走れメロス(抜粋) の表紙イラスト

走れメロス(抜粋)

中学校 国語 第2学年 C 読むこと 目安 30 分

作者
太宰治(1909–1948)
原作発表
1940 年
出典
青空文庫
底本:「太宰治全集 3」筑摩書房、1989(平成元)年6月27日初版第1刷発行

学習のめあて

  • メロス・セリヌンティウス・ディオニス王、それぞれの人物像と心の変化を読み取る
  • メロスが何度も挫けそうになりながら走り続ける場面で、彼を支えたものを考える
  • 「人の心を疑うのは、最も恥ずべき悪徳だ」という王の最後の言葉が、物語のどんな主題と結びついているかを話し合う

本文

一 メロスの激怒

 メロスは激怒げきどした。必ず、かの邪知じゃち暴虐ぼうぎゃくの王を除かなければならぬと決意した。メロスには政治がわからぬ。メロスは、村の牧人ぼくじんである。ふえを吹き、ひつじと遊んで暮らして来た。けれども邪悪じゃあくに対しては、人一倍に敏感びんかんであった。

 きょう未明メロスは村を出発し、野を越え山越え、十里離れたこのシラクスの市にやって来た。メロスには父も、母も無い。女房も無い。十六の、内気な妹と二人暮しだ。この妹は、村の或る律気な一牧人ぼくじんを、近々、花婿として迎える事になっていた。結婚式も間近かなのである。メロスは、それゆえ、花嫁の衣裳いしょうやら祝宴しゅくえん御馳走ごちそうやらを買いに、はるばる市にやって来たのだ。

 まず、その品々を買い集め、それから都の大通りをぶらぶら歩いた。メロスには竹馬の友があった。セリヌンティウスせりぬんてぃうすである。今は此のシラクスの市で、石工をしている。その友を、これから訪ねてみるつもりなのだ。久しく逢わなかったのだから、訪ねていくのが楽しみである。歩いているうちにメロスは、まちの様子ようすを怪しく思った。ひっそりしている。もう日も落ちて、まちの暗いのは当りまえだが、けれども、なんだか、夜のせいばかりでは無く、市全体が、やけに寂しい。のんきなメロスも、だんだん不安になって来た。

二 王との対決

 メロスは、王の前に引き出された。

「この短刀で何をするつもりであったか。言え!」暴君ぼうくんディオニスでぃおにすは静かに、けれども威厳をもって問いつめた。その王の顔は蒼白そうはくで、眉間みけんしわは、刻み込まれたように深かった。

「市を暴君の手から救うのだ。」とメロスは悪びれずに答えた。

「おまえがか?」王は、憫笑びんしょうした。「仕方の無いやつじゃ。おまえには、わしの孤独がわからぬ。」

「言うな!」とメロスは、いきり立って反駁した。「人の心を疑うのは、最も恥ずべき悪徳あくとくだ。王は、民の忠誠をさえ疑っておられる。」

「疑うのが、正当の心構えなのだと、わしに教えてくれたのは、おまえたちだ。人の心は、あてにならない。人間は、もともと私慾のかたまりさ。信じては、ならぬ。」暴君ぼうくんは落着いてつぶやき、ほっと溜息ためいきをついた。「わしだって、平和を望んでいるのだが。」

 メロスは死刑を覚悟で、「三日のあいだ、私を放してください」と願い出る。妹の結婚式を済ませてから、必ず戻ると言うのだ。王は冷笑した。「逃げて来ないのに決まっている。」メロスは竹馬の友・セリヌンティウスを身代わりの人質に立てる。もし三日めの日没までに戻らなければ、友を殺してかまわない、と。

