御伽草紙『浦島さん』(抜粋) — 太宰治 の表紙イラスト

御伽草紙『浦島さん』(抜粋) — 太宰治

中学校 国語 第2学年 近代文学古典翻案戦時下文学 目安 25 分

作者
太宰治(1909–1948)
原作発表
1945 年(昭和20年 (1945))
出典
青空文庫
底本:太宰治『御伽草紙』(筑摩書房、1945年10月) 所収「浦島さん」の冒頭部分。戦争末期に防空壕の中で書き継がれた。

学習のめあて

  • 太宰治の翻案文学の魅力に触れる
  • 古典説話の「語り直し」という文学的方法を理解する
  • 戦時下に書かれた文学の意味を考える
  • 「浦島太郎」の物語を、新しい眼差しで読み直す

本文

本文(『御伽草紙・浦島さん』冒頭・太宰治)

むかしむかし、丹後 (たんご) の 国 の 水の江 (みずのえ) という ところに、浦島 という 男 が 住んで おりました。

あの 物語 で 有名な、浦島太郎 (うらしま たろう) の こと で ございます。
ただし、その 浦島 さん の こと を、私 たち は あまりに も よく 知って いる つもり で います が、実 は 細かい こと は、よく わかって いない の で は ない でしょうか。

そこで、ここ に、その 浦島 さん の 物語 を、もう 一度、ゆっくり と お話 して みたい と 思います。── と 申しまして も、これ が なかなか、私 自身 に も、まだ よく わかって いない の で ありまして。

浦島 さん は、地元 で は、決して 評判 の よい 青年 で は ありませんでした。
「変わり者」「気取り屋」「世間知らず」── そんな 陰口 を、村人 たち は しばしば 叩いて いた よう です。

というのも、浦島 さん は、海辺 を 散歩 し ながら、しきりに 海 を ながめ、しきりに 空 を ながめ、しきりに ため息 を ついて いる。── 漁師 の 仕事 を きちんと 学べば よい もの を、何 を 物思い (ものおもい) に 沈んで いる の だ ろう か、と。

しかし、浦島 さん 本人 に 言わせれば、それ は 物思い で は ない。
「私 は、ただ、ものごと を 美しく 見たい だけ なのです」 と、彼 は 内心 で 思って いた の でした。

そして、ある 日 の こと、彼 が いつも の よう に 海辺 を 散歩 して いる と、村 の 子ども たち が 浜辺 で 何 か を いじめて いる の が 目 に 入った。

近づいて よく 見て みる と、それ は 大きな 亀 で した ── ── ──

太宰治の語り直し

私たちが 知っている 「浦島太郎」 は、こういう ふうに 始まる はず だ:

むかしむかし、浦島太郎 という 漁師が おりました。ある日、浜辺で 子どもたち が 亀を いじめて いる の を 見て、お金を 払って 助けて あげました。

ところが 太宰治 の 浦島 は、「地元では 変人 扱い されて いる青年」 だ。「ものごと を 美しく 見たい だけ なのです」 と 内心で 思って いる、内省的 で 物思いがちな 男 として 描かれる。

これが、太宰治 の 翻案文学 の 鮮やかな ところ だ。
有名な 昔話 の キャラクター に、近代人 の 内面 を 与え、新しい 物語 として 蘇らせる。
「お話 を、もう 一度、ゆっくり と」 と 言い ながら、語り手 (太宰 自身) は、いつのまにか 読者 と 語り 合う 友人 の よう に 振る舞う。

『御伽草紙』 が 書かれた 時 と 場所

本作 『御伽草紙』 は、1945 年 (昭和 20 年) 10 月、戦争 が 終わった 直後 に 出版 された。
だが、太宰 が これ を 書き 始めた の は、まだ 戦争 の さなか だった。

本作 の 序文 で、太宰 は こう 書いて いる ──

私たちは 防空壕 (ぼうくうごう) の 中 で、子ども に 絵本 を 読んで 聞かせ ながら、暮らして いた。
ある とき、ふと 思った。── これら の 昔話 を、もう少し 大人 の 心 で 読み 直して みたら、どう なる だろう か、と。

1945 年 3 月 9 日 の 東京 大 空襲 で、太宰 の 家 は 焼け 落ちた。
妻 と 三 人 の 子 を 連れて、彼 は 甲府 へ、そして 故郷 の 津軽 へ と 疎開 (そかい) し た。
そうした 移動 の さなか、防空壕 の 中 で、太宰 は 子ども に 絵本 を 読み 聞かせ ながら、その 余白 に 大人 向け の 「翻案 御伽草紙」 を 書き 継いだ。

戦時下に「昔話」を書くということ

なぜ 戦争 の さなか に、昔話 を 書いた の か?

