人 生 論 ノ ー ト — 三 木 清
高等学校 国語 第3学年 近代 哲学 エッセイ戦時下 文学実存 主義 目安 35 分
学習のめあて
- 三 木 清 と い う 哲 学 者 を 知 る
- 「死 ・ 幸 福 ・ 孤 独」 に つ い て 哲 学 的 に 考 え る
- 戦 時 下 に 書 か れ た 哲 学 書 の 意 味 を 理 解 す る
- 京 都 学 派 の 思 想 に 触 れ る
本文
本 文 抜 粋 (現 代 仮 名 遣 い)
「死 に つ い て」
近 頃 私 は 死 ん だ 者 の 年 齢 を 数 え る こ と を し ば し ば す る。 生 き て い る な ら 幾 つ で あ ろ う と 数 え て み る の が、 不 思 議 で あ る。
死 ぬ こ と は 帰 っ て ゆ く こ と で あ る。 私 た ち は 元 来 死 ん だ 者 の 国 に 帰 っ て ゆ く の で あ る。私 が こ の 世 に 来 て、 そ し て 去 っ て ゆ く と い う こ と は、 ど こ か 他 の 国 に 帰 っ て ゆ く と い う こ と で あ ろ う。
だ か ら 死 ぬ こ と は、 別 れ で は な く、 出 会 い な の か も し れ な い。 私 が 帰 る 先 に は、 既 に 多 く の 死 者 た ち が 待 っ て い る。こ の よ う に 考 え る な ら ば、 死 は 恐 ろ し い も の で は な く、 ど こ か 懐 か し い も の と し て、 心 の 中 に 浮 か ぶ。
「孤 独 に つ い て」
孤 独 と は 寂 し い こ と か。 否、 孤 独 は 寂 し い こ と で は な い。
孤 独 は 一 人 で あ る こ と で も な い。孤 独 は 山 に な く て 街 に あ る、 一 人 の 人 間 に な く て 多 く の 人 間 の 「間」 に あ る。
山 中 で 一 人 暮 ら す 隠 者 は、 必 ず し も 孤 独 で は な い。 彼 は 自 然 と 共 に あ り、 山 の 木 々 と 対 話 し て い る。
だ が、 賑 や か な 街 の 雑 踏 の 中 で、 多 く の 人 々 に 囲 ま れ て い な が ら、 そ の 中 の 誰 と も 心 が 通 じ な い と き、 私 た ち は 本 当 の 孤 独 を 知 る。
孤 独 は、 人 と 人 と の 「間」 の 中 で 生 ま れ る ─ こ れ が 孤 独 の 真 の 姿 で あ る。
「幸 福 に つ い て」
幸 福 と は 何 か。
私 は こ う 思 う ─ 幸 福 は 表 現 的 で あ る。 鳥 の 歌 う が 如 く 自 ら の 幸 福 を 歌 う 者 は 幸 福 で あ る。幸 福 は、 自 分 の 内 側 に 閉 じ こ も っ て い て は 成 立 し な い。
鳥 が 嬉 し い と き 歌 う よ う に、 自 ら の 幸 福 を 外 に 「表 現」 す る こ と で、 そ れ が 確 か な 幸 福 と な る。ま た、 幸 福 を 他 者 と 分 か ち 合 う こ と で、 そ の 幸 福 は さ ら に 深 ま る。
自 分 一 人 で 抱 え 込 む 幸 福 は、 結 局、 痩 せ 衰 え て し ま う。幸 福 と は、 内 面 的 状 態 で あ り な が ら、 同 時 に 「表 現」 と い う 外 へ の 動 き を 必 要 と す る ─ こ れ が 私 の 幸 福 観 で あ る。
解 説 ─ 三 木 清 と 1941 年
三 木 清 (1897–1945) は、 京 都 帝 国 大 学 で 西 田 幾 多 郎 (本 サ イ ト kotoko3 既 習) に 学 ん だ 哲 学 者 で あ る。
