伊勢物語・初冠
高等学校 国語 第1学年 古典 B 読むこと知識及び技能 (3) 我が国の言語文化 目安 25 分
学習のめあて
- 古文の地の文と和歌のはたらきの違い(地の文=情景・状況、和歌=心情の凝縮)を読みとる
- 「みやび」という平安期のキーワードを、本段の状況から自分の言葉で説明できるようにする
- 引用された『古今集』の歌(みちのくのしのぶもぢずり…)が、本段の歌の発想の土台になっていることを理解し、和歌の世界の連歌的構造を知る
本文
原文(第一段 初冠)
むかし、男、初冠して、平城の京、春日の里に、知るよしして、狩りに往にけり。その里に、いとなまめいたる女はらから住みけり。この男かいまみてけり。思ほえず、古里にいとはしたなくてありければ、心地まどひにけり。男の着たりける狩衣の裾を切りて、歌を書きてやる。その男、信夫摺りの狩衣をなむ着たりける。
春日野の若紫のすり衣しのぶの乱れ限り知られず
となむおひつきて言ひやりける。ついでおもしろきことともや思ひけむ。
みちのくのしのぶもぢずり誰ゆゑに乱れそめにし我ならなくに
といふ歌の心ばへなり。むかし人は、かくいちはやきみやびをなむしける。
現代語訳
むかし、ある男が元服を済ませて、平城の都、春日の里に縁故があったので、狩りに出かけて行った。その里には、たいへんみずみずしく美しい姉妹が住んでいた。男はその姉妹を垣間見てしまった。思いがけず、古びた旧都に不釣り合いなほど美しいので、男の心はすっかり乱れてしまった。彼は自分の着ていた狩衣の裾を切って、そこに歌を書きつけて贈った。その男は信夫摺りの狩衣を着ていたのだ。
春日野の若紫のすり衣
しのぶの乱れ限り知られず
(春日野の若紫のような美しいあなたを見て、私の心は、この信夫摺りの模様のように乱れて、その果てが知られないほどです)
と、即座に詠んで贈ったのである。折しもおもしろい趣向だと自分でも思ったのだろう。
みちのくのしのぶもぢずり
誰ゆゑに乱れそめにし我ならなくに
(みちのくの信夫摺りの模様のように、私の心は乱れはじめた。誰のせいかと言えば、私のせいではない——あなたのせいなのだ)
という、よく知られた古い歌の心を踏まえているのだ。むかしの人は、こんなふうに、すばやく機転のきいた雅な振る舞いをしたのである。
解説
『伊勢物語』は、平安時代前期(10世紀前半)に成立したとされる、日本最古の歌物語です。「歌物語」とは、和歌を中心に据え、その歌が詠まれた状況や前後の経緯を散文で説明していく作品ジャンルで、『大和物語』『平中物語』などと並ぶ平安期の代表的な形式です。
主人公の「男」は明示されませんが、伝統的に在原業平(ありわらのなりひら、825-880)がモデルとされてきました。業平は平安時代を代表する歌人で、『古今和歌集』にも多くの歌を残し、後世「みやび」の体現者として愛されました。
第一段の「初冠」は、その業平像を象徴する一段です。注目すべき点は二つ。一つは、男が美しい姉妹を「垣間見」て即座に動揺し、即興で歌を詠みかけるという応答の速さ。もう一つは、その歌が無名のオリジナルではなく、すでに知られた『古今集』の歌の本歌取り(引用と変奏)になっているという知性。この二つが合わさったところに、「いちはやきみやび」の真髄があります。
結びの一文「むかし人は、かくいちはやきみやびをなむしける」は、語り手が「むかし人」のしぐさを愛おしむまなざしで物語を閉じる、伊勢物語全体に通底する語り口でもあります。
語句の意味
各見出し語をクリックすると、外部辞書で詳しい意味を調べられます。 ※ Wiktionary について
- 初冠(うひかうぶり/ういこうぶり) K 男子の成人式。元服。十二〜十六歳ごろ、初めて冠(かんむり)をつける儀式を経て成人として扱われた。
- 平城(なら)の京(みやこ) K 奈良の都。物語の時代設定が古いことを示している。
- 春日(かすが)の里 K 現在の奈良市春日大社周辺。狩猟や貴族の遊覧の地として知られた。
- 知るよし K 「縁故」「つて」。ここでは「春日の里に領地などを持っていた縁で」の意。