 王は、ひとり、心の中でつぶやく。「はははは。いのちが大事だったら、おくれて来い。おまえの心は、わかっているぞ。」

三 走るメロス

 メロスは、約束を果たすために、わが村へ走り帰り、妹の結婚式を済ませた。すぐに、王城を目指して引き返す。途中、川のはんらんに出会い、橋は流されている。それでも泳いで渡る。山賊に襲われ、それを倒す。炎天えんてんの中をひたすら走り、ついに力尽きてうずくまる。

 もう、どうでもいい、という気持ちが、メロスの胸を襲った。これほど苦しんで、それでも間に合わぬのなら——。疲労困憊ひろう こんぱいきわみで、自分は人を信じる事ができなかったのではないか。すべてが、馬鹿らしくなる。

 その時、ふと、清水しみずが湧き出ている音が聞こえた。メロスは、口をつけて飲んだ。ふと、足元から気力きりょくがみなぎってくる。メロスは、つぶやく。

 ——私は信じられている。私は信じられている。先刻の、あの悪魔のささやきは、あれは夢だ。悪い夢だ。忘れてしまえ。五臓が疲れているときは、ふいとあんな悪い夢を見るものだ。メロス、おまえの恥ではない。やはり、おまえは真の勇者だ。再び立って走れるようになったではないか。ありがたい! 私は、正義の士として死ぬ事ができるぞ。

 メロスは、また走り出した。日は西に大きく傾いた。風が、彼の汗を吹きさます。夕陽ゆうひを背負って走る。

四 最後の場面

 城門にたどりついたのは、まさに日の沈もうとする瞬間しゅんかんであった。メロスは、群衆をかきわけ、磔台に立てられたセリヌンティウスのもとへ駆け上がった。

「セリヌンティウス。」メロスは目になみだを浮べて言った。「私を殴れ。ちから一ぱいに頬を殴れ。私は、途中で一度、悪い夢を見た。君が若し私を殴ってくれなかったら、私は君と抱擁ほうようする資格さえ無いのだ。殴れ。」

 セリヌンティウスは、すべてを察した様子ようすで、うなずき、刑場一ぱいに鳴りひびくほど音高おとたかくメロスの右頬を殴った。殴ってから優しく微笑み、

「メロス、私を殴れ。同じくらいの音で私の頬を殴れ。私はこの三日の間、たった一度だけ、ちらと君を疑った。生れて、はじめて君を疑った。君が私を殴ってくれなければ、私は君と抱擁できない。」

 メロスはうでうなりをつけてセリヌンティウスの頬を殴った。

「ありがとう、友よ。」二人同時に言い、ひしと抱き合い、それから嬉し泣きにおいおい声を放って泣いた。

 群衆の中からも、すすり泣きの声が聞えた。暴君ぼうくんディオニスは、群衆の背後で二人のさまを、まじまじと見つめていたが、やがて静かに二人に近づき、顔をあからめて、こう言った。

「おまえらの望みはかなったぞ。おまえらは、わしの心に勝ったのだ。信実しんじつとは、決して空虚な妄想ではなかった。どうか、わしも仲間に入れてくれまいか。どうか、わしの願いを聞き入れて、おまえらの仲間の一人にしてほしい。」

 どっと群衆の間に、歓声かんせいが起った。「万歳ばんざい、王様万歳。」


※ このページについて

『走れメロス』は太宰治が昭和15年(1940年)に発表した短編小説です。原作はもう少し長く、メロスが妹の結婚を急がせる場面、走る途中で挫けて「もういいのだ。私は負けたのだ」とつぶやく長い独白、夕陽の中で歌うように走る場面などが詳しく描かれます。このページは中学生向けに核となる場面を抜粋・要約したもので、太宰の原文をぜひ青空文庫の全文で読み通してみてください。「青空文庫『走れメロス』」から入手できます。