彼 は 1922 年 か ら 3 年 間 ド イ ツ に 留 学 し、 マ ル テ ィ ン ・ ハ イ デ ガ ー (Martin Heidegger) や パ ウ ル ・ ナ ト ル プ (Paul Natorp) に 師 事 し た。
帰 国 後、 法 政 大 学 教 授 と な り、 京 都 学 派 の 中 心 的 思 想 家 と し て 活 躍 し た。
『人 生 論 ノ ー ト』 は、 1938 年 か ら 1941 年 に か け て、 雑 誌 『文 学 界』 に 連 載 さ れ た 23 編 を ま と め た も の。
1941 年 (昭 和 16 年) 創 元 社 か ら 出 版 さ れ た 時、 日 本 は す で に 日 中 戦 争 (1937–) の 最 中 で、 同 年 12 月 に は 太 平 洋 戦 争 が 始 ま る 直 前 だ っ た。
戦 時 下 の 「人 生 論」
1941 年 ─ 国 民 が 戦 争 へ と 動 員 さ れ、「国 家 の た め に」 が 全 て に 優 先 さ れ た 時 代。
そ の さ な か に、 三 木 が あ え て 「個 人 の 人 生」 を 語 っ た こ と に は、 大 き な 意 味 が あ る。
死・幸 福・孤 独・偽 善・嫉 妬・名 誉・噂 さ・成 功 ─ こ れ ら は す べ て、 戦 争 や 国 家 と は 無 関 係 の、 個 人 が 必 ず 直 面 す る 普 遍 的 主 題 で あ る。
三 木 が こ う し た 主 題 を 一 つ ず つ 静 か に 論 じ た こ と は、 「国 家 全 体 に 包 摂 さ れ な い 個 人 の 領 域 が あ る」 と い う 静 か な 抵 抗 の 表 現 と も 読 め る。
1945 年 9 月 26 日 ─ 三 木 清 の 獄 死
1945 年 (昭 和 20 年) 3 月、 三 木 清 は 治 安 維 持 法 違 反 容 疑 で 拘 留 さ れ た。
理 由 は、 彼 が 戦 前 に か く ま っ た 一 人 の 知 人 が、 共 産 主 義 者 だ っ た こ と に よ る。
そ し て 1945 年 8 月 15 日 ─ 日 本 が 敗 戦 を 迎 え、 治 安 維 持 法 は 廃 止 さ れ る べ き だ っ た。
だ が、 何 故 か 三 木 は 釈 放 さ れ ず、 拘 留 を 続 け ら れ た。
そ し て 1945 年 9 月 26 日 ─ 終 戦 か ら 41 日 後 ─ 三 木 清 は 豊 多 摩 拘 置 所 で 衰 弱 死 し た。 48 歳 だ っ た。
こ の 「戦 後 の 獄 死」 は、 国 際 的 に も 大 き な 衝 撃 を 与 え、 戦 後 民 主 化 運 動 の 一 因 と な っ た。
GHQ は こ の 件 を 重 く 受 け 止 め、 同 年 10 月 4 日、 治 安 維 持 法 廃 止 ・ 政 治 犯 釈 放 を 命 ず る 指 令 を 発 し た。
『人 生 論 ノ ー ト』 の 戦 後 再 評 価
戦 後、 三 木 清 の 獄 死 が 知 ら れ る と、 『人 生 論 ノ ー ト』 は 一 気 に ベ ス ト セ ラ ー と な っ た。
1947 年 ま で に 30 万 部 以 上 売 れ、 戦 後 復 興 期 の 若 者 た ち の 心 の 支 え と な っ た。
そ し て 80 年 経 っ た 今 も、 文 庫 と し て 読 ま れ 続 け て い る。
「死 ぬ こ と は 帰 っ て ゆ く こ と で あ る」「孤 独 は 街 に あ る」「幸 福 は 表 現 的 で あ る」 ─ こ れ ら の 言 葉 は、 80 年 前 の 戦 時 下 と 同 じ よ う に、 現 代 の 私 た ち の 心 に も 響 く。
