冬が来た の表紙イラスト

冬が来た

小学校 国語 第6学年 詩・歌近代詩B 読むこと 目安 12 分

作者
高村光太郎 (たかむら こうたろう)(1883–1956)
原作発表
1913 年(大正2年 (1913))
出典
青空文庫
底本:高村光太郎『道程』所収。1913 年作。後の『冬の詩集』にも入る。

学習のめあて

  • 高村光太郎の力強い口語自由詩を音読する
  • 「きっぱり」「凛々と」など、決断の言葉のリズムを体感する
  • 季節 (冬) を「歓迎する」という、近代詩独自の精神を読み取る

本文

冬が来た (高村光太郎)

きつぱりとふゆ
しろはな
公孫樹いちょうほうきになつた

きりきりともみむやうなふゆ
ひとにいやがられるふゆ
草木くさきそむかれ、虫類むしるいげられるふゆ

ふゆ
ぼくい、ぼく
ぼくふゆちからふゆぼく餌食えじき

しみとおれ、つきぬけ
事をおこせ、ゆきでうづめろ
刃物はもののやうなふゆ

現代語訳・要点

迷うことなく、はっきりと冬がやってきた。八手の白い花も消え、いちょうの木も葉を落として箒のようになった。

きりきりと、もみ込むような冬がやってきた。人にきらわれる冬。草や木に背かれ、虫たちにも逃げられる冬がやってきた。

冬よ、僕に来い、僕に来い。
僕は冬の力だ。冬は僕の獲物(えじき)だ。

浸み透れ、突き抜け、火事を起こせ、雪で埋めろ ―― 刃物のような冬がやってきた。

解説:「冬を歓迎する」 という新しさ

この詩を読むと、ふつう「冬は寒くて嫌だ」と感じるはずの冬を、高村光太郎は 歓迎 しています。 それも、「冬よ僕に来い」「僕は冬の力だ」と、まるで 自分の身体に冬を取り込もう としているかのようです。

1913 年 (大正 2 年)、高村光太郎は 29 歳。フランス・アメリカ留学から帰り、彫刻と詩の両方の道を進んでいた時期です。 若き芸術家として、自分の中に「強さ」を求めていた光太郎にとって、冬の厳しさは 「自分を鍛えてくれる力」 として 受け止められたのでしょう。

口語自由詩の力

当時、まだ和歌や短歌のような 定型詩 (五七五七七 など) が主流でしたが、高村光太郎は 口語自由詩 (話し言葉で、字数の決まりがない詩) を確立した一人でした。

「きっぱりと冬が来た」 「冬よ/僕に来い」 ―― この力強い、決断的な口語のリズムは、近代日本詩の出発点に位置づけられます。

語句の意味

各見出し語をクリックすると、外部辞書で詳しい意味を調べられます。 ※ Wiktionary について

  • 高村光太郎 (たかむら こうたろう) K 1883–1956。彫刻家・詩人。彫刻家・高村光雲の息子。詩集『道程』『智恵子抄』が代表作。「道程」「レモン哀歌」も本サイトに収載。
  • きっぱりと K 迷いなく、はっきりと。決意を込めた副詞。
  • 八ツ手 (やつで) K 大きく深く切れ込んだ葉を持つ常緑低木。冬に白い小さな花をつける。
  • 公孫樹 (いちょう) K 銀杏 (いちょう)。秋に黄葉して冬には葉を落とす。古い樹。
  • 凛々 (りり) と K 引き締まって、立派なさま。冷たい空気がぴんと張りつめている感じ。
  • 刃物 (はもの) K 包丁・小刀など、よく切れる金属の道具。冬の空気の鋭さの比喩。

考えてみよう

  1. 声に出して、ゆっくり 5 回読んでみましょう。「きっぱり」「凛々と」の音のリズムを感じてください。
  2. 「冬よ/僕に来い」 — 高村光太郎は、なぜ冬を「歓迎」したのでしょうか。「冬は寒くて嫌だ」と言わないのは、なぜでしょう。
  3. この詩のなかで、冬を表す「もの」が 4 つあります。見つけてみましょう。(ヒント: 木の葉、空、空気…)
  4. 「公孫樹」「八ツ手」「刃物のような風」 ―— なぜこのような硬く・鋭い ものを、冬の比喩に選んだのでしょう。
  5. あなた自身の「冬への気持ち」と、高村光太郎の気持ちは、どこが似ていて、どこが違いますか。
指導案 教員向け・授業展開の例

小6 国語の近代詩教材。「冬を歓迎する」という斬新な視点と、 力強い口語自由詩のリズムを学ぶ。

授業時数
1時限 (45分)

指導目標

  • 詩を音読してリズムを体感する
  • 「冬を歓迎する」という珍しい視点に気づく
  • 季節の比喩としての「もの」を見つけられる

授業の流れ

  1. 5分 「冬と聞いて思い浮かぶもの」を全員で出し合う
  2. 10分 詩を音読 (一人ずつ、グループ、全員)
  3. 15分 「冬を表すもの」を本文から見つけてリスト化
  4. 10分 「冬よ僕に来い」の気持ちについて議論
  5. 5分 振り返り、自分なら「冬よ」と続けてどう書くかメモ

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出典・ライセンス

  • 原文: 高村光太郎 (たかむら こうたろう)「冬が来た」(1913年)
  • 入力テキスト: 青空文庫 (底本:高村光太郎『道程』所収。1913 年作。後の『冬の詩集』にも入る。)
  • 原文の権利: パブリックドメイン
  • 編集・語注・発問・解説: CC BY 4.0 © project_procopios contributors