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夢十夜・第一夜

中学校 国語 第1学年 C 読むこと 目安 15 分

作者
夏目漱石(1867–1916)
原作発表
1908 年
出典
青空文庫
底本:「夏目漱石全集10」ちくま文庫、筑摩書房、1988年7月26日初版発行(1996年7月15日第5刷を入力に使用)

学習のめあて

  • 「こんな夢を見た」で始まる語りの効果を考えながら、現実とも夢ともつかない情景を思い浮かべる
  • 「赤い日」「真白な百合」「暁の星」など色と光のイメージが、時の流れと再会をどう象徴しているかを読み取る
  • 約束を待つ「自分」の心の動き(疑い/忘れかける/気づく)を追いながら、ラストの「百年はもう来ていたんだな」の意味を自分の言葉で説明する

本文

 こんな夢を見た。

 腕組をして枕元にすわっていると、仰向あおむきに寝た女が、静かな声でもう死にますと云う。女は長い髪を枕に敷いて、輪郭りんかくやわらかな瓜実うりざねがおをその中に横たえている。真白な頬の底に温かい血の色がほどよく差して、くちびるの色は無論赤い。とうてい死にそうには見えない。しかし女は静かな声で、もう死にますと判然はっきり云った。自分もたしかにこれは死ぬなと思った。そこで、そうかね、もう死ぬのかね、と上からのぞき込むようにして聞いて見た。死にますとも、と云いながら、女はぱっちりと眼をけた。大きなうるおいのある眼で、長いまつげに包まれた中は、ただ一面に真黒であった。その真黒なひとみの奥に、自分の姿があざやかに浮かんでいる。

 自分はとおるほど深く見えるこの黒眼の色沢つやを眺めて、これでも死ぬのかと思った。それで、ねんごろに枕のそばへ口を付けて、死ぬんじゃなかろうね、大丈夫だろうね、とまた聞き返した。すると女は黒い眼を眠そうにみはったまま、やっぱり静かな声で、でも、死ぬんですもの、仕方がないわと云った。

 じゃ、私の顔が見えるかいと一心いっしんに聞くと、見えるかいって、そら、そこに、写ってるじゃありませんかと、にこりと笑って見せた。自分は黙って、顔を枕から離した。腕組をしながら、どうしても死ぬのかなと思った。

 しばらくして、女がまたこう云った。

「死んだら、めて下さい。大きな真珠貝で穴を掘って。そうして天から落ちて来る星の破片かけ墓標はかじるしに置いて下さい。そうして墓の傍に待っていて下さい。またいに来ますから」

 自分は、いつ逢いに来るかねと聞いた。

「日が出るでしょう。それから日が沈むでしょう。それからまた出るでしょう、そうしてまた沈むでしょう。——赤い日が東から西へ、東から西へと落ちて行くうちに、——あなた、待っていられますか」

 自分は黙って首肯うなずいた。女は静かな調子を一段張り上げて、

「百年待っていて下さい」と思い切った声で云った。

「百年、私の墓の傍に坐って待っていて下さい。きっと逢いに来ますから」

 自分はただ待っていると答えた。すると、黒い眸のなかに鮮に見えた自分の姿が、ぼうっとくずれて来た。静かな水が動いて写る影を乱したように、流れ出したと思ったら、女の眼がぱちりと閉じた。長い睫の間から涙が頬へ垂れた。——もう死んでいた。

 自分はそれから庭へ下りて、真珠貝で穴を掘った。真珠貝は大きななめらかなふちするどい貝であった。土をすくうたびに、貝の裏に月の光が差してきらきらした。湿しめった土のにおいもした。穴はしばらくして掘れた。女をその中に入れた。そうして柔らかい土を、上からそっと掛けた。掛けるたびに真珠貝の裏に月の光が差した。

 それから星の破片の落ちたのを拾って来て、かろく土の上へ乗せた。星の破片は丸かった。長い間大空を落ちているに、かどが取れて滑らかになったんだろうと思った。き上げて土の上へ置くうちに、自分の胸と手が少し暖くなった。

 自分はこけの上に坐った。これから百年の間こうして待っているんだなと考えながら、腕組をして、丸い墓石はかいしを眺めていた。そのうちに、女の云った通り日が東から出た。大きな赤い日であった。それがまた女の云った通り、やがて西へ落ちた。赤いまんまでのっと落ちて行った。一つと自分は勘定かんじょうした。

