王政復古の大号令 — 江戸幕府の終焉 の表紙イラスト

王政復古の大号令 — 江戸幕府の終焉

高等学校 日本史 第1学年 古典 幕末明治維新近代国家の出発 目安 30 分

作者
明治政府 (明治天皇 名義による 朝廷 発布)
原作発表
1867 年(慶応3年12月9日 (1868年1月3日))
出典
明治政府公布文書
底本:「王政復古の大号令」慶応3年12月9日 (1867年12月、新暦1868年1月3日) 発布。京都御所で公卿・諸侯を集めて宣言。国の発布する公文書として著作権法第13条により著作物の対象外 (公有)。

学習のめあて

  • 王政復古の大号令の原文を読み、その内容を理解する
  • 大政奉還から王政復古への展開を整理する
  • 「無血クーデター」の政治構造を分析する
  • 五箇条の御誓文・廃藩置県との連続性を把握する

本文

大号令 原文 (慶応 3 年 12 月 9 日 ・ 1868 年 1 月 3 日 発布)

徳川内府とくがわ ないふ従前じゅうぜん御委任ご いにん大政たいせい返上へんじょう将軍しょうぐんしょく辞退じたい両条りょうじょう今般こんぱん断然だんぜん聞食きこしめサレそうろう

そもそも癸丑きちゅう以来いらい未曾有みぞう国難こくなん先帝せんてい頻年ひんねん宸襟しんきんなやセラレせられそうろう御次第ごしだい衆庶しゅうしょところそうろう

これリ、叡慮えいりょけっサセラレ、王政復古おうせい ふっこ国威こくい挽回ばんかい御基おん もといテラセラレそうろうあいだ自今じこん摂関せっかん幕府ばくふなど廃絶はいぜつすなわかり総裁そうさい議定ぎじょう参与さんよ三職さんしょく被置おかれ万機ばんきおん裁断さいだんあそバサレそうろう

現代語訳

徳川 内大臣 (慶喜) が、先 ごろ 朝廷 に 「大政 (政治 の 権限) を 返上 する」 と 申し出 たこと、また 「将軍 職 を 辞退 する」 という 両 件 を、今回、断然、お聞き 入れ に なら れた。

そもそも 嘉永 6 年 (1853 ─ ペリー 来航) 以来 の 未 曾有 の 国難 (黒船 来航・開国 を めぐる 動揺) に より、先帝 (孝明 天皇) は 長年 心 を 痛められて こられた。 これ は、多くの 人 が 知る ところ で ある。

こうした 状況 を 受けて、(明治 天皇 が) ご 決断 を なされ、王政復古、すなわち 天皇 親政 を 復活 さ せ、国威 を 取り戻す 基礎 を お立て に なる こと と なった。
これ に より、これ から は、摂政・関白幕府 など は すべて 廃止 さ れる。
そして 当面、仮 に、総裁・議定・参与 の 三 職 を 設置 し、すべて の 国政 を、ここ で 裁断 さ れる こと と なった。

解説 ─ 「たった 一夜」 の クーデター

慶応 3 年 12 月 9 日 (新暦 1868 年 1 月 3 日)、夜 明け 前。
京都 御所 の 周辺 を、薩摩・長州・土佐・芸州・尾張・越前 ── 六 藩 の 兵 が ひそかに 占拠 した。
そして 夜明け と 同時 に、岩倉具視 ら 公家 が 朝廷 内 で 一気に 動き、上記 の 大号令 を 宣言 さ せた。

これ は、合法 的 な 政治 過程 を 装い ながら、実 体 と して は 軍事 占拠 を 伴う クーデター で あった。
260 年 続いた 江戸 幕府 の 終焉 は、こうして たった 一 晩 で 宣言 された の で ある。

大政 奉還 → 王政復古 の 流れ

わずか 2 ヶ月 の 間 に、何 が 起こった の か。

日付出来事意味
1867年10月14日徳川慶喜 が 朝廷 に 大政 奉還 を 申請政治 権限 の 形式 的 返上 (徳川 領地 は そのまま)
1867年10月15日朝廷 が 大政 奉還 を 受諾名目 上、江戸 幕府 の 政治 機能 が 停止
1867年12月9日王政復古 の 大号令 発布幕府・摂関 を 完全 廃止、新政府 樹立
1867年12月9日 夜小御所 会議慶喜 に 「辞官 納地」 を 決議 (官職 と 領地 の 返上)
1868年1月3日鳥羽・伏見 の 戦い 開始戊辰 戦争 の 始まり