挿絵ギャラリー

物語の場面を、明治・大正期の児童書の挿絵を意識した和風水彩のタッチで表現しました。

  1. 古代シラクスの市場で、白いチュニックを着た若きメロスが王の暴政を知り、固く拳を握って怒りに燃える挿絵。
    シラクスの市にやって来たメロス、王の暴政を知って怒りに燃える。「メロスは激怒した」。
  2. 真昼の地中海の道をメロスが必死に走る、汗にまみれて口を開き、遠くにシラクスの町並みが見える挿絵。
    真昼の太陽の下、メロスは走り続ける。妹の結婚式を済ませ、友のもとへ。
  3. 夕焼けに染まるシラクスで、メロスとセリヌンティウスが涙を流して抱き合い、後ろで暴君ディオニスがその情景に心を動かされる挿絵。
    夕日のなか、メロスとセリヌンティウスの抱擁。「信実は決して空虚な妄想ではなかった」。

語句の意味

各見出し語をクリックすると、外部辞書で詳しい意味を調べられます。 ※ Wiktionary について

  • メロス K 物語の主人公。シラクスの近郊で、妹と二人暮らしの若い羊飼い。素朴で正直、政治を知らない、激しやすい性格の青年として描かれる。
  • セリヌンティウス K メロスの竹馬の友。シラクスで石工をしている。メロスが妹の結婚式のために三日の猶予を願ったとき、人質として身代わりに残る。
  • ディオニス王(ディオニスおう) K シラクスの暴君。人を信じることができず、家族・側近を次々に処刑してきた。「正義感の強い暴君」として描かれる。
  • シラクス K 古代ギリシアの都市国家のひとつ。現在のシチリア島南東部、シラクサにあたる。物語の舞台。
  • 邪知暴虐(じゃち ぼうぎゃく) K 邪な知恵と暴虐な振るまい。「邪な知」=悪賢いはかりごと。「暴虐」=乱暴で残酷なふるまい。
  • 磔(はりつけ) K 古代の処刑方法。罪人を木に張りつけて殺す。
  • 三日(みっか) K ここでは「七十二時間」の意味で、メロスが王と約束した猶予。妹の結婚式に出席して戻ってくるまでの時間。
  • 邪心(じゃしん) K 悪い心、邪な気持ち。
  • 私は信じられている(わたしはしんじられている) K 物語の核心となる、メロスの内的な気付き。セリヌンティウスは自分を信じてくれている、だから自分は走り続けなければならない、という覚悟。
  • 仲間(なかま)の一人にしてほしい K 物語の最後でディオニス王が口にする言葉。それまで人を信じることのできなかった王が、二人の友情を目の当たりにして、初めて「自分も加わりたい」と願う。

考えてみよう

  1. 「メロスは激怒した」という一文で、この物語は始まります。なぜメロスは激怒したのですか。本文の言葉を引いて答えましょう。
  2. メロスが妹の結婚式から王城へ走り帰る途中、何度も挫けそうになります。それでも彼を立ち上がらせたものは何ですか。本文中の具体的な言葉を挙げて答えましょう。
  3. セリヌンティウスは、メロスを少しも疑わずに人質として残ります。あなたが彼の立場だったら、同じように振る舞えますか。理由もそえて書きましょう。
  4. 物語の最後、ディオニス王は「仲間の一人にしてほしい」と言います。なぜ王の心はここまで変わったのでしょうか。
  5. 「人の心を疑うのは、最も恥ずべき悪徳だ」という王の言葉について、あなたはどう考えますか。「信じる」ことと「疑う」ことのバランスについて、自分の経験を交えて書きましょう。

指導要領との対応

このページは、文部科学省「中学校学習指導要領(平成29年告示)」国語 第2学年の 以下の指導事項を意識して編集しています。

  • C(1)エ — 登場人物の心情や行動、その変化について、本文を基に具体的に想像する
  • C(1)カ — 文章を読んで考えを広げたり深めたりして、人間、社会、自然などについて、自分の意見をもつ
  • 知識・技能(2)イ — 比喩や反復・対句、倒置などの表現の効果について理解する

