← ライブラリへ戻る

徒然草・序段/第九十二段

高等学校 国語 第1学年 古典 B 読むこと知識及び技能 (3) 我が国の言語文化 目安 25 分

作者
兼好法師
成立
鎌倉時代末期(1330年前後成立)
出典
公有古典(複数校訂本を参照)
底本:「徒然草」原文は中世以来の公有著作。本文は岩波文庫『徒然草』ほか複数の校訂本に共通する標準的表記による

学習のめあて

  • 文語特有の助動詞(けり・けむ・ぬ・たり・ず)や係り結びを意識しながら音読する
  • 兼好の「随筆」のもつ自由な書き方(思いつくまま)と、教訓性(人生の知恵)の両面に触れる
  • 第九十二段「二の矢」の教えを、現代の自分の学びや日常に引き付けて考える

本文

序段

徒然つれづれなるままに、日くらし、すずりにむかひて、心にうつりゆくよしなしごとを、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ。

現代語訳(序段)

 することもなく手持ちぶさたなのにまかせて、一日中、硯(すずり)に向かって、心に浮かんでは消えていく取るに足らないあれこれを、これと言った筋道もなしに書き付けていると、なんだか不思議なほど、気が変になりそうな感覚にとらえられる。

第九十二段 ある人、弓射ることを習ふに

ある人、弓射ることを習ふに、諸矢もろやをたばさみてまとにむかふ。師の云はく、「初心の人、二つの矢を持つことなかれ。後の矢をたのみて、初めの矢になほざりの心あり。毎度まいどただ得失なく、この一矢に定むべしと思へ」と言ふ。

わづかに二つの矢、師の前にて一つをおろかにせんと思はんや。懈怠けたいの心、みづから知らずといへども、師これを知る。この戒め、万事にわたるべし。

道を学する人、夕には朝あらんことを思ひ、朝には夕あらんことを思ひて、かさねてねんごろに修せんことを期す。いはんや一刹那せつなのうちにおいて、懈怠の心あることを知らんや。何ぞ、ただ今の一念において、ただちにすることのはなはだかたき。

現代語訳(第九十二段)

 ある人が弓を射ることを習っていた。二本の矢を一緒に持って、的に向かう。すると先生がこう言う。「初心者は、二本の矢を持ってはいけない。後の矢があると思ってあてにするから、最初の矢にどうしても気がゆるみが出るのだ。一射ごとに、当たろうが外れようがそんなことは考えず、この一本の矢で決めてやろうと思いなさい」。

 たった二本の矢である。先生の前で、わざと一本目をおろそかにしようと思うはずがない。それでも、自分では気づかないうちに「あとの一本がある」という油断の心が忍びこむのを、先生はちゃんと見抜いているのだ。この戒めは、すべての事柄にあてはまる。

 道を学ぼうとする人は、夕方になると「明日の朝こそ」と思い、朝になると「夕方こそ」と思って、繰り返し、丁寧に修練することを先に先にと延ばしてしまう。まして、一瞬一瞬のうちにそうした怠け心が忍びこむことを、どうして自分で気づけるだろう。なぜ、ただこの今この一念において、「いま、すぐにやる」ということが、こんなにも難しいのだろうか。

解説

 『徒然草』は、鎌倉時代末期(おおむね1330年前後)に、後二条天皇に仕えた後に出家した兼好法師(卜部兼好、けんこうほうし)が著した随筆です。『枕草子』『方丈記』とともに日本三大随筆のひとつに数えられ、人生や芸事、宮中の風習や自然のうつろいまで、二百四十余段にわたって自由に書きつづっています。

 冒頭の序段「つれづれなるままに」は、執筆の動機をやわらかな文体で語る、随筆文学を象徴する一節です。「そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ」——書くことそのものに我を忘れる、その感覚を兼好は「物狂おしい」と表現しました。

 第九十二段「ある人、弓射ることを習ふに」は、「二の矢を意識すると一の矢がおろそかになる」という弓の師の教えを通じて、人生における「今ここ」の集中の難しさを語る章段です。「今やる」ことの困難は、現代の私たちにとってもまったく古びていません。文末の「何ぞ、ただ今の一念において、ただちにすることのはなはだかたき」は、自らに突きつけられた問いとして響きます。

語句の意味

  • つれづれなり することもなくて手持ち無沙汰なさま。退屈で物足りない様子。
  • 硯(すずり) 墨をすって書く道具。「硯にむかひて」=書くために机に向かう。
  • そこはかとなく 「これと言って明確な理由もなく」「とりとめもなく」。
  • ものぐるほし 「気が変になりそうだ」「狂おしい気持ちだ」。書くことに夢中になって我を忘れる感覚。
  • 諸矢(もろや) 二本一対の矢。弓の練習では二本を持って射た。
  • 的(まと) 弓矢の標的。
  • 懈怠(けたい)の心 なまけ心、油断する心。「け」は「懈(おこたる)」、「たい」は「怠(なまける)」。
  • 先生。弓の師範。
  • かなはず 「かなう」の否定。「思い通りにならない」「できない」。
  • 道理。学問・芸事の修練の道。ここでは弓道のみならず学問全般を含意する。
  • 兼好法師(けんこうほうし) 1283年頃〜1352年頃。本名・卜部兼好(うらべかねよし)。後二条天皇に仕えた後に出家し、世俗を離れて『徒然草』を著した。

考えてみよう

  1. 序段「つれづれなるままに」を声に出して読み、リズムを書きとめてみましょう。文末の「やはらかな終わり方」に注目してください。
  2. 「あやしうこそものぐるほしけれ」とは、兼好にとってどんな感覚をあらわしているでしょうか。現代の自分のことに置き換えて、書きながら/作りながら我を忘れた経験を思い出して書いてみましょう。
  3. 第九十二段の弓の先生は、なぜ「初心の人」に「二の矢」を意識させないようにと諭したのでしょうか。本文の論理を整理しましょう。
  4. 兼好は「これを知れる人や少なき」と書きます。「これ」とは何を指していますか。
  5. 二の矢の教えを、あなたが普段取り組んでいる学び(勉強・部活・習い事)にあてはめると、どのように言い換えられますか。

指導要領との対応

このページは、文部科学省「高等学校学習指導要領(平成30年告示)」国語 第1学年の 以下の指導事項を意識して編集しています。

  • (3)ア — 古文や漢文を読むために必要な語句の意味や用法、訓読の仕方を理解する
  • (3)イ — 古典の作品や文章について、文化的な背景などを理解する
  • B(1)ウ — 文章の構成や展開、表現の仕方、表現の特色について評価する

※ 文部科学省告示の本文ではなく、編集者による要旨の言い換えです。 正確な指導事項は文部科学省の公式資料を参照してください。

出典・ライセンス

  • 原文: 兼好法師「徒然草・序段/第九十二段」
  • 入力テキスト: 公有古典(複数校訂本を参照) (底本:「徒然草」原文は中世以来の公有著作。本文は岩波文庫『徒然草』ほか複数の校訂本に共通する標準的表記による)
  • 原文の権利: パブリックドメイン
  • 編集・語注・発問・解説: CC BY 4.0 © project_procopios contributors