それは、現実 逃避 でも あった だろう。爆弾 が 落ち、人 が 死に、国 が 滅び ようと して いる 時 ── 「むかしむかし」 と 始まる 物語 は、ひとり の 大人 を 一時 (いっとき) でも 守って くれた。

しかし 同時 に、それ は 現実 への 抵抗 でも あった。
時代 が 「忠君愛国」 「滅私奉公」 「神国 日本」 と 叫んで いる さなか、太宰 は ── あえて、「変人」「気取り屋」「世間知らず」 と 呼ばれた 浦島 を 主人公 に した。
「ものごと を 美しく 見たい だけ なのです」 と、内心 で つぶやく ような 青年 を。

これ は、戦時 の 大文字 (「英雄」 「祖国」 「忠義」) に 対する、小文字 の 抵抗 だった の かも しれない。

翻案文学 という ジャンル

太宰治 の 『御伽草紙』 は、日本 近代 の 翻案文学 の 代表作 の 一つ だ。
他 に も:

  • 芥川龍之介 『藪の中』 『羅生門』 『地獄変』 ── 平安・室町期 の 説話 を 近代心理小説 に。
  • 中島敦 『山月記』 『李陵』 『弟子』 ── 中国 古典 を 翻案 (本サイト の kotoko1 で 読める)。
  • 森鴎外 『高瀬舟』 ── 江戸 期 の 説話 を 近代倫理小説 に (本サイト の chugaku2 で 読める)。

古い 物語 を、新しい 心 で 読み 直す ── これ は、文学 が ずっと 続けて きた 営み で ある。
そして 君 が 今 「浦島太郎」 を 思い 出す とき、 そこ に は 太宰治 の 浦島 も、すでに 重なって いる。

結び

原文 の 続き ── 浦島 が 亀 を 助け、竜宮城 へ 招かれ、乙姫様 と 出会い、戻って 来た ら 何百年 も 経って いて 玉手箱 を 開けて しまう ── は、青空文庫 で 全文 が 読める。
太宰 の 語り直し は、知って いる はず の 物語 を、まったく 違う 表情 で 君 に 見せて くれる はずだ。

語句の意味

各見出し語をクリックすると、外部辞書で詳しい意味を調べられます。 ※ Wiktionary について

  • 太宰治 (だざい おさむ) K 1909–1948。青森県津軽生まれ。本名 津島 修治 (しゅうじ)。代表作『斜陽』『人間失格』『走れメロス』など。戦中・戦後の混乱期に多くの傑作を残し、39 歳で玉川上水に入水して自死。
  • 御伽草紙 (おとぎ ぞうし) K 太宰治が 1945 年に発表した短編集。「浦島さん」「カチカチ山」「舌切雀」「瘤取り」の 4 編から成る。日本の有名な昔話を、太宰流のユーモアと風刺で語り直した翻案作品。
  • 防空壕 (ぼうくうごう) K 空襲の際に避難するための地下の穴。第二次世界大戦末期、日本各地で家庭・学校・町内が掘った。太宰は東京の自宅の防空壕で『御伽草紙』を書いていた、と序文に書いている。
  • 丹後の国 (たんごのくに) K 現在の京都府北部、日本海に面した地域。古来「丹後の浦島伝説」が伝わる土地。
  • 水の江 (みずのえ) K 丹後の国の海辺の地名。古い『日本書紀』『丹後国風土記』にも登場する。
  • 翻案 (ほんあん) K 既存の作品 (古典・外国文学など) を素材とし、それを自由に書き換えて新しい作品にすること。太宰の御伽草紙、芥川龍之介『藪の中』『地獄変』、中島敦『山月記』なども翻案文学の名作。
  • 浦島太郎 (うらしま たろう) K 古くから日本に伝わる伝説の主人公。漁師の少年が、亀を助けたお礼に竜宮城へ連れて行かれ、戻ってきたら何百年も経っていた、という物語。最古の記録は『日本書紀』『丹後国風土記』(8 世紀)。
  • 草紙 (そうし) K 主に和文で書かれた、絵入りの物語本。室町時代に流行した「お伽草子」(お伽噺の本) の意も含む。
  • 戦時下 (せんじか) K 1941 年から 1945 年の太平洋戦争のさなか。太宰は 1945 年 3 月 9 日の東京大空襲で家を焼かれ、その後甲府・津軽へ疎開しながら『御伽草紙』を書き続けた。

