教育ニ関スル勅語(教育勅語)— 1890年の理念と1948年の失効
中学校 公民 第3学年 古典 近代日本の教育と思想戦後民主主義の出発 目安 35 分
学習のめあて
- 教育勅語の全文(315字)を、当時の表記のまま読み、語注をたよりに意味をつかむ
- 「個人徳目」と「国体観念」が一つの文書のなかで結びついていた構造を理解する
- 1948年に国会が「排除」「失効確認」を決議した理由を、日本国憲法との関係から考える
- 戦前と戦後の教育観の違いを、歴史的経過のなかでとらえる
- 「過去の文書をどう読むか」という、史料批判の基本的な姿勢を身につける
本文
原文(全文)
以下は、1890年(明治23年)10月30日に明治天皇の名で発布された「教育ニ関スル勅語」の全文です。当時の公文書のままの漢文調表記で示し、読みやすいよう、おもな語に振りがなと現代仮名遣いを添えています。
朕惟フニ我カ皇祖皇宗国ヲ肇ムルコト宏遠ニ徳ヲ樹ツルコト深厚ナリ
我カ臣民克ク忠ニ克ク孝ニ億兆心ヲ一ニシテ世々厥ノ美ヲ済セルハ此レ我カ国体ノ精華ニシテ教育ノ淵源亦実ニ此ニ存ス
爾臣民父母ニ孝ニ兄弟ニ友ニ夫婦相和シ朋友相信シ恭倹己レヲ持シ博愛衆ニ及ホシ学ヲ修メ業ヲ習ヒ以テ智能ヲ啓発シ徳器ヲ成就シ進テ公益ヲ広メ世務ヲ開キ常ニ国憲ヲ重シ国法ニ遵ヒ一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ
是クノ如キハ独リ朕カ忠良ノ臣民タルノミナラス又以テ爾祖先ノ遺風ヲ顕彰スルニ足ラン
斯ノ道ハ実ニ我カ皇祖皇宗ノ遺訓ニシテ子孫臣民ノ倶ニ遵守スヘキ所之ヲ古今ニ通シテ謬ラス之ヲ中外ニ施シテ悖ラス朕爾臣民ト倶ニ拳々服膺シテ咸其ノ徳ヲ一ニセンコトヲ庶幾フ
明治二十三年十月三十日
御名御璽
— 「教育ニ関スル勅語」明治23年(1890年)10月30日発布/全315字
現代語訳
原文は漢文調で、現代の読者には難解です。意味の輪郭をつかむために、以下に現代語訳を示します。ただし、訳は解釈を伴うので、必ず原文と照らし合わせて読んでください。
【冒頭】 私が思うに、わが皇祖皇宗(天皇家の祖先)が国を始められたことは遠大で、徳をうち立てられたことは深く厚いものであった。わが臣民(国民)は、よくぞ忠義につくし、よくぞ親孝行をはたし、すべての人々が心を一つにして、代々その美徳をなしとげてきた。これこそがわが「国体」のすぐれた本質であり、教育の根本もまた、ここにある。
【徳目の列挙】 お前たち臣民よ、父母に孝行を、兄弟には友愛を、夫婦は仲むつまじく、友人とは信義をもち、つつましく自分をたもち、広く人々を愛し、学問を修め、職業を身につけて知能をひらき、徳の備わった人格を完成させなさい。進んで公共の利益を広げ、社会の仕事に取り組み、つねに憲法を重んじ法律に従いなさい。ひとたび国家の重大事があれば、正義と勇気をもって公(おおやけ)に身をささげ、もって永遠不滅の天皇家の繁栄を支え助けるべきだ。
【末尾】 これは単に私の忠良な臣民であるだけでなく、お前たちの祖先の遺した気風を顕彰することにもなるだろう。この道は、まさにわが皇祖皇宗の遺された教えであり、子孫と臣民が共に遵守すべきものである。これは古今を通じて誤ることなく、国内外に施して道理にそむかない。私は、お前たち臣民とともに、これを胸に深く刻み、みんなで一つの徳を実現することを心から願う。
文書の構造を読む — 三つのパート
教育勅語は、わずか315字のなかに、三つの異なる性質の内容が組み込まれています。これを区別して読むことが、史料批判の第一歩です。
| パート | 内容 | 性格 |
|---|---|---|
| ① 国体宣言(冒頭) | 「朕惟フニ我カ皇祖皇宗…此レ我カ国体ノ精華ニシテ」 | 教育の根本を「天皇家の徳」に置く宣言。教育を国体観念のなかに位置づける。 |
| ② 個人徳目(中盤) | 「父母ニ孝ニ…公益ヲ広メ世務ヲ開キ」 | 儒教思想に由来する徳目(孝・友・信・恭倹・博愛・修学など)の列挙。普遍的価値を含む部分。 |
| ③ 国家動員(後半・末尾) | 「一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ…天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ」 | 非常時には命を捧げて天皇家の繁栄を支えよという、戦時動員に直結する一節。後の太平洋戦争で実際にそう用いられた。 |
