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マグナ・カルタ(大憲章)抜粋 — 法の支配の起源

高等学校 世界史 第1学年 古典 中世ヨーロッパ立憲主義の起源イギリス史 目安 25 分

作者
イングランド王ジョンと諸侯(起草:S. ラングトン他)(イングランド王ジョン:1166–1216 / 大司教 Stephen Langton:1150頃–1228)
原作発表
1215 年(中世イングランド(プランタジネット朝、ジョン王時代))
出典
ラテン語原典 / 大英図書館 1215 年版 PDF(オープンドメイン)
底本:Magna Carta Libertatum、1215年6月15日、テムズ川中州ラニーミード(Runnymede)でジョン王が封印。本教材は大英図書館所蔵の1215年原典(ラテン語)から、第39条・第40条・第61条等の最重要条項を抜粋。原典・英訳・日本語旧訳すべてパブリックドメイン。

学習のめあて

  • マグナ・カルタの最重要条項を、ラテン語原典・英訳・日本語訳で読む
  • 1215年のイングランドの政治状況(ジョン王の失政と諸侯の反乱)を理解する
  • 「法の支配 (rule of law)」が王権をも縛るという立憲主義の出発点を学ぶ
  • 後世への影響(権利請願・人身保護法・米国憲法・日本国憲法)を通史的に捉える

本文

原文(抜粋・ラテン語)— 第 39 条

"Nullus liber homo capiatur, vel imprisonetur, aut disseisiatur, aut utlagetur, aut exuletur, aut aliquo modo destruatur, nec super eum ibimus, nec super eum mittemus, nisi per legale judicium parium suorum vel per legem terrae."

— Magna Carta Libertatum, 1215, Clause 39 (Latin original)

英訳(標準訳・19世紀英国の Norton 英訳系統)

"No free man shall be seized or imprisoned, or stripped of his rights or possessions, or outlawed or exiled, or deprived of his standing in any other way, nor will we proceed with force against him, or send others to do so, except by the lawful judgement of his equals or by the law of the land."

— Magna Carta, Clause 39 (1215), standard English translation

日本語訳(第 39 条)

いかなる自由人も、その同輩による合法的な裁判または国の法によらない限り、逮捕されることも、拘禁されることも、その権利・財産を奪われることも、追放されることも、他のいかなる方法でもその地位を奪われることもない。われわれ(王)は、その者に対して武力で進むことも、他者に命じて進ませることもしない。」

関連条項 — 第 40 条

"Nulli vendemus, nulli negabimus, aut differemus rectum aut justitiam."
("To no one will we sell, to no one deny or delay, right or justice.")
われわれは何人に対しても、正義を売ることも、拒むことも、遅らせることもない。」

第 39 条・第 40 条が、マグナ・カルタの中で最も後世に大きな影響を与えた二つの条項です。前者は「適正手続 (due process)」の原型、後者は「司法アクセス (access to justice)」の原型。

歴史の窓 — 1215 年 6 月 15 日、ラニーミード

マグナ・カルタが封印された1215 年 6 月 15 日は、世界史の転機の一つです。ロンドンの西郊、テムズ川中州のラニーミード (Runnymede)。両岸に陣取った王軍と諸侯軍が緊張のなかで対峙する中、ジョン王が諸侯の提示する 63 条の文書に王の封蝋を押しました。

出来事
1199ジョン王即位(兄リチャード獅子心王の死後)
1204対フランス戦争でノルマンディー喪失。後にアンジュー・メイン・トゥーレーヌも喪失
1208–1213教皇インノケンティウス3世との対立。イングランド全土が聖務停止。1213年にジョン王が教皇に降伏
1214ブヴィーヌの戦いでフランス王フィリップ2世に敗北。残ったフランス領土も喪失危機
1215 年初め諸侯の反乱開始。5月17日、反乱諸侯がロンドンを占領
1215年6月15日ラニーミードでマグナ・カルタを封印
1215 年 8月ジョン王が教皇に「強要されたもの」として無効を訴え、教皇もこれを承認
1215 年秋諸侯とジョン王の内戦(第一次バロン戦争)
1216 年 10月ジョン王 赤痢で死去(49歳)
1216, 1217, 1225後継のヘンリー3世が改訂版を発布。1297 年版(エドワード1世)が現在も英国法的に有効な部分を含む

