民撰議院設立建白書 — 1874年・自由民権運動の出発
高等学校 日本史 第1学年 古典 明治維新自由民権運動近代議会制度 目安 30 分
学習のめあて
- 民撰議院設立建白書 の 内容 を 理解 する
- 自由民権運動 の 出発点 を 把握 する
- 「民選議会」 の 構想 が 持つ 意義 を 知 る
- 後 の 憲法 発布 ・ 国会 開設 へ の 連続 性 を 考 察 す る
本文
建 白 書 原 文 (抜 粋 ・ 1874 年 1 月 17 日)
臣等別に民撰議院を立つるの議を建言す。
方今政権の帰する所を察するに、上帝室に在らず、下人民に在らず、ひとり有司に帰す。
それ有司、上帝室を尊ぶと云わざるに非ず、しかれども帝室漸くその尊栄を失う。
下人民を保つと云わざるに非ず、しかれども政令百端、朝出暮改、政情実に成り、賞罰愛憎に出ず。言路壅蔽、困苦告るに所無し。それ振救するの道を講求するに、天下の公議を張るに在るのみ。
天下の公議を張るは、民撰議院を立つるに在るのみ。
現代語訳
私 ど も (板 垣 ら 8 名) は、 民 撰 議 院 (人 民 が 選 ぶ 議 員 か ら 成 る 議 会) を 設 立 す る こ と を 提 言 い た し ま す。
現 在 の 政 治 権 力 が ど こ に あ る か を 観 察 す る に、 上 は 皇 室 に な く、 下 は 人 民 に な く、 た だ 一 部 の 政 府 役 人 (有 司) に 集 中 し て い ま す。
そ の 政 府 役 人 は、 表 面 上 は 皇 室 を 尊 重 し て い る と 言 い ま す が、 皇 室 の 真 の 栄 誉 を 損 な い つ つ あ り ま す。
人 民 を 守 る と 言 い ま す が、 政 令 が 朝 令 暮 改 で、 政 治 が 私 情 で 行 わ れ、 賞 罰 も 役 人 の 好 き 嫌 い で 決 ま っ て い ま す。
人 民 の 声 を 政 府 に 届 け る 道 は 閉 ざ さ れ、 苦 し み を 訴 え る 場 が あ り ま せ ん。
こ の 状 況 を 改 善 す る 方 法 は、 ひ と つ し か あ り ま せ ん。
そ れ は、 「天 下 の 公 議」 (= 国 民 全 体 の 議 論) を 開 く こ と で す。
そ し て、 「天 下 の 公 議」 を 開 く に は、 民 撰 議 院 を 設 立 す る ほ か に 道 は あ り ま せ ん。
解 説 ─ 自 由 民 権 運 動 の 出 発 点
1874 年 1 月 17 日、 板 垣 退 助、 副 島 種 臣、 後 藤 象 二 郎、 江 藤 新 平 ら 8 名 が、 太 政 官 の 左 院 (立 法 諮 問 機 関) に 提 出 し た こ の 建 白 書 は、 日 本 史 上 で 極 め て 大 き な 意 味 を 持 つ。
こ れ が、 日 本 の 自 由 民 権 運 動 ─ 議 会 開 設・憲 法 制 定・言 論 出 版 の 自 由 を 求 め る 運 動 ─ の 出 発 点 だ っ た か ら で あ る。
な ぜ こ の 時 期 に?
板 垣 ら が こ の 建 白 書 を 出 し た 1874 年 1 月 は、 前 年 (1873 年 10 月) の 「明 治 六 年 政 変」 (征 韓 論 論 争 で 政 府 が 分 裂) の 直 後 で あ っ た。
- 1873 年 (明 治 6 年) 10 月 ─ 征 韓 論 で 西 郷 隆 盛・板 垣 退 助・副 島 種 臣 ら が 政 府 を 下 野
- 1874 年 (明 治 7 年) 1 月 ─ 板 垣 ら が 民 撰 議 院 設 立 建 白 書 を 提 出
- 1874 年 2 月 ─ 江 藤 新 平 が 佐 賀 の 乱 を 起 こ し、 処 刑 (建 白 書 提 出 後 わ ず か 1 ヶ 月)
- 1877 年 ─ 西 郷 隆 盛 が 西 南 戦 争 で 自 刃
下 野 し た 元 参 議 た ち は、 政 府 と 武 力 で 戦 う 道 (西 郷・江 藤) と、 言 論 で 戦 う 道 (板 垣・副 島) に 分 か れ た。
板 垣 ら は、 「武 力 で は な く、 議 会 で 政 府 と 戦 う」 こ と を 選 び、 そ の 第 一 歩 と し て こ の 建 白 書 を 提 出 し た の だ。
「有 司 専 制」 と い う 批 判
建 白 書 の 核 心 的 批 判 は、 「有 司 専 制」 (政 府 役 人 に よ る 専 制) で あ る。
明 治 維 新 (1868) か ら 6 年。 政 府 の 実 権 は、 大 久 保 利 通 ・ 木 戸 孝 允 ・ 伊 藤 博 文 ・ 山 県 有 朋 ら、 薩 摩 ・ 長 州 出 身 の 一 部 の 高 官 (こ れ を 後 に 「藩 閥 政 府」 と 呼 ぶ) が 握 っ て い た。