これらは別々の内容ではなく、「国体(天皇家の徳)→ それゆえに個人徳目 → ゆえに天皇家のために命を捧げよ」という一つの論理として組み立てられています。中盤の徳目だけを切り出して「良いことが書いてある」と評価する読み方は、文書の構造を見落とすことになります。
個人徳目を数えてみる — 14の徳目
中盤の徳目部分には、おおむね14の徳目が列挙されています。生徒自身が原文から数え出してみる作業は、史料を「自分の目で読む」訓練になります。
- 孝(父母に対して)
- 友(兄弟に対して)
- 夫婦相和(夫婦は仲よく)
- 朋友相信(友人とは信義をもって)
- 恭倹(つつましく自分をたもつ)
- 博愛(広く人々を愛する)
- 修学(学問を修める)
- 習業(職業を身につける)
- 智能啓発(知能を開く)
- 徳器成就(人格を完成させる)
- 公益(公共の利益を広げる)
- 世務(社会の仕事に取り組む)
- 遵法(憲法・法律に従う)
- 義勇奉公(非常時には公に身をささげる)
このうち①〜⑫は儒教思想と近代の市民道徳が混じった、現代でも一定の意義を保ちうる徳目です。⑬の「国憲ヲ重シ国法ニ遵ヒ」は、ここで言う「国憲」が大日本帝国憲法(1889年制定、天皇主権)であり、現在の日本国憲法とは性質が異なる点に注意が必要です。そして⑭「義勇公ニ奉シ」は、後述するように戦時動員の根拠として用いられました。
歴史の窓 — なぜ1890年に発布されたか
教育勅語は、明治23年(1890年)10月30日に発布されました。この年は明治日本にとって、二つの重要な節目の年です。
- 1889年(前年)2月11日:大日本帝国憲法発布 — アジア最初の近代憲法。天皇主権を定める
- 1890年7月1日:第1回衆議院議員総選挙 — 制限選挙ながら、はじめての国政選挙
- 1890年11月29日:第1回帝国議会開会 — 明治日本がはじめての議会政治を経験する直前
つまり教育勅語は、議会政治が始まる直前に、「天皇を中心とした国民の精神的統一」を強化する目的で発布されたのです。起草の中心人物は、井上毅(憲法の起草者でもある)と元田永孚(儒学者で明治天皇の侍講)。井上は近代的法治国家の建設者、元田は儒教思想の擁護者という、立場の異なる二人が共同で起草した点に、この文書の二面性(個人徳目と国体観念の混在)が表れています。
「奉読」という儀礼 — 58年間の慣行
教育勅語は、発布後すぐに全国の学校に「謄本(とうほん)」が下賜され、入学式・卒業式・天皇誕生日・新年などの祝祭日に、校長が全校生徒の前で恭しく「奉読(ほうどく)」する儀礼が義務付けられました。生徒たちはこれを頭を下げて聞くことになっていました。
勅語の謄本は、特別な「奉安殿(ほうあんでん)」と呼ばれる小さな建物に納められ、校長は奉読のたびに白手袋をつけて、最敬礼でそれを取り出しました。火災のときには、校長が命がけで奉安殿から勅語を救い出すことが求められ、実際にそれで命を落とした校長もいました。
この儀礼が、1890年から1948年までの58年間、日本のすべての学校で続いたことを想像してみてください。文書の中身だけでなく、それを「読む形式」そのものが、国民の意識に深く刻まれていったのです。
「一旦緩急アレハ」— 戦時下の動員
教育勅語のなかで、戦後もっとも議論となったのが、後半の「一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ、以テ天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ」という一節です。
これは、字面では「非常時には正義と勇気をもって公に身をささげ、永遠不滅の天皇家の繁栄を支えよ」という意味です。発布当時、これがただちに「戦争で命を捨てよ」と読まれたわけではありません。しかし、日清戦争(1894–95)、日露戦争(1904–05)、第一次世界大戦、満州事変(1931)、日中戦争(1937–45)、太平洋戦争(1941–45)と続く戦争のなかで、この一節は「天皇陛下のために死ね」という意味で繰り返し国民に説かれていきました。
太平洋戦争末期には、特攻隊として若者たちが命を投じる際にも、教育勅語が引用されました。「皇運を扶翼す」という一節は、戦争で死ぬことの「意味」を、国家が国民に提供する道具にもなったのです。
1948年6月19日 — 国会で「失効確認」