考えてみよう

  1. 太宰治は、なぜ戦争のさなかに「浦島太郎」の語り直しを書いたのでしょうか。本作の序文 (青空文庫で読める) を参考に考えてみましょう。
  2. 太宰の語り口 (「むかしむかし」で始まりつつ、語り手が突然読者に話しかける) は、伝統的な昔話とどう違いますか。
  3. 太宰の浦島は、ただの「真面目な漁師」ではなく、地元では「変人」扱いされている設定です。なぜ太宰はそういう設定にしたのでしょうか。
  4. 「玉手箱を開けてしまった瞬間に老人になる」── この物語の核心部分を、太宰はどう描いているでしょうか (原作で読み比べてみましょう)。「時間」というテーマで考えると?
  5. あなたが知っている古い物語 (桃太郎・かぐや姫・一寸法師・舌切雀など) を、現代の言葉で語り直すとしたら、どんな話になりますか?
指導案 教員向け・授業展開の例

中2 国語の 翻案文学 教材として、太宰治『御伽草紙』冒頭 (浦島さん) を読む。 昔話を知っている生徒なら、太宰の語り直しの面白さを直接体感できる。 戦時下に書かれたという背景も含めて、「物語を語り直す」という文学行為の意味を考える教材。

授業時数
2時限 (各50分)
準備
本文 (青空文庫の太宰治『御伽草紙』)、「浦島太郎」の元型 (『日本書紀』『丹後国風土記』からの抜粋)、太宰治の年譜 (1945 年の動向)

指導目標

  • 太宰治の文体の特徴を把握する
  • 翻案文学のジャンルを理解する
  • 古典説話の現代的読み直しを体験する
  • 戦時下文学の文脈を知る

授業の流れ

  1. 1時限・10分 「浦島太郎」のあらすじを生徒同士で確認
  2. 1時限・20分 太宰版を音読
  3. 1時限・15分 原型の昔話と太宰版を比較
  4. 1時限・5分 振り返り
  5. 2時限・15分 「翻案文学」のジャンルを概観
  6. 2時限・20分 戦時下の文脈を解説 — 防空壕での執筆
  7. 2時限・15分 自分なら他のどの昔話を翻案するか、計画を立てる

発問例・議論のポイント

  • 「浦島太郎」を翻案する意味は何か?
  • 戦争のさなかに昔話を書く ─ これは「現実逃避」か「現実への抵抗」か?
  • 太宰の浦島が「変人」扱いされる設定は、何を語っているか?

発展課題

  • 太宰治『御伽草紙』の他の編 (カチカチ山・舌切雀・瘤取り) も読む
  • 芥川龍之介『藪の中』『地獄変』との比較
  • 中島敦『山月記』との比較 (kotoko1 の本サイト教材)
  • 自分で 1 つの昔話を翻案する創作課題

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出典・ライセンス

  • 原文: 太宰治「御伽草紙『浦島さん』(抜粋) — 太宰治」(1945年)
  • 入力テキスト: 青空文庫 (底本:太宰治『御伽草紙』(筑摩書房、1945年10月) 所収「浦島さん」の冒頭部分。戦争末期に防空壕の中で書き継がれた。)
  • 原文の権利: パブリックドメイン
  • 編集・語注・発問・解説: CC BY 4.0 © project_procopios contributors