人 民 は 政 治 に 参 加 で き ず、 言 論 の 自 由 も な い。
板 垣 ら は こ う 主 張 し た:
「こ の ま ま で は、 江 戸 幕 府 を 倒 し た 意 味 が な い。 政 治 が 一 部 の 役 人 の 手 に 集 中 す る だ け で、 民 衆 に は 何 も 変 わ ら な い」 と。
『日 新 真 事 誌』 と い う 新 聞
建 白 書 が 全 国 に 知 ら れ た の は、 イ ギ リ ス 人 ブ ラ ッ ク が 東 京 で 創 刊 し て い た 新 聞 『日 新 真 事 誌』 (に っ し ん し ん じ し) の お か げ で あ る。
1874 年 1 月 18 日 ─ 建 白 書 提 出 の 翌 日 ─ 『日 新 真 事 誌』 は こ の 全 文 を 掲 載 し た。
こ れ に よ り、 建 白 書 は 瞬 く 間 に 全 国 の 知 識 人 に 広 ま っ た。
新 聞 と い う メ デ ィ ア が、 政 治 運 動 を 全 国 に 広 げ る 役 割 を 果 た し た、 日 本 史 上 最 初 の 例 で も あ っ た。
自 由 民 権 運 動 の そ の 後
建 白 書 を き っ か け に、 全 国 各 地 で 政 治 結 社 が 結 成 さ れ、 自 由 民 権 運 動 が 燃 え 広 が っ た。
| 年 | 出 来 事 |
|---|---|
| 1874 | 民 撰 議 院 設 立 建 白 書 / 立 志 社 (板 垣) 結 成 |
| 1875 | 立 憲 政 体 樹 立 の 詔 / 大 阪 会 議 |
| 1877 | 西 南 戦 争 (武 力 反 乱 の 最 後) |
| 1880 | 国 会 期 成 同 盟 |
| 1881 | 明 治 14 年 政 変 / 国 会 開 設 の 詔 / 自 由 党 (板 垣) 結 成 |
| 1882 | 立 憲 改 進 党 (大 隈) 結 成 / 板 垣 退 助 岐 阜 で 遭 難 (「板 垣 死 す と も…」) |
| 1885 | 内 閣 制 度 創 設 |
| 1889 | 大 日 本 帝 国 憲 法 発 布 |
| 1890 | 第 一 回 帝 国 議 会 開 設 |
建 白 書 提 出 か ら 16 年。 1890 年、 つ い に 帝 国 議 会 が 開 設 さ れ た。
板 垣 ら の 訴 え は、 16 年 か か っ た が、 形 と し て 実 現 し た の で あ る。
世 界 史 の 中 で の 民 撰 議 院 設 立 建 白 書
1874 年 (明 治 7 年) と い う 年 を、 世 界 史 の 中 で 見 て み よ う。
- 1776 ─ ア メ リ カ 独 立 宣 言 (本 サ イ ト kotosekaishi1)
- 1789 ─ フ ラ ン ス 革 命 ・ 人 権 宣 言
- 1832 ─ イ ギ リ ス 第 一 次 選 挙 法 改 正
- 1848 ─ ヨ ー ロ ッ パ 諸 国 で 革 命
- 1861 ─ イ タ リ ア 統 一
- 1865 ─ 米 国 南 北 戦 争 終 結
- 1874 ─ 日 本 ・ 民 撰 議 院 設 立 建 白 書
- 1889 ─ 大 日 本 帝 国 憲 法
- 1890 ─ 帝 国 議 会 開 設
ア ジ ア で は、 当 時 ま だ 議 会 制 を 実 現 し た 国 は な か っ た。
日 本 は、 明 治 維 新 か ら わ ず か 22 年 で 議 会 制 を 確 立 し、 ア ジ ア 最 初 の 立 憲 国 家 と な っ た の で あ る。
そ の 出 発 点 が、 こ の 民 撰 議 院 設 立 建 白 書 だ っ た。
「自 由 と 民 主」 の 始 ま り
2026 年 ─ 民 撰 議 院 設 立 建 白 書 か ら 152 年。
私 た ち は 「議 員 を 選 挙 で 選 ぶ」 こ と を、 当 た り 前 と 思 っ て い る。
だ が、 こ の 「当 た り 前」 を 日 本 に も た ら し た の が、 1874 年 1 月 17 日 の こ の 一 通 の 建 白 書 だ っ た こ と を、 私 た ち は 知 っ て お く べ き で あ る。
板 垣 退 助 は、 後 に こ う 言 っ た:
「板 垣 死 す と も 自 由 は 死 せ ず」 (1882 年、 岐 阜 で 暴 漢 に 襲 わ れ た 時)
彼 が 守 ろ う と し た 「自 由」 ─ そ れ は、 1874 年 の 建 白 書 か ら 始 ま っ た、 日 本 の 民 主 主 義 の 種 で あ っ た。
語句の意味
各見出し語をクリックすると、外部辞書で詳しい意味を調べられます。 ※ Wiktionary について