太平洋戦争の敗戦(1945年8月15日)、日本国憲法の公布(1946年11月3日)と施行(1947年5月3日)、教育基本法の制定(1947年3月)— と続く戦後改革のなかで、教育勅語の扱いは大きな問題でした。
1948年(昭和23年)6月19日、国会の両院が同日にそれぞれ決議を行い、教育勅語は事実上、効力を失います。
衆議院「教育勅語等排除に関する決議」(1948年6月19日)
衆議院では、教育勅語を含む戦前の詔勅類について、「これらを今後われらの教育の指導原理としては排除すべき」とする決議が、全会一致に近い形で可決されました。決議は、教育勅語が「明治憲法を背景としていたものであって、新憲法の精神に背反し、その効力を今日に維持することはできない」と述べています。
参議院「教育勅語等の失効確認に関する決議」(1948年6月19日)
同日、参議院は「失効確認」という表現で決議を行いました。これは、「教育勅語は、すでに日本国憲法と教育基本法の施行によって法的な根拠を失っており、両院決議でその事実を改めて確認する」という意味です。決議文には、「これらの詔勅の根本理念が主権在君並びに神話的国体観に基づいている事実は、明らかに基本的人権を損い、且つ国際信義に対して疑点を残すもととなる」とあります。
なぜ「排除」と「失効確認」で表現が違うのか
同じ日に両院がそれぞれ決議したのには、政治的な意味があります。「排除」は将来に向けた政策判断であり、「失効確認」は法的な事実認定です。両方の決議が同時にあることで、「教育勅語はもはや教育の指導原理ではない」(政策的判断)かつ「教育勅語はすでに法的効力を失っている」(法的事実)という二重の確認がなされました。
これは、戦前の教育勅語体制を全面的に終わらせるという、戦後日本の国会の意思を明確に示すものでした。
戦前と戦後の教育観 — 三つの文書を比べる
| 教育勅語(1890) | 教育基本法(1947/2006改正) | 日本国憲法(1946) | |
|---|---|---|---|
| 主体 | 天皇(朕)が臣民に与える | 国会が国民のために定める | 日本国民が自ら定める |
| 主権 | 天皇主権(明治憲法体制) | 国民主権を前提とする | 国民主権を明示 |
| 呼びかけ方 | 「爾臣民」(お前たち臣下) | 「国民」「個人」 | 「国民」「個人」 |
| 教育の目的 | 国体(天皇制)の維持 | 個人の尊厳・人格の完成(第1条) | 基本的人権の保障 |
| 非常時の規定 | 「義勇公ニ奉シ…皇運ヲ扶翼」 | 記述なし(平和主義の文脈) | 戦争放棄(第9条) |
「爾臣民(なんじしんみん)」と「国民・個人」の違いに、改めて注目してください。臣民とは、天皇の臣下である民です。これに対して、戦後憲法の国民とは、国の主権者である個人です。同じ「人」を指す言葉でも、立つ位置がまったく違うのです。
教育基本法(2006年改正)の第1条には、教育の目的がこう書かれています:
教育は、人格の完成を目指し、平和で民主的な国家及び社会の形成者として必要な資質を備えた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない。
「人格の完成」「平和で民主的」「国民の育成」— これらの言葉が、教育勅語からの転換を端的に示しています。
批判的に読む — 「個人徳目だけ取り出せばよい」のか
2017年以降、政府は答弁で「教育勅語を教材として用いることは、憲法・教育基本法に反しない形であれば否定されない」という立場を示しました。これに対して、「個人徳目には普遍的な価値があるのだから、戦争動員の部分を切り離して教えればよい」という意見と、「文書の構造そのものが問題なのだから、部分だけ取り出すのは史料の改変だ」という意見が、強く対立しています。
この論争は、本教材が答えを出すべき問題ではありません。しかし、考える材料として次の点を挙げておきます。
- 個人徳目の起源 教育勅語の徳目(孝・友・信など)は、教育勅語そのものが発明したものではなく、はるか古代の儒教思想に由来します。「父母に孝、兄弟に友」は『論語』にすでにあります。これらを学ぶために、教育勅語という特定の文書を経由する必然性はありません。
- 文書の構造 教育勅語の徳目部分(②)は、その前後の国体宣言(①)と国家動員(③)と論理的に接続しています。「お前たちは天皇の臣下なのだから、こういう徳目を守れ、そしていざという時は命を捧げよ」という一つの構造のなかにある。これを「②だけ取り出してよい」とするのは、史料を構造から切り離す操作にあたります。