※ 文部科学省告示の本文ではなく、編集者による要旨の言い換えです。 正確な指導事項は文部科学省の公式資料を参照してください。

指導案 教員向け・授業展開の例

太宰治の代表的短編。古代ギリシアのシラー詩「人質」を下敷きにしているが、太宰特有の心理描写——とくにメロスが走る途中で挫ける場面——が物語の核心。本ページは抜粋なので、本格的に扱う場合は青空文庫の全文を併用したい。「信実は妄想にあらず」が中学2年生にとっての中心的な学習テーマ。

授業時数
4〜5 単位時間(抜粋版なら 2〜3 単位時間)
準備
青空文庫の全文プリント(抜粋版でこの教材を扱った後の発展用)、ワークシート印刷、シラー「人質」の概要プリント(発展)

指導目標

  • メロス・セリヌンティウス・ディオニス王、それぞれの人物像を場面ごとの言動から読み取る
  • メロスが走り続ける動機の変化(妹への約束 → 友への信義 → 己の誇り → 「信じられている」)を追う
  • 「信実は決して空虚な妄想ではなかった」という王の言葉の重さを、現代の自分たちの言葉に置き換えて議論する

授業の流れ

  1. 1時間目 太宰治の生涯と昭和15年(戦時下)という発表時期を簡単に紹介。冒頭「メロスは激怒した」の一文の効果について話し合う。初読。
  2. 2時間目 三人の人物像を整理(メロス=素朴な正義感、セリヌンティウス=静かな信頼、ディオニス=孤独な暴君)。それぞれの根拠を本文から拾う。
  3. 3時間目 メロスの内的独白に注目。「もうどうでもいい」と「私は信じられている」の落差を、グループで音読しながら味わう。
  4. 4時間目 「私を殴れ」「君を殴れ」の場面の意味。なぜ二人は殴り合ったあとに「ありがとう、友よ」と抱き合えたのか。
  5. 5時間目(発展) シラーの原詩「人質」と太宰版の違いを比較。なぜ太宰は最後に王を「仲間に入れてくれまいか」と言わせたのか。

発問例・議論のポイント

  • 「メロスには政治がわからぬ」と冒頭にあります。にもかかわらず、なぜ彼は王と対決できたのでしょう。
  • 走り続けるメロスが、清水を飲んだ瞬間に「私は信じられている」と気づきます。「信じられている」という気づきは、なぜ彼を再び立ち上がらせたのでしょうか。
  • ディオニス王の「人間は、もともと私慾のかたまりさ。信じては、ならぬ」という言葉は、一理あるとも言えます。あなたはどう思いますか。
  • 現代の私たちの社会で「信じる」ことが大切な場面、逆に「疑う」ことが大切な場面、それぞれどんな例があるでしょうか。

発展課題

  • 自分の好きな場面を選んで朗読し、なぜその場面を選んだかを話し合う。
  • 「もし自分がセリヌンティウスだったら」「もし自分がメロスだったら」それぞれの視点で、心の中の独白を書いてみる。
  • 太宰治の他の作品(「富嶽百景」「斜陽」など)にも触れ、太宰の文学の特徴を考える。

関連する教材

AI 先生に聞く

教材の内容について、AI に質問できます。実験的な機能です。 AI は時に誤った内容を答えることがあります。最終的には自分で考え、 本文を確認してください。

この教材を改善する

誤字・誤訳・事実誤認の報告、語注や発問への提案など、現場での気づきを直接 GitHub Issue に投稿できます。GitHub アカウントがあれば誰でも参加できます。

出典・ライセンス

  • 原文: 太宰治「走れメロス(抜粋)」(1940年)
  • 入力テキスト: 青空文庫 (底本:「太宰治全集 3」筑摩書房、1989(平成元)年6月27日初版第1刷発行)
  • 原文の権利: パブリックドメイン
  • 編集・語注・発問・解説: CC BY 4.0 © project_procopios contributors