 しばらくするとまた唐紅からくれない天道てんとうがのそりとのぼって来た。そうして黙って沈んでしまった。二つとまた勘定した。

 自分はこう云う風に一つ二つと勘定して行くうちに、赤い日をいくつ見たか分らない。勘定しても、勘定しても、しつくせないほど赤い日が頭の上を通り越して行った。それでも百年がまだ来ない。しまいには、苔のえた丸い石を眺めて、自分は女にだまされたのではなかろうかと思い出した。

 すると石の下からはすに自分の方へ向いて青いくきが伸びて来た。見る間に長くなってちょうど自分の胸のあたりまで来て留まった。と思うと、すらりとゆらぐ茎のいただきに、心持首をかたぶけていた細長い一輪のつぼみが、ふっくらとはなびらを開いた。真白な百合ゆりが鼻の先で骨にこたえるほど匂った。そこへはるかの上から、ぽたりとつゆが落ちたので、花は自分の重みでふらふらと動いた。自分は首を前へ出して冷たい露のしたたる、白い花弁はなびら接吻せっぷんした。自分が百合から顔を離す拍子ひょうしに思わず、遠い空を見たら、あかつきの星がたった一つまたたいていた。

「百年はもう来ていたんだな」とこの時始めて気がついた。

語句の意味

  • 瓜実顔(うりざねがお) 瓜の種のように、面長で色白の顔立ち。日本の伝統的な美人の顔の表現。
  • 黒い眸(ひとみ) 黒目。漱石は女の目を「ただ一面に真黒」と書き、その中に自分の姿が写っていると描く。
  • 真珠貝(しんじゅがい) 真珠を作る貝。ここでは女を埋める穴を掘る道具として使われる、現実離れした美しい道具。
  • 墓標(はかじるし) 墓の上に立てる目印。
  • 唐紅(からくれない) 鮮やかな深い赤色。
  • 天道(てんとう) 太陽のこと。漢語的・古風な言い方。
  • 苔(こけ) 湿った石や地面に生える小さな植物。長い時の経過を象徴する。
  • 蕾(つぼみ) まだ開いていない花。
  • 弁(はなびら) 花弁。花の一片一片。
  • 接吻(せっぷん) くちづけ。
  • 暁(あかつき) 夜明け前の、まだ少し暗い空が明るくなりかけているころ。

考えてみよう

  1. 「自分」は女に「死ぬんじゃなかろうね、大丈夫だろうね」と二度も尋ねます。このときの「自分」の気持ちを、本文の言葉を引いて書きましょう。
  2. 「自分はただ待っていると答えた」の前後で、「自分」の感情はどう変化しているでしょうか。
  3. 勘定しきれないほどの「赤い日」が頭の上を通り過ぎていく場面は、何を表していると思いますか。時の感覚の描き方について考えましょう。
  4. 「自分は女に欺されたのではなかろうかと思い出した」のすぐ後に、青い茎・蕾・真白な百合が現れます。この順番にどんな意味があると思いますか。
  5. 最後の「百年はもう来ていたんだな」を読んで、あなたはどんな気持ちになりましたか。なぜそう感じたのかを、本文の表現と結び付けて書きましょう。

指導要領との対応

このページは、文部科学省「中学校学習指導要領(平成29年告示)」国語 第1学年の 以下の指導事項を意識して編集しています。

  • C(1)イ — 場面の展開や登場人物の相互関係、心情の変化などについて、描写を基に捉える
  • C(1)エ — 文章の構成や展開、表現の効果について、根拠を明確にして考える
  • C(1)オ — 文章を読んで理解したことや考えたことを知識や経験と結び付け、自分の考えを広げたり深めたりする

※ 文部科学省告示の本文ではなく、編集者による要旨の言い換えです。 正確な指導事項は文部科学省の公式資料を参照してください。

出典・ライセンス

  • 原文: 夏目漱石「夢十夜・第一夜」(1908年)
  • 入力テキスト: 青空文庫 (底本:「夏目漱石全集10」ちくま文庫、筑摩書房、1988年7月26日初版発行(1996年7月15日第5刷を入力に使用))
  • 原文の権利: パブリックドメイン
  • 編集・語注・発問・解説: CC BY 4.0 © project_procopios contributors