- 歴史的な機能 仮に起草者がそう意図していなかったとしても、教育勅語は実際に58年間、戦争動員と国民統合の道具として機能しました。文書の「意味」は、書かれた瞬間だけでなく、社会で果たした役割によっても規定されます。
- 戦後の決議 1948年の両院決議は、これらの点を踏まえて、教育勅語を「教育の指導原理として排除」「効力を失った」と確認したものです。この決議を覆すには、相当の歴史的議論が必要です。
「中身に良いところがある」ことと「文書全体を肯定する」ことは、別の判断です。両方を区別したうえで、自分自身の意見を持つこと— それが、歴史を学ぶうえでの史料批判(しりょうひはん)の姿勢です。
関連する文書を読む
本教材と合わせて、次の文書を読み比べると、近代日本の教育観の変遷がよく見えてきます。
- 五箇条の御誓文(1868年)— 明治のスタート。「公論」「世界に学ぶ」を掲げた
- 学問のすゝめ(1872年、福沢諭吉)— 「天は人の上に人を造らず」。個人を主体とする教育観
- 日本国憲法・前文(1946年公布/1947年施行)— 主権在民・基本的人権・平和主義
1868年→1872年→1890年(教育勅語)→1947年(教育基本法)→1948年(教育勅語失効確認)→ 2006年(教育基本法改正)と続く約140年の流れのなかに、本教材を置いて考えてみてください。明治の出発点で掲げられた「公論」と「世界に学ぶ」が、なぜ国体観念のなかに包摂され、また戦後にどう再出発したのか。日本の近代史を、教育の理念史として読み直すきっかけになるはずです。
語句の意味
各見出し語をクリックすると、外部辞書で詳しい意味を調べられます。 ※ Wiktionary について
- 教育勅語(きょういくちょくご) K 正式名称は「教育ニ関スル勅語」。1890年(明治23年)10月30日、明治天皇の名で発布された、戦前の日本の教育の根本指針を示した文書。315字の漢文調で書かれている。1948年6月19日、衆議院は「教育勅語等排除に関する決議」、参議院は「教育勅語等の失効確認に関する決議」を可決し、効力を失った。
- 勅語(ちょくご) K 天皇のお言葉・お達し。明治憲法下では、天皇が直接、国民に対して示す公的なメッセージ。
- 井上毅(いのうえ こわし、1844–1895) K 教育勅語の起草の中心人物の一人。明治政府の官僚で、大日本帝国憲法の起草にも関わった。
- 元田永孚(もとだ ながざね、1818–1891) K 教育勅語のもう一人の起草者。儒教思想を強く持ち、明治天皇の侍講(学問の師)を務めた。
- 朕(ちん) K 天皇が自分を指す一人称。「私は」の意。明治憲法下の公文書で広く用いられた。
- 皇祖皇宗(こうそこうそう) K 天皇家の祖先。「皇祖」は神話上の初代神=天照大神を、「皇宗」は歴代の天皇を指すとされた。
- 肇国(ちょうこく)/国を肇む K 国の始まり、建国。
- 樹(た)つる K 立てる、打ち立てる。
- 克(よ)く K よく〜することができる、よくぞ〜する。
- 億兆(おくちょう) K 一億・一兆と数え切れない数。ここでは「すべての国民」の意。
- 国体(こくたい) K 戦前の概念で、「天皇を中心とする国の根本のかたち」を指した。教育勅語と大日本帝国憲法の中心にあった考え方で、戦後の日本国憲法では否定された。
- 精華(せいか) K 最もすぐれた部分、本質。
- 爾臣民(なんじしんみん) K 「爾(なんじ)」は古語の二人称「お前たち」。「臣民」は明治憲法下の用語で、天皇に従う国民を指した。戦後の「国民」と異なり、主権者ではなく天皇の臣下とされた点が決定的に異なる。
- 恭倹(きょうけん) K つつしみぶかく、ひかえめであること。
- 博愛(はくあい)衆ニ及ホシ K 広く人々を愛し、その愛を多くの人に及ぼす。
- 修学(しゅうがく) K 学問を修めること。学ぶこと。
- 習業(しゅうぎょう) K 職業上の技能を身につけること。
- 智能(ちのう) K 知力、知的な能力。
- 徳器(とっき)成就 K 徳の備わった人格を完成させる、ということ。
- 公益(こうえき)ヲ広メ世務(せいむ)ヲ開キ K 公共の利益を広げ、社会の仕事に取り組む。
- 国憲(こっけん)ヲ重シ国法(こくほう)ニ遵(したが)ヒ K 憲法を重んじ、法律に従う。ここで言う「国憲」は大日本帝国憲法を指す。