三 木 が 知 ら な か っ た こ と
『人 生 論 ノ ー ト』 で 三 木 は こ う 書 い た:「死 ぬ こ と は 帰 っ て ゆ く こ と で あ る」 と。
彼 が こ の 言 葉 を 書 い た 1941 年、 彼 は 自 分 が 4 年 後 に 獄 死 す る こ と を 知 ら な か っ た。
だ が、 こ の 言 葉 は、 彼 自 身 の 死 を 予 言 す る か の よ う で あ る。
拘 置 所 の 中 で 衰 弱 し て い く 三 木 清 が、 自 分 の 書 い た こ の 言 葉 を 思 い 出 し て い た か ど う か ─ そ れ は 誰 に も わ か ら な い。
だ が、 「死 ぬ こ と は 帰 っ て ゆ く こ と で あ る」 と い う 静 か な 結 論 を 4 年 前 に 出 し て い た こ と は、 三 木 自 身 を 最 後 ま で 支 え た の か も し れ な い。
大 学 入 試 評 論 と し て の 『人 生 論 ノ ー ト』
『人 生 論 ノ ー ト』 は、 大 学 入 試 評 論 文 で も 頻 出 す る。
特 に 「孤 独 に つ い て」「幸 福 に つ い て」「死 に つ い て」 が 出 題 さ れ や す い。
三 木 の 文 体 の 特 徴 は ─
- 簡 潔 で 短 い 命 題 ─「孤 独 は 山 に な く て 街 に あ る」 の よ う な 一 行 命 題
- 逆 説 の 多 用 ─ 常 識 を 反 転 さ せ て 真 理 を 浮 か び 上 が ら せ る
- 具 体 例 と 抽 象 の 往 復 ─ 哲 学 的 な が ら も 読 み や す い
高 校 生 が 哲 学 文 章 に 入 門 す る た め の 最 適 な 教 材 で あ る。
あ な た 自 身 の 「ノ ー ト」 を 始 め よ う
三 木 清 は、 1938 年 か ら 1941 年 ま で、 毎 月 一 つ ず つ 「人 生 の 主 題」 を 選 び、 短 い 文 章 を 書 き 続 け た。
君 も、 ノ ー ト を 一 冊 用 意 し て、 月 に 一 つ で も 「自 分 の 人 生 論」 を 書 い て み よ う。
- 1 月: 死 に つ い て
- 2 月: 友 情 に つ い て
- 3 月: 幸 福 に つ い て
- 4 月: 恋 愛 に つ い て
- 5 月: 努 力 に つ い て
- (以 下 続 け る)
80 年 後、 君 の ノ ー ト も、 誰 か の 心 を 支 え る 一 冊 に な る か も し れ な い。
そ れ こ そ が、 三 木 清 が『人 生 論 ノ ー ト』 を 残 し た 真 の 意 味 で あ る。
語句の意味
各見出し語をクリックすると、外部辞書で詳しい意味を調べられます。 ※ Wiktionary について
- 三 木 清 (み き き よ し) K 1897–1945。 兵 庫 県 出 身。 京 都 帝 国 大 学 で 西 田 幾 多 郎 (本 サ イ ト kotoko3) に 師 事。 京 都 学 派 の 中 心 的 哲 学 者。 法 政 大 学 教 授。 ハ イ デ ガ ー の も と で 学 ぶ た め 渡 独 (1922–1925)。 『パ ス カ ル に お け る 人 間 の 研 究』『歴 史 哲 学』『人 生 論 ノ ー ト』 な ど。 1945 年、 治 安 維 持 法 違 反 で 拘 留 さ れ、 終 戦 後 も 釈 放 さ れ ず、 9 月 26 日 獄 死。 48 歳。