マグナ・カルタは、「一度封印して終わり」の文書ではなく、何度も再発布されながら徐々に英国法の根幹に組み込まれていった歴史的プロセスです。20 世紀イギリスの法学者 A. V. ダイシーは、これを「法の支配 (rule of law)」の起源として位置づけました。

当時の「自由人」とは誰か

マグナ・カルタ第39条が保障するのは「自由人 (homo liber)」の権利です。これは現代の「すべての人」を意味するものではありません。1215 年のイングランドでは:

階層 人口比(推計) マグナ・カルタの保護対象か
貴族・諸侯 (barons)〜1%○ 主要受益者
聖職者〜3%○ 起草に関与
自由農民 (free peasants)〜15%○(「自由人」の定義に含まれる)
商人 (merchants)〜5%
農奴 (serfs / villani)〜70%× 「自由人」ではない
奴隷〜5%×
女性人口の約半数限定的保護のみ(夫の財産の一部としての扱い)

つまり、当時の「自由人」とは、英国人口の約 1/4 にすぎなかったのです。残りの 70% を占めた農奴は、土地に縛り付けられた半奴隷的身分で、マグナ・カルタの保護は受けません。女性は法的に「半人前」とされ、独立した「自由人」とは扱われませんでした。

しかし、ここに歴史の重要な逆説があります。「自由人」という限定的な概念は、後の数世紀を通じて徐々に拡張されていきました

  • 1381年:ワット・タイラーの乱で農奴制への抵抗。1500 年頃までに英国では事実上の農奴制消滅
  • 1628年:権利請願で「自由人」の概念が議会的に再確認
  • 1679年:人身保護法で「すべての人」への拡張
  • 1789年:米国憲法・権利章典で「すべての人」が国家から保護される
  • 1791年:フランス人権宣言の影響
  • 1865–1870年:米国憲法修正第13・14・15条で奴隷制廃止と完全な市民権付与
  • 1928年:英国で女性参政権完全実現
  • 1948年:国連世界人権宣言で「全ての人」を対象とした人権基準

マグナ・カルタは、800 年の長い時間をかけて、「貴族の特権」から「人類の権利」へと意味を拡張してきた文書なのです。

法の支配の系譜 — マグナ・カルタから日本国憲法へ

マグナ・カルタ第 39 条は、後世の数多くの法文書の祖です。「法の支配」の系譜を辿ってみましょう。

文書 対応する第 39 条系の条項
1215マグナ・カルタ第 39 条「自由人は、合法な裁判または国の法によらない限り、逮捕されない」
1628権利請願 (Petition of Right)「議会の同意なき税徴収・恣意的拘禁を禁止」
1679人身保護法 (Habeas Corpus Act)「拘束された者は裁判所への引致を要求できる」
1689英国権利章典 (Bill of Rights)「議会の同意なき法律停止・課税を禁止」
1791米国憲法 修正第 5 条「適正な法の手続なくして生命・自由・財産を奪われない」
1868米国憲法 修正第 14 条「適正手続条項の州への拡張、すべての人への適用」
1947日本国憲法 第31条何人も、法律の定める手続によらなければ、その生命若しくは自由を奪はれ、又はその他の刑罰を科せられない
1948国連世界人権宣言 第9条「何人も、ほしいままに逮捕・拘禁・追放されない」

1215 年のラニーミードから、1947 年の戦後日本国憲法施行まで、732 年。マグナ・カルタは、地球の反対側の島国の戦後憲法にまで、その精神を継承させたのです。「中世イングランドの一文書が、今もあなたを国家権力の恣意から守っている」——これは、誇張ではなく、文書学的に正確な事実です。

批判の目 — 「貴族の取引文書」としての側面

マグナ・カルタを「世界初の人権宣言」と呼ぶのは、ある意味で歴史の理想化です。本来は次のような文書でした:

  • 諸侯の自分たちの特権を守るための文書:マグナ・カルタの 63 条のうち、農民・農奴を直接守る規定はほとんどない。むしろ「諸侯の城」「貴族の遺産相続」「教会の自治」「諸侯の同意なき課税の禁止」など、上流階級の権利を保護する規定が中心。
  • すぐに無効にされる予定だった:ジョン王本人は封印直後に「強要されたもの」と無効を主張、教皇もそれを承認。13 世紀の文書としては、本来「短命」で終わるはずだった。
  • 後世の解釈による拡張:マグナ・カルタが「自由」の象徴になったのは、17世紀の英国議会派(特に法学者エドワード・コーク)の解釈による。コークが第39条を「人身保護令」「適正手続」の祖として読み込んだ。これがアメリカ独立期にトーマス・ジェファーソン、ジェームズ・マディソンらに継承されていきます。

つまりマグナ・カルタの歴史的偉大さは、1215 年の文書そのものではなく、その後 800 年間の「解釈の積み重ね」にあります。「過去の文書を、現在の必要に応じて読み直す」という、法と歴史の対話の最も豊かな例です。

大切な姿勢 マグナ・カルタを「世界初の人権宣言」と単純化するのも、「結局は貴族の取引文書」と切り捨てるのも、どちらも一面的です。「800 年にわたる解釈と拡張のプロセスそのものが、人権の歴史である」と受け止めることが、現代の歴史教育の姿勢です。

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800 年前のイングランドの一文書が、今もあなたの権利を守っている。本教材を読むことは、「自分が今持っている自由」の長い歴史的系譜を、自分の中で再発見する営みです。法は誰かが書いた条文ではなく、何世代もの人々が積み重ねてきた闘争と解釈の結晶なのです。

語句の意味

各見出し語をクリックすると、外部辞書で詳しい意味を調べられます。 ※ Wiktionary について

  • マグナ・カルタ (Magna Carta Libertatum) K ラテン語で「大いなる自由の特許状」の意。1215年6月15日、ジョン王が封建貴族・聖職者の連合に強いられてテムズ川中州ラニーミードで封印。全 63条。後に複数回の発布があり、1297年版が現在も法的に有効な部分を含むとされる。
  • ジョン王 (King John, 在位 1199–1216) K プランタジネット朝のイングランド王。兄リチャード獅子心王の死後即位。対フランス戦争での領土喪失(ノルマンディー・アンジュー)、教皇インノケンティウス3世との対立(1208–1213 イングランド全土を聖務停止)、重税賦課などの失政により、貴族の反乱(1215)を招き、マグナ・カルタを承認させられる。
  • 大司教 ステファン・ラングトン (Stephen Langton, 1150頃–1228) K カンタベリー大司教(1207–1228)。マグナ・カルタ起草の主導者の一人とされる。教皇インノケンティウス3世の任命を巡って当初はジョン王と対立、後に和解。学識深いキリスト教神学者でもあり、聖書の章節分けにも貢献した。
  • ラニーミード (Runnymede) K テムズ川中州の地名。ロンドンの西郊、ウィンザーとステインズの間。1215年6月15日、ジョン王と諸侯がここで対峙し、マグナ・カルタの承認が行われた。現在は記念碑が建ち、世界遺産候補となっている。
  • 法の支配 (rule of law) K 王・政府も法に従わねばならず、誰も法の上にいないという原則。マグナ・カルタの第39条がこの原則の最も早い明文化の一つ。後の英国コモン・ロー、アメリカ独立、フランス革命、戦後日本国憲法へと継承される。
  • 第39条 K 「いかなる自由人も、同輩の合法な裁判または国の法によらない限り、逮捕・拘禁・財産没収・追放されない」。後の人身保護令(habeas corpus)、適正手続(due process)の起源。
  • 第40条 K 「我々は何人に対しても、正義を売り、拒み、または遅延させることはない」。司法へのアクセスの原則。
  • 第61条 (安全条項) K 王が条項に違反した場合、25人の諸侯による委員会が王の財産を差し押さえる権利を持つ、という違反時の救済条項。後に英国憲政の「議会による王権抑制」の原型。
  • 自由人 (homo liber) K 当時の身分制で「自由民」を指す。貴族・聖職者・自由農民・商人を含むが、農奴 (serf) や奴隷は含まない。当時のイングランド人口の約 1/4 にすぎなかった。
  • 同輩の裁判 (judicium parium suorum) K 自分と同じ身分の者による陪審。後の英米陪審制 (jury trial) の起源。
  • 国の法 (lex terrae / lex terre) K 王の恣意ではなく、すでに確立した慣習法(コモン・ロー)。
  • 権利請願 (Petition of Right, 1628) K マグナ・カルタを根拠に、議会が国王に課税権・拘禁権の制限を要求した文書。エドワード・コーク主導。後の名誉革命(1688)と権利章典(1689)の道を開く。
  • 人身保護法 (Habeas Corpus Act, 1679) K 「人身を出せ」というラテン語の令状名から。不当な拘禁を防ぐイギリスの法律。アメリカ憲法・日本国憲法第34条にも継承される。
  • 米国憲法修正第5条・第14条 K 「何人も適正な法の手続なくしてその生命・自由・財産を奪われない (due process of law)」。マグナ・カルタ第39条を直接の系譜とする。
  • 日本国憲法第31条 K 「何人も、法律の定める手続によらなければ、その生命若しくは自由を奪はれ、又はその他の刑罰を科せられない」。マグナ・カルタ → 米国憲法 → 戦後日本国憲法の系譜。