- 一旦緩急(いったんかんきゅう)アレハ K ひとたび国家の重大事(戦争などの非常時)があれば、の意。教育勅語のなかで最も議論となった一節の起点。
- 義勇公ニ奉(ほう)シ K 正義と勇気をもって、公(公=天皇・国家)にわが身をささげる。戦時中、これが「天皇のために命を捧げよ」という意味で動員に利用された。
- 天壌無窮(てんじょうむきゅう) K 天と地のように永遠に窮(きわ)まりがない。「天壌無窮の皇運」とは、天皇家の支配が永遠に続くという意味で用いられた。
- 皇運(こううん) K 天皇の運命、天皇家の繁栄。
- 扶翼(ふよく)スヘシ K 支え助けるべきだ。
- 中外ニ施(ほどこ)シテ悖(もと)ラス K 国内でも国外でも通用し、道理にそむかない。
- 庶幾(こいねがわ)ク K 強く願う、心から望む。
- 失効(しっこう) K 法的な効力を失うこと。教育勅語は1948年6月19日、衆議院・参議院の両院決議によって、効力を失った。
- 教育基本法(きょういくきほんほう) K 1947年(昭和22年)3月、教育勅語に代わる戦後教育の基本理念を定めた法律。「個人の尊厳」「平和と民主主義」を掲げる。2006年に改正された。
考えてみよう
- 教育勅語を、語注を見ながら一度音読してみましょう。読みにくい漢文調の文体は、当時としては正式な公文書のスタイルでした。
- 勅語の中盤、「爾臣民父母ニ孝ニ…」から始まる部分には、いくつもの「徳目(とくもく)」が列挙されています。何個ありますか。一つひとつ書き出してみましょう。
- それらの徳目のうち、現代でも「よい教え」と感じられるものはどれですか。また、「これは戦前特有だな」と感じるものはどれですか。理由とともに述べましょう。
- 「一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ、以テ天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ」— この一文は、後の時代にどのように利用されたと考えられますか。「一旦緩急」の例として、戦争を当てはめて読み直してみましょう。
- 1948年6月19日、衆議院は「排除」、参議院は「失効確認」を決議しました。なぜ「廃止」ではなく、二院でそれぞれ異なる表現が選ばれたのか、想像してみましょう。
- 教育勅語が掲げる「臣民」と、日本国憲法・教育基本法の「国民」「個人」とは、どこが決定的に違いますか。三つの文書を並べて整理しましょう。
- 現代の私たちは、教育勅語のような過去の文書とどう向き合うべきでしょうか。「中身に良いところもある」という見方と、「全体の構造を問題にすべき」という見方の両方を、それぞれ書き出してみましょう。
指導要領との対応
このページは、文部科学省「中学校学習指導要領(平成29年告示)」公民 第3学年の 以下の指導事項を意識して編集しています。
- 公民 A(1) — 個人の尊重と日本国憲法、基本的人権の尊重
- 公民 A(2) — 民主政治の発展、国民主権の原理
- 歴史 (5) — 近代日本のあゆみ — 明治国家の形成と国民意識
- 歴史 (6) — 二度の世界大戦と日本
※ 文部科学省告示の本文ではなく、編集者による要旨の言い換えです。 正確な指導事項は文部科学省の公式資料を参照してください。
指導案 教員向け・授業展開の例
教育勅語は、戦後日本の教育のなかで長らく「触れない」「ほぼ取り上げない」教材だった。しかし、2017年以降、政府答弁で「教材として用いることは否定されない」とされ、扱いに議論がある。本教材は、史料批判の対象として読むという公民教育・歴史教育の正攻法に立ち、原文と1948年の国会決議の両方を一次史料として提示する。ねらいは「教育勅語は良いか悪いか」を二者択一で答えさせることではなく、「ある文書が58年間日本の教育の根本指針とされ、なぜ国会の両院決議で否定されることになったのか」を、歴史的経過と憲法の構造変化のなかで、生徒自身が考えるための材料を提供すること。
指導目標
- 教育勅語の全文(315字)を、当時の表記のまま読み、語注をたよりに意味をつかむ
- 「個人徳目」と「国体観念」が一つの文書のなかで結びついていた構造を理解する
- 1948年に国会が「排除」「失効確認」を決議した理由を、日本国憲法との関係から考える