- 人 生 論 ノ ー ト (じ ん せ い ろ ん の ー と) K 1941 年 (昭 和 16 年) 創 元 社 刊。 雑 誌『文 学 界』 に 1938–1941 年 に か け て 連 載 し た 23 編 を ま と め た。 戦 時 下 と は 思 え な い ほ ど 静 か で 深 い 思 索 集。 戦 後 ベ ス ト セ ラ ー と な り、 今 も 文 庫 と し て 読 ま れ 続 け る。
- 京 都 学 派 (き ょ う と が く は) K 京 都 帝 国 大 学 で 西 田 幾 多 郎 を 中 心 に 形 成 さ れ た 哲 学 グ ル ー プ。 西 田・田 辺 元・三 木 清・西 谷 啓 治 ら。 西 洋 哲 学 と 東 洋 思 想 (仏 教・禅) を 融 合 さ せ よ う と し た 日 本 独 自 の 哲 学 運 動。
- 死 に つ い て (し に つ い て) K 『人 生 論 ノ ー ト』 第 1 章。 「死 ぬ こ と は 帰 っ て ゆ く こ と で あ る」 と い う 静 か な 結 論 で 知 ら れ る。 三 木 自 身 が 4 年 後 に 獄 死 す る こ と を 知 ら ず に 書 か れ た。
- 幸 福 に つ い て (こ う ふ く に つ い て) K 『人 生 論 ノ ー ト』 第 3 章。「幸 福 は 表 現 的 で あ る。 鳥 の 歌 う が 如 く 自 ら の 幸 福 を 歌 う 者 は 幸 福 で あ る」 と い う 一 文 で 有 名。
- 孤 独 に つ い て (こ ど く に つ い て) K 『人 生 論 ノ ー ト』 第 5 章。「孤 独 は 山 に な く て 町 に あ る、 一 人 の 人 間 に な く て 多 く の 人 間 の 『間』 に あ る」 と い う 逆 説 で 知 ら れ る。
- 治 安 維 持 法 (ち あ ん い じ ほ う) K 1925 年 (大 正 14 年) 制 定 の、 国 体 変 革 や 共 産 主 義 を 取 り 締 ま る 法 律。 戦 時 下 の 思 想 統 制 の 中 心。 1945 年 戦 後 廃 止。 三 木 は こ の 法 律 で 1945 年 3 月 拘 留 さ れ、 同 年 9 月 26 日 (終 戦 か ら 41 日 後) に 獄 死 し た。
- 獄 死 (ご く し) K 牢 獄 で 死 ぬ こ と。 三 木 清 は、 終 戦 後 も 何 故 か 釈 放 さ れ ず、 衰 弱 の 末 に 1945 年 9 月 26 日 に 獄 死 し た。 48 歳。 後 に こ の こ と が 国 際 的 に も 報 道 さ れ、 戦 後 民 主 化 運 動 の 一 因 と な っ た。
考えてみよう
- 三 木 清 は な ぜ 「死 ぬ こ と は 帰 っ て ゆ く こ と で あ る」 と 書 い た の で し ょ う か。 そ の 思 想 的 背 景 を 考 え ま し ょ う。
- 「孤 独 は 山 に な く て 町 に あ る」 と い う 三 木 の 言 葉 を、 自 分 の 言 葉 で 説 明 し て み ま し ょ う。
- 戦 時 下 の 1941 年 と い う 時 代 に、 三 木 が 「人 生 論」 を 書 い た 意 味 を 考 え ま し ょ う。 国 家・戦 争 を 語 ら ず、 個 人 の 人 生 を 語 る こ と は、 当 時 ど ん な 意 味 を 持 っ た で し ょ う か?
- 三 木 清 自 身 が、 こ の 本 を 書 い た 4 年 後 に 48 歳 で 獄 死 し た 事 実 を 知 っ て、 こ の 本 の 読 み 方 は 変 わ り ま す か?
- 現 代 の SNS 時 代 に、 三 木 の 言 葉 「孤 独 は 多 く の 人 間 の 『間』 に あ る」 は ど の よ う に 響 き ま す か?
