性・奴隷を排除した民主政という現実、(5)演説の翌年の疫病と崩壊、を順に扱う。高校世界史探究・歴史総合の中核教材として、「民主政」概念の歴史性を考えさせる。

授業時数
2 単位時間
準備
ペリクレスの葬礼演説抜粋プリント(英訳 Crawley版 + 日本語標準訳)、アテナイ民主政の構造図(民会・五百人評議会・民衆裁判所)、古代アテナイの地図(アクロポリス・ケラメイコス墓地・アゴラ)、ペロポネソス戦争年表、リンカーンのゲティスバーグ演説(1863年、Public Domain)との比較プリント

指導目標

  • 古代アテナイ民主政の自己定義を、原文 (英訳) と日本語訳で読む
  • ペリクレスというアテナイ民主政の象徴的指導者を学ぶ
  • 演説のレトリックと、トゥキディデスという歴史家の方法を理解する
  • 「世界最初の民主政」の理想と限界を、現代の私たちの民主主義と比較しながら考える

授業の流れ

  1. 1時間目 演説の英訳と日本語訳を読み比べ。ペリクレスがアテナイの「政体」「市民の徳」「公私のバランス」をどう描いているかを抽出。アテナイ民主政の構造(民会・将軍職・抽選による役職)を共有。
  2. 2時間目 演説の歴史的文脈(ペロポネソス戦争初年、翌年の疫病、ペリクレス自身の死)を確認。「世界最初の民主政」が実際は女性・奴隷・在留外国人を排除していた現実と、それでも本演説が後世に与えた影響を批判的に考察。リンカーン演説との比較で、民主政演説の系譜を確認。

発問例・議論のポイント

  • 「我らの政体はデモクラチアと呼ばれる」というペリクレスの宣言は、世界史上で最も早い「民主政自己定義」とされます。しかし2,500年後の今日、デモクラシーの内実は当時とどれほど変わったでしょうか。あなたの考えを述べましょう。
  • アテナイの「自由市民」は成人男性のみで、人口20〜30万人のうち4〜5万人にすぎませんでした。残りは女性・奴隷・メトイコイ(在留外国人)として政治から排除されていた。それでも「最初の民主政」と呼べるのか、考えてみましょう。
  • ペリクレスは「貧しさを恥じるのは悪だが、貧しさから脱しようとしないことこそ恥である」と語ります。これは古代の労働倫理ですが、現代の格差社会において、この命題はどう響くでしょうか。
  • トゥキディデスは演説を「再構成」したと明言しています。歴史的「真実」とは、起こったことそのものか、それともそれを記録者がどう理解し伝えたかか。ヘロドトスとの歴史家としての姿勢の違いも興味深い。
  • 本演説の翌年、アテナイはペロポネソス戦争中の疫病で壊滅的な被害を受け、ペリクレス自身も死去します。そして27年の長い戦争の末、前404年に降伏。「黄金時代の絶頂で語られた自己讃美」と「その直後の崩壊」をどう結びつけて読むべきでしょうか。

発展課題

  • トゥキディデス『戦史』第三巻のミティレネ討論を読み、アテナイ民主政の暗黒面(軍事的拡張・帝国主義)を学ぶ。
  • プラトン『ソクラテスの弁明』を読み、同じアテナイで民主政が哲学者を死刑にした事実を考察。
  • リンカーン「ゲティスバーグ演説」(1863) の原文・訳を読み、本演説との対応関係(演説の構造、戦没者追悼、民主政の自己定義)を分析。
  • 古代ギリシアの女性の生活(クセノフォン『家政論』など)を学び、「市民」から女性が除外されていた現実を考察。
  • ペロポネソス戦争を題材としたヴィクター・デイヴィス・ハンソン『戦争 戦士たちの理由』など現代の研究書を読む。

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出典・ライセンス

  • 原文: トゥキディデス (Thukydidēs)(記録者)/ペリクレス(演者)「ペリクレスの葬礼演説 — トゥキディデス『戦史』より」(-431年)
  • 入力テキスト: トゥキディデス『ペロポネソス戦史』第二巻 第34章〜第46章 / 久保正彰訳・岩波文庫『戦史』(1966)、リチャード・クローリー英訳 (1874, Public Domain) 等の標準訳 (底本:トゥキディデス『ペロポネソス戦史』第二巻第34〜46章。原典は紀元前 5世紀末頃 (おそらく前 410年代) のギリシア語散文。本教材は Richard Crawley の英訳(1874年、Public Domain)と日本語の現代標準訳(久保正彰訳 岩波文庫 1966 系統)を併載した。古代ギリシア語原典も英訳も日本語旧訳も、すべてパブリックドメイン。)
  • 原文の権利: パブリックドメイン
  • 編集・語注・発問・解説: CC BY 4.0 © project_procopios contributors