慶喜 が 大政 奉還 で 「政治 から 退きます」 と 言った だけ で は、徳川 家 は 巨大 な 領地 と 軍事 力 を 保持 した まま。
これ で は 「名 ばかり の 維新」 で 終わる ─ そう 判断 した 岩倉具視・西郷隆盛・大久保利通 たち は、わずか 2 ヶ月 後、徳川 を 完全 に 政治 体制 から 排除 する 王政復古 を 決行 した の で ある。

「三 職」 ─ 新しい 政治 機構

大号令 で は、廃止 さ れた もの と、新設 された もの が ある。

廃止新設
摂政・関白 (公家 政治 の 頂点)総裁 (議長 ・ 有栖川宮 熾仁 親王)
幕府・将軍 職 (武家 政治 の 頂点)議定 (公家・諸侯 から 10 名)
京都 守護職・京都 所司代参与 (実務 担当・薩摩 長州 土佐 など から)

ここで 注目 す べき は、新設 された 「三 職」 が、公家・諸侯・下級 武士 を 横断 した 政府 だった こと だ。
特 に 「参与」 に は、西郷 隆盛・大久保 利通・木戸 孝允 など の 下級 武士 が 抜擢 された。 これ が、後 の 明治 政府 の 中核 と なる。

小御所 会議 と 戊辰 戦争 の 火種

大号令 発布 当日 の 夜、京都 御所 の 小御所 で 緊急 会議 が 開かれた。
出席 した の は、新 「議定」 ・ 「参与」 ら 約 20 名。

議題 は ─ 「徳川慶喜 を どう 処分 する か」

強硬 派 (岩倉・大久保・西郷) ─「将軍 職 だけ で なく、官職 (内大臣) も 辞退 さ せ、領地 も 返上 さ せ よ」
穏健 派 (山内 容堂・松平 春嶽) ─ 「慶喜 も 議定 に 加える べき で ある。 そもそも 彼 抜き で 新 政府 は 不安定 だ」

激論 の 末、岩倉 が 「迷う ような 公家 は 御簾 (みす) の 外 で 切る」 と すごみ、強硬 派 の 主張 が 通った。
慶喜 は 「辞官 納地」 (官職 と 領地 の 返上) を 命じられた。

これ が、約 一 ヶ月 後 の 鳥羽・伏見 の 戦い (1868年1月3日 ─ 偶然 にも 王政復古 の 新暦 と 同日!) に つながる。
戊辰 戦争 (1868–1869) は 約 一年 半 続き、新 政府 軍 が 旧 幕府 軍 を 各地 で 撃破。1869 年 5 月 の 五稜郭 (函館) の 戦い で、ついに 旧 幕府 派 の 抵抗 は 終わった。

「復古」 か 「革命」 か

「王政復古」 と いう 名称 は、興味深い。

表 看板 は 「復古」 ─ 天皇 親政 が 復活 する。
中身 は しかし、まったく 新しい 政治 体制 ─ 西洋 を モデル と した 近代 国民 国家 の 樹立。

この 「復古 を 装った 革命」 と いう 戦略 が、明治 維新 を 比較 的 平和 的 に 進める 鍵 と なった。
「私 たち は 新しい 思想 を 押し付けて いる の で は ない。古 の 天皇 親政 に 戻る だけ だ」 ── そう 主張 する こと で、保守 派 の 反発 を 和らげた の で ある。

これ は、フランス 革命 (1789) や ロシア 革命 (1917) の よう に 「新しい 体制」 を 真正面 から 打ち出した 革命 と は 対照 的 な、日本 独特 の 政治 手法 と 言える。

三 部 作 と して の 読み

本サイト の kotorekishi1 で は、明治 維新 の 三 大 政治 文書 が 揃った。

  1. 王政復古 の 大号令 (1867 年 12 月) ─ 江戸 幕府 終焉 の 宣言
  2. 五箇条 の 御誓文 (1868 年 3 月) ─ 新 政府 の 基本 方針
  3. 廃藩置県 の 詔 (1871 年 7 月) ─ 中央 集権 国家 の 確立

わずか 4 年 弱 の 間 に、260 年 続いた 江戸 体制 が 完全 に 解体 され、近代 国民 国家 の 骨格 が 形成 された。
世界 史 上 で も きわめて 急速 な 構造 変革 で あった。
そして その 第一 歩 が、慶応 3 年 12 月 9 日 の 早朝、京都 御所 で 響いた 一 句 ── 「王政復古、国威 挽回 ノ 御 基 立 テラセラレ 候」 だった の で ある。