- 戦前と戦後の教育観の違いを、歴史的経過のなかでとらえる
- 「過去の文書をどう読むか」という、史料批判の基本的な姿勢を身につける
授業の流れ
- 1時間目 教育勅語の全文を、語注を頼りに音読する。漢文調が苦手な生徒には現代語訳併記を促す。文書を冒頭(国体宣言)・中盤(徳目)・末尾(国家動員)の3パートに分けて構造を把握させる。
- 2時間目 列挙される14個の徳目(孝・友・夫婦相和・朋友相信・恭倹・博愛・修学・習業・智能啓発・徳器成就・公益・遵法・義勇奉公)を表に整理。生徒自身が「現代でも通用するもの」「戦前固有のもの」「両義的なもの」に分類する。「一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ」を取り上げ、これが日中戦争・太平洋戦争でどう動員されたか、教科書・資料集と照らす。
- 3時間目 衆議院「教育勅語等排除に関する決議」と参議院「教育勅語等の失効確認に関する決議」(ともに1948年6月19日)を提示。なぜ「排除」と「失効確認」で表現が違うのか、両院の議事録抜粋から考える。日本国憲法(前文+第1条)、教育基本法(前文+第1条)と比較し、「臣民」から「国民」「個人」への転換を整理。
発問例・議論のポイント
- 教育勅語の徳目(特に親孝行・友愛)には、儒教思想に根ざした普遍的な価値を含む部分があります。一方で「天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ」など、明治憲法の天皇主権体制と不可分の部分が文書の骨格をなしています。部分を抜き出して「これは良い」と評価することは、歴史的文脈の切断につながるか、それとも妥当な読み方か、議論しましょう。
- 戦前に教育勅語を「奉読」させられた世代(生徒の祖父母・曾祖父母世代)の体験談を、もし聞ける機会があれば、ぜひ聞いてみましょう。実際にそこで暮らした人にとって、それはどんな体験だったのでしょうか。
- 「個人徳目に良いところはあるか」という問いと、「文書全体の構造をどう評価するか」という問いは、別の問いです。両者を区別したうえで、自分はそれぞれにどう答えるかを述べてみましょう。
- 1948年に国会が両院決議で「排除」「失効確認」と表明したことを、現代の私たちはどう受け止めればよいでしょうか。78年の歳月のなかで、この決議の意味は変わったでしょうか。
- 「教育勅語の徳目」と同じ内容を、現代の言葉で、現代の私たちが選び直して書くとしたら、どんな文書になるでしょう。班で一文ずつ持ち寄って、現代版「教育の理念」を書いてみましょう。
発展課題
- 大日本帝国憲法(1889年)の第1条〜第4条(天皇主権の規定)と、教育勅語を読み比べる。
- 福沢諭吉『学問のすゝめ』初編と教育勅語を読み比べ、18年の隔たり(1872 → 1890)の意味を考える。
- 1948年の衆議院・参議院両決議の全文(国立国会図書館のデジタル史料)を原文で読む。
- 戦前の奉安殿の写真や、奉読式の映像資料があれば見て、戦前の学校の「教育勅語」の空気を体感する。
- 教育基本法(1947年制定/2006年改正)の改正前後を比較し、何が変わったかを確認する。
⇒ 学習パス「近代立憲主義の系譜」 の 4 / 5
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学問のすゝめ・初編(抜粋)
「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らずと言えり」— 明治5年に書かれ、日本人の人権思想の出発点となった福沢諭吉の名著。初編の冒頭から、学問と平等についての核心部分を読む。
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出典・ライセンス
- 原文: 明治政府(起草:井上毅・元田永孚)「教育ニ関スル勅語(教育勅語)— 1890年の理念と1948年の失効」(1890年)
- 入力テキスト: 明治政府公布文書 (底本:「教育ニ関スル勅語」明治23年(1890年)10月30日、明治天皇の名で発布。本文は官報掲載の正式表記による。国の発布する公文書として著作権法第13条により著作物の対象外(公有))
- 原文の権利: パブリックドメイン
- 編集・語注・発問・解説: CC BY 4.0 © project_procopios contributors