- なまめいたる K 「みずみずしく美しい」「色っぽい」。平安期の美意識を表す重要語。
- 女はらから(おんなはらから) K 姉妹。「はらから」は同じ親から生まれた兄弟姉妹。
- かいまみてけり K 「垣間見(かいまみ)る」=のぞき見する。平安期、男が女を初めて見るのは多くこの「垣間見」だった。
- 古里(ふるさと) K 旧都。ここでは奈良。当時の都は京都(平安京)に移っていた。
- はしたなく K 「中途半端だ」「不釣り合いだ」。古い都にこんなに美しい姉妹がいるという、場違いな美しさを表す。
- 信夫摺(しのぶず)り K みちのく(東北)の特産。「忍草」の葉や茎で布に文様を摺りつけたもの。乱れた模様が特徴。
- 若紫(わかむらさき) K 若い紫草。比喩としては「若々しく美しい女性」を含意する。
- しのぶの乱れ K 「忍草」の摺り模様の乱れ。同時に「忍ぶ恋心」の乱れも掛ける、典型的な掛詞(かけことば)。
- もぢずり K 信夫摺りと同じ。みちのく地方の布の摺り染め。
- 心ばへ K 「心ばえ」とも。気持ち、趣旨。歌の心ばへ=歌の趣旨を踏まえている、本歌取りしているの意。
- いちはやきみやび K 「素早く機転のきいた、雅な振る舞い」。平安貴族の美徳である「みやび」が、即興で和歌を詠みかける機転として現れる。
- 係り結び(かかりむすび) K 文中の係助詞「ぞ・なむ・や・か・こそ」を受けて、文末の活用形が連体形または已然形に変化する古典文法の規則。本段の「狩衣をなむ着たりける」「いちはやきみやびをなむしける」では、係助詞「なむ」を受けて文末が連体形「ける」になっている。
考えてみよう
- 本段の場面設定を整理してください。誰が、いつ、どこで、何をして、何に出会ったのですか。
- 男が狩衣の裾を切って和歌を書きつけて贈った、というのは奇妙な行動です。なぜ彼は「裾を切る」という方法を取ったのでしょう。当時の文化背景を想像しながら考えましょう。
- 本段の男の歌「春日野の若紫のすり衣しのぶの乱れ限り知られず」は、『古今集』にある「みちのくのしのぶもぢずり誰ゆゑに乱れそめにし我ならなくに」を踏まえています。本段の歌は、本歌のどの要素を引き継ぎ、どこを変えているでしょうか。
- 結びの「むかし人は、かくいちはやきみやびをなむしける」を、現代の言葉に置き換えてください。「みやび」とはどのような態度のことか、本段の例から定義してみましょう。
- 現代の私たちが「若い恋心の乱れ」をだれかに伝えるとき、即興で和歌を詠みかけることはありません。代わりに何があるでしょうか。本段の「いちはやきみやび」に対応する現代の振る舞いを考えてみましょう。
指導要領との対応
このページは、文部科学省「高等学校学習指導要領(平成30年告示)」国語 第1学年の 以下の指導事項を意識して編集しています。
- (3)ア — 古文や漢文を読むために必要な語句の意味や用法、訓読の仕方を理解する
- (3)イ — 古典の作品や文章について、文化的な背景などを理解する
- B(1)エ — 文章の構成や展開、表現の仕方について、評価することを通して、自分の考えを広げたり深めたりする
※ 文部科学省告示の本文ではなく、編集者による要旨の言い換えです。 正確な指導事項は文部科学省の公式資料を参照してください。
⇒ 学習パス「江戸〜近代の古典紀行」 の 3 / 5
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出典・ライセンス
- 原文: 作者不詳(伝・在原業平が主人公のモデル)「伊勢物語・初冠」
- 入力テキスト: 公有古典(複数校訂本を参照) (底本:「伊勢物語」第一段「初冠」。原文は中世以来の公有著作。本文は岩波文庫『伊勢物語』ほか複数の校訂本に共通する標準的表記による)
- 原文の権利: パブリックドメイン
- 編集・語注・発問・解説: CC BY 4.0 © project_procopios contributors