語句の意味

各見出し語をクリックすると、外部辞書で詳しい意味を調べられます。 ※ Wiktionary について

  • 王政復古 (おうせい ふっこ) K 天皇親政の政治体制を復活させること。具体的には、鎌倉幕府以来約 700 年続いた武家政権 (鎌倉・室町・江戸) を終わらせ、天皇を中心とする新政府を樹立すること。
  • 大号令 (だい ごうれい) K 天皇 が 発する 重大 な 命令。明治 維新 期 で は、王政復古 を 宣言 した 慶応 3 年 12 月 9 日 の もの が 「王政復古 の 大号令」 と 呼ばれる。
  • 大政奉還 (たいせい ほうかん) K 1867 年 10 月 14 日、第 15 代 将軍 徳川慶喜 (とくがわ よしのぶ) が、政権 を 朝廷 に 返上 する こと を 願い出た 政治 行動。これ により、形式 的 に 江戸 幕府 の 政治 権限 は 朝廷 に 戻った。だが、徳川 家 の 実質 的 権力 (領地・軍事 力) は そのまま 残った。
  • 王政復古 と 大政奉還 の 関係 K 大政奉還 (1867年10月) は 「政治 権限 の 返上 」 を 表明 した のみ で、徳川 家 は 依然 と して 巨大 な 領地 と 軍事 力 を 保持 して いた。王政復古 の 大号令 (1867年12月) は、その 徳川 家 を 完全 に 政治 体制 から 排除 した、決定的 な クーデター だった。
  • 岩倉具視 (いわくら ともみ) K 1825–1883。明治 維新 の 中心 人物 の 一人。 公家 出身 の 政治家。 王政復古 の 大号令 を 起草・実現 する 中核 と なった。 後 に 岩倉 使節団 (1871–1873) の 全権 大使 として 欧米 を 巡視 した。
  • 御所 (ごしょ) K 天皇 の 居所。京都 御所 が 中心。 1868 年 の 王政復古 は、京都 御所 内 の 小御所 で 宣言 された。
  • 小御所 会議 (こ ごしょ かいぎ) K 王政復古 の 大号令 発布 の 同日 夜、京都 御所 の 小御所 で 開催 された 緊急 会議。徳川 慶喜 の 処分 を 議論 した。最終 的 に 「辞官 納地」 (官職 と 領地 の 返上) が 決議 された。
  • 辞官 納地 (じかん のうち) K 「官職 を 辞し、領地 を 朝廷 に 納める」 の 意。小御所 会議 で 徳川 慶喜 に 課された 処分。これ が 後 の 戊辰 戦争 (1868–1869) の 火種 と なった。
  • 戊辰 戦争 (ぼしん せんそう) K 1868–1869。王政復古 の 大号令 後、徳川 派 (旧 幕府 軍・会津 藩・東北 諸藩) と 新政府 (薩摩・長州・土佐) の 内戦。鳥羽・伏見 の 戦い (1868年1月) から 五稜郭 の 戦い (1869年5月) まで。新政府 側 の 勝利 で 明治 維新 が 完成 した。
  • 関白 (かんぱく)・将軍 (しょうぐん)・摂政 (せっしょう) K 王政復古 で 「廃止」 された 三 つ の 主要 政治 職。 関白 は 公家 政治 の 最高 職、将軍 は 武家 政治 の 最高 職、摂政 は 天皇 幼少 期 の 代理 職。これら を 一掃 した の が 王政復古 の 大号令。

考えてみよう

  1. 「王政復古」 と は、文字 通り には 「王 (天皇) の 政治 が 復活 する」 という 意味 です。しかし、本当 に 「復活」 した の は 何 で、新しく 創造 された の は 何 でしょうか。
  2. 大政奉還 (1867年10月) から 王政復古 (1867年12月) まで、わずか 2 ヶ月。なぜ こんな に 急速 に 動 い た の でしょう か。 岩倉具視・西郷隆盛 の 戦略 を 考えましょう。
  3. 王政復古 の 大号令 は 「関白・将軍・摂政」 の 三 職 を 一掃 し、新たに 「総裁・議定・参与」 の 三 職 を 設置 しました。 これ は どんな 政治 構造 の 転換 を 意味 するでしょう か。
  4. 王政復古 の 後、徳川 慶喜 に 課された 「辞官 納地」 は、戊辰 戦争 の 火種 と なりました。 もし 慶喜 が 静か に 受け 入れて いたら、近代 日本 は どう なって いた で しょう か。
  5. 「無血 クーデター」 と 言われる 王政復古 も、結局 は 戊辰 戦争 という 内戦 (約 3 万人 の 死者) を 引き起こしました。「無血」 と いう 評価 は、どこ まで 適切 でしょう か。
  6. 現代 の 視点 で、「王政復古」 の 歴史 的 意義 を 評価 して み ましょう。 ポジティブ な 評価 と ネガティブ な 評価、両方 を 挙げ ましょう。