考えてみよう

  1. マグナ・カルタ第39条「いかなる自由人も、同輩の合法な裁判または国の法によらない限り、逮捕・拘禁されない」は、何を保証しているでしょうか。
  2. 「自由人 (homo liber)」という表現が、当時のイングランド社会では人口の約 1/4 にしか適用されなかったことの意味を考えましょう。「世界初の人権文書」と呼ばれることへの留保点はどこにありますか。
  3. ジョン王はなぜマグナ・カルタを認めざるを得なかったのでしょうか。1215年の政治状況(対フランス戦争での失敗、教皇との対立、重税)を踏まえて説明してみましょう。
  4. ジョン王はマグナ・カルタ封印後、すぐに教皇インノケンティウス3世に「強要されたものなので無効」と訴え、教皇もこれを認めました。しかし諸侯はジョン王と内戦になり、翌 1216 年にジョン王は赤痢で死去、息子のヘンリー3世がマグナ・カルタを再発布。この迂遠な歴史過程は、「法の支配」の確立がいかに困難だったかをどう示しているでしょうか。
  5. マグナ・カルタは「王権を法で縛る」という原則を初めて明文化した文書とされます。これは、君主の権威を「神聖不可侵」とした<a href="/library/kotorekishi1/teikoku-kenpo">大日本帝国憲法 第3条</a>と対極にあります。両者を並べて、近代の立憲主義がどう積み重なってきたかを考えましょう。
  6. マグナ・カルタ第39条は、約 6 世紀後のアメリカ独立宣言・米国憲法修正第5条「適正手続条項」、戦後日本国憲法第31条にまで継承されました。一つの中世文書が、地球の反対側の現代法体系にまで影響を与え続けるのはなぜでしょうか。
  7. 現代の私たちは、「拘禁されない権利」「公正な裁判を受ける権利」を当然のものとして享受しています。これが「マグナ・カルタ以来 800 年の歴史的闘争の結果」であることを、自分の言葉で意識化してみましょう。

指導要領との対応

このページは、文部科学省「高等学校学習指導要領(平成30年告示)」世界史 第1学年の 以下の指導事項を意識して編集しています。

  • 世界史探究 (2) — 中世ヨーロッパ・封建社会
  • 世界史探究 (3) — 近代国家への展望、立憲主義の起源
  • 歴史総合 — 近代化と歴史 — 法の支配の系譜

※ 文部科学省告示の本文ではなく、編集者による要旨の言い換えです。 正確な指導事項は文部科学省の公式資料を参照してください。

指導案 教員向け・授業展開の例

中世イングランドの一文書が、世界の立憲主義の起源として 800 年を超えて生き続けているのはなぜか。本教材では、(1)1215年の政治状況、(2)最重要条項の原文・英訳・日本語訳、(3)「自由人」概念の限界、(4)権利請願 (1628)・人身保護法 (1679)・米国憲法 (1789) ・日本国憲法 (1947) への継承、を扱う。世界史探究・歴史総合の立憲主義の章で核心となる教材。