指導要領との対応
このページは、文部科学省「高等学校学習指導要領(平成30年告示)」国語 第3学年の 以下の指導事項を意識して編集しています。
- 論理国語 — 近 代 以 降 の 哲 学 的 評 論 を 読 み、 思 想 を 把 握 す る
- 倫理 — 人 生 の 諸 主 題 (死・幸 福・孤 独 等) を 哲 学 的 に 考 察 す る
※ 文部科学省告示の本文ではなく、編集者による要旨の言い換えです。 正確な指導事項は文部科学省の公式資料を参照してください。
指導案 教員向け・授業展開の例
高3 国 語 で 戦 時 下 の 哲 学 エ ッ セ イ を 読 む。 三 木 清 は 西 田 幾 多 郎 (本 サ イ ト kotoko3) と 並 ぶ 京 都 学 派 の 代 表。 『人 生 論 ノ ー ト』 は 戦 後 ベ ス ト セ ラ ー と な り、 今 も 大 学 入 試 評 論 で 出 題 さ れ る。
指導目標
- 三 木 清 と 京 都 学 派 を 知 る
- 哲 学 エ ッ セ イ の 文 体 を 体 感 す る
- 戦 時 下 文 学 の 意 味 を 考 察 す る
- 「死・幸 福・孤 独」 と い う 普 遍 的 主 題 を 哲 学 的 に 考 え る
授業の流れ
- 1時限・10分 三 木 清 の 経 歴 と 京 都 学 派 を 紹 介
- 1時限・20分 「死 に つ い て」 を 通 読
- 1時限・15分 「幸 福 に つ い て」 「孤 独 に つ い て」 を 抜 粋 読
- 1時限・5分 第 1 時 限 の 振 り 返 り
- 2時限・20分 戦 時 下 の 文 脈 と 獄 死 を 検 討
- 2時限・15分 西 田 幾 多 郎 と の 関 係 を 整 理
- 2時限・15分 「自 分 の 人 生 論」 を 短 文 で
発問例・議論のポイント
- 戦 時 下 で「人 生」 を 語 る こ と は 抵 抗 か、 逃 避 か?
- 京 都 学 派 と 戦 争 協 力 の 評 価
- 現 代 の「孤 独」 と 三 木 の 言 う「孤 独」
発展課題
- 三 木 清 『パ ス カ ル に お け る 人 間 の 研 究』
- 西 田 幾 多 郎『善 の 研 究』 (本 サ イ ト kotoko3) と の 対 比
- 戦 後 「実 存 主 義」 と の 関 連
関連する教材
西田幾多郎『善の研究』序文・抜粋
「経験するというのは、事実其儘に知るの意である」— 日本哲学の出発点となった『善の研究』。京都学派の祖・西田幾多郎が、東洋と西洋を架橋する独自の哲学を樹立した、1911年の名著。大学入試現代文の常連でもある。
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「ある日の午後、比叡山中堂で、私は或ることを考えていた」── 戦時下の昭和17年、小林秀雄が比叡山で『一言芳談抄』に遭遇し、書きとめた一篇。「無常」とは何か。歴史と現在、生と死、思い出すことと生きること。
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「自己本位 (じこほんい) と いう 言葉 を 自分 の 手 に 握 っ て か ら、 私 は 非常 に 強 く な っ た」── 夏目漱石 が 47 歳、 死 の 2 年 前 に 学習院 で 行 っ た 名 講演。 「自分 で 考える」 こと の 大切さ を、 自身 の 苦悩 を 通 し て 語 る。
『文明論之概略』第一章 — 福澤諭吉
「議論の本位を定むる事」── 明治初期、福澤諭吉が日本社会の方向を決定づけた巨大な文明論の冒頭。「軽重・長短・善悪・是非」を判断する基準は、立つ位置によって変わる。日本が西洋に学ぶべきかどうか、その「議論の出発点」を問い直す名章。
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