指導要領との対応

このページは、文部科学省「高等学校学習指導要領(平成30年告示)」日本史 第1学年の 以下の指導事項を意識して編集しています。

  • 日本史 (4)ア — 明治維新による近代国家の形成
  • 歴史総合 — 近代化と日本 — 王政復古の意義

※ 文部科学省告示の本文ではなく、編集者による要旨の言い換えです。 正確な指導事項は文部科学省の公式資料を参照してください。

指導案 教員向け・授業展開の例

高1 日本史 で、明治 維新 の 出発点 と なる 「王政復古 の 大号令」 を 読む。 『五箇条 の 御誓文』 (1868)、『廃藩置県 の 詔』 (1871) と 並ぶ、明治 維新 三 大 政治 文書 の 一つ。 たった 一夜 の クーデター が、260 年 続いた 江戸 幕府 を 終わ ら せた 政治 過程 を 詳細 に 追う。

授業時数
2時限 (各50分)
準備
王政復古 の 大号令 原文 と 現代語 訳、慶応 3 年 末 の 京都 周辺 地図、戊辰 戦争 略 年表、徳川 慶喜 と 岩倉 具視 の 略伝

指導目標

  • 王政復古 の 大号令 の 内容 を 理解 する
  • 大政奉還 から 王政復古 への 政治 過程 を 把握 する
  • 「無血 クーデター」 の 構造 を 分析 する
  • 戊辰 戦争 への 移行 を 理解 する

授業の流れ

  1. 1時限・10分 江戸 幕府 末期 の 政治 状況 を 復習 (天保 ~ 安政 ~ 慶応)
  2. 1時限・15分 大政奉還 (1867年10月) の 経緯 を 確認
  3. 1時限・20分 王政復古 の 大号令 を 音読・現代語 訳
  4. 1時限・5分 振り返り
  5. 2時限・15分 小御所 会議 と 「辞官 納地」 の 議論
  6. 2時限・15分 戊辰 戦争 への 連続 性
  7. 2時限・15分 五箇条 の 御誓文・廃藩置県 と の 三 部 作 と して 把握
  8. 2時限・5分 振り返り

発問例・議論のポイント

  • 「王政復古」 は 復古 か、それとも 革命 か?
  • もし 慶喜 が 抵抗 して いたら、戊辰 戦争 は どこ まで 拡大 した か?
  • 明治 維新 を 「下級 武士 の クーデター」 と も 「下層 民 の 革命」 と も 呼べる 理由 は?

発展課題

  • 大政奉還 の 直接 史料 (徳川 慶喜 の 上奏 文) を 読む
  • 戊辰 戦争 の 各 戦闘 を 詳細 に 追う
  • 同時期 の 中国 (清) と の 比較 — なぜ 中国 で は 同様 の 変革 が 失敗 した か

関連する教材

高1 日本史 ・ 同じ指導要領単元

民撰議院設立建白書 — 1874年・自由民権運動の出発

「臣 等 (し ん ら) 別 に 民撰議院 を 立 つ る の 議 を 建 言 す」── 1874年、板垣退助 ら 8 名 が 政府 に 提出 し た、 議会 開設 を 求 め る 歴史 的 文書。 自由民権運動 の 出発点 と なり、 大日本帝国憲法 (1889) ・ 帝国議会 開設 (1890) へ と つ なが る 道筋 を 切 り 開 い た。

板垣退助 ・ 副島種臣 ・ 後藤象二郎 ・ 江藤新平 ら (明治7年 (1874年1月17日))

高1 日本史 ・ 同じ指導要領単元

大日本帝国憲法・第一章「天皇」抜粋

「大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス」— 1889年に発布されアジア最初の近代憲法となった大日本帝国憲法の第一章「天皇」を、戦後の日本国憲法と対比しながら読む。明治憲法体制の特質と限界を、原文に向き合って考える。

大日本帝国(起草:伊藤博文・井上毅ら) (明治22年(1889年)2月11日発布/明治23年(1890年)11月29日施行)

AI 先生に聞く

教材の内容について、AI に質問できます。実験的な機能です。 AI は時に誤った内容を答えることがあります。最終的には自分で考え、 本文を確認してください。

この教材を改善する

誤字・誤訳・事実誤認の報告、語注や発問への提案など、現場での気づきを直接 GitHub Issue に投稿できます。GitHub アカウントがあれば誰でも参加できます。

出典・ライセンス

  • 原文: 明治政府 (明治天皇 名義による 朝廷 発布)「王政復古の大号令 — 江戸幕府の終焉」(1867年)
  • 入力テキスト: 明治政府公布文書 (底本:「王政復古の大号令」慶応3年12月9日 (1867年12月、新暦1868年1月3日) 発布。京都御所で公卿・諸侯を集めて宣言。国の発布する公文書として著作権法第13条により著作物の対象外 (公有)。)
  • 原文の権利: パブリックドメイン
  • 編集・語注・発問・解説: CC BY 4.0 © project_procopios contributors