授業時数
1〜2 単位時間
準備
マグナ・カルタ第39条・第40条等の原文プリント(ラテン語・英訳・日本語訳)、1215年のイングランド地図とラニーミードの位置、法の支配の系譜年表(1215 → 1628 → 1679 → 1789 → 1947)、米国憲法修正第5条と日本国憲法第31条の対応表

指導目標

  • マグナ・カルタの最重要条項を、原文・英訳・日本語訳で読む
  • 1215 年のイングランドの政治状況を理解する
  • 「自由人」概念の歴史性(当時の限界)を批判的に把握する
  • 法の支配の系譜(マグナ・カルタ → 権利請願 → 米国憲法 → 日本国憲法)を通史的に捉える

授業の流れ

  1. 1時間目 第39条・第40条を原文 (ラテン語抜粋) ・英訳・日本語訳で精読。「自由人」「同輩の裁判」「国の法」の用語を整理。1215年のジョン王の失政とラニーミードでの会見の歴史的経緯を確認。
  2. 2時間目(発展) マグナ・カルタの後の歴史をたどる(権利請願 1628、人身保護法 1679、名誉革命 1688、米国憲法 1789、日本国憲法 1947)。「自由人 = 男性自由民のみ」だった限界が、何世紀かけて「すべての人」へと拡張されてきた過程を追う。現代の人権文書の系譜の出発点として位置づける。

発問例・議論のポイント

  • 「いかなる自由人も拘禁されない」という第39条は、当時は人口の 1/4 にしか適用されない原則でした。それでも 800 年後の今、これが「すべての人」へと拡張された原則として機能しています。「権利の拡大」はどのように起こったのでしょうか。
  • ジョン王はマグナ・カルタを封印した直後に「強要されたもの」として無効を訴え、教皇もこれを認めました。それでも長い目で見れば、マグナ・カルタは生き残りました。一つの文書が、王自身と教皇の意向に反してでも生き残るメカニズムは何だったのでしょうか。
  • 日本では、君主の権威は「神聖不可侵」とされた時期がありました(明治憲法第3条)。一方、イギリスは13世紀から「王も法に従う」原則を確立。両者の差は、それぞれの社会に何をもたらしたでしょうか。
  • 現代日本国憲法第31条「何人も、法律の定める手続によらなければ、その生命若しくは自由を奪はれ、又はその他の刑罰を科せられない」は、マグナ・カルタ第39条の直接の継承者です。800 年前の中世文書が、戦後日本に到達するまでの長い歴史を想像してみましょう。
  • マグナ・カルタは「貴族と王の取引文書」として始まりましたが、徐々に「市民の権利章典」へと意味が拡張されていきました。現代でも「人権 (human rights)」の意味は拡張中です(環境権、未来世代の権利、AI 時代の権利など)。歴史は今も動いていることを実感しましょう。

発展課題

  • 17世紀の英国憲政史(権利請願 1628、ピューリタン革命 1640s、名誉革命 1688、権利章典 1689)を学ぶ。
  • アメリカ独立宣言 (1776) と米国憲法・権利章典 (1789–1791) を読み、マグナ・カルタとの対応を追う。
  • 日本国憲法第31条〜第40条の刑事手続条項を読み、マグナ・カルタからの系譜を確認。
  • 国連世界人権宣言 (1948) の冒頭を読み、マグナ・カルタとの距離を確認。
  • 大英図書館所蔵の 1215 年版マグナ・カルタの画像を見て、800 年前の羊皮紙に書かれた文字を体感する。

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出典・ライセンス

  • 原文: イングランド王ジョンと諸侯(起草:S. ラングトン他)「マグナ・カルタ(大憲章)抜粋 — 法の支配の起源」(1215年)
  • 入力テキスト: ラテン語原典 / 大英図書館 1215 年版 PDF(オープンドメイン) (底本:Magna Carta Libertatum、1215年6月15日、テムズ川中州ラニーミード(Runnymede)でジョン王が封印。本教材は大英図書館所蔵の1215年原典(ラテン語)から、第39条・第40条・第61条等の最重要条項を抜粋。原典・英訳・日本語旧訳すべてパブリックドメイン。)
  • 原文の権利: パブリックドメイン
  • 編集・語注・発問・解説: CC BY 4.0 © project_procopios contributors