- 板垣退助 (いたがき たいすけ) K 1837–1919。 土 佐 藩 (高 知 県) 出 身。 戊 辰 戦 争 で 新 政 府 軍 の 指 揮 官 と し て 活 躍。 維 新 後 は 参 議 と な っ た が、 1873 年 (明 治 6 年) の 「征 韓 論 論 争」 で 政 府 を 下 野。 翌 1874 年、 民 撰 議 院 設 立 建 白 書 を 提 出 し、 自 由 民 権 運 動 の 中 心 と な る。 「板 垣 死 す と も 自 由 は 死 せ ず」 の 名 言 で 知 ら れ る。
- 副島種臣 (そえじま たねおみ) K 1828–1905。 佐 賀 藩 出 身。 明 治 政 府 の 外 務 卿。 板 垣 と 同 じ く 1873 年 の 征 韓 論 で 下 野 し、 民 撰 議 院 設 立 建 白 書 の 中 心 メ ン バ ー の 一 人 と な る。
- 後藤象二郎 (ごとう しょうじろう) K 1838–1897。 土 佐 藩 出 身。 大 政 奉 還 を 徳 川 慶 喜 に 進 言 し た 一 人。 民 撰 議 院 設 立 建 白 書 の 賛 同 者。
- 江藤新平 (えとう しんぺい) K 1834–1874。 佐 賀 藩 出 身。 明 治 政 府 の 司 法 卿。 民 撰 議 院 設 立 建 白 書 の 中 心 メ ン バ ー だ っ た が、 同 1874 年 2 月、 不 平 士 族 を 率 い て 佐 賀 の 乱 を 起 こ し、 敗 れ て 処 刑 さ れ た。 自 由 民 権 運 動 史 の 悲 劇 の 人 物。
- 民撰議院 (みんせん ぎいん) K 「人 民 が 選 ぶ 議 員 か ら 成 る 議 会」 の 意。 英 語 の "elected parliament" の 訳。 当 時 の 日 本 で は ま だ こ の 概 念 が な く、 翻 訳 語 と し て 新 し く 使 わ れ た。
- 自由民権運動 (じゆう みんけん うんどう) K 1874 年 か ら 1890 年 代 に か け て、 国 会 開 設 ・ 憲 法 制 定 ・ 言 論 出 版 の 自 由 を 求 め た 運 動。 民 撰 議 院 設 立 建 白 書 が そ の 出 発 点 と な っ た。 板 垣 ら の 立 志 社 (1874)、 愛 国 公 党、 自 由 党 (1881) な ど の 政 治 結 社 を 中 心 に 展 開。
- 征 韓 論 (せ い か ん ろ ん) K 1873 年 (明 治 6 年)、 朝 鮮 に 強 硬 な 態 度 を 取 ろ う と し た 派 (西 郷 隆 盛・板 垣 ら) と 反 対 し た 派 (大 久 保 利 通・木 戸 孝 允 ら) の 政 策 論 争。 西 郷 ら が 敗 れ て 下 野。 こ れ が 民 撰 議 院 設 立 建 白 書 提 出 の 直 接 的 な き っ か け と な っ た。
- 有 司 専 制 (ゆ う し せ ん せ い) K 「政 府 役 人 (有 司) に よ る 専 制 政 治」 の 意。 民 撰 議 院 設 立 建 白 書 が 批 判 し た、 明 治 政 府 の 状 況。 民 が 政 治 に 参 加 で き ず、 大 久 保 利 通 ら 一 部 の 政 府 高 官 だ け で 政 策 を 決 め て い る、 と い う 批 判。
- 左 院 (さ い ん) K 明 治 政 府 の 太 政 官 制 に お け る 立 法 諮 問 機 関 (1871–1875)。 建 白 書 は こ こ に 提 出 さ れ た。
- 日 新 真 事 誌 (に っ し ん し ん じ し) K イ ギ リ ス 人 ジ ャ ー ナ リ ス ト ・ ジ ョ ン・レ デ ィ・ブ ラ ッ ク が 1872 年 に 東 京 で 創 刊 し た 日 本 語 新 聞。 自 由 主 義 的 論 調 で 知 ら れ、 民 撰 議 院 設 立 建 白 書 を 全 文 掲 載 し て、 こ の 運 動 を 一 気 に 全 国 に 知 ら し め た。
考えてみよう
- 建 白 書 が 政 府 を 批 判 し た 「有 司 専 制 (政 府 役 人 に よ る 専 制)」 と は、 ど う い う 状 態 で し ょ う か。
- 板 垣 ら は、 な ぜ 1874 年 と い う 時 期 に こ の 建 白 書 を 提 出 し た の で し ょ う か。 前 年 の 征 韓 論 論 争 と の 関 係 を 考 え ま し ょ う。
- 「民 撰 議 院」 と い う 言 葉 は、 こ の 時 代 に 新 し く 作 ら れ た 翻 訳 語 で し た。 こ の 言 葉 が 持 つ 意 義 を 考 え て み ま し ょ う。
- 民 撰 議 院 設 立 建 白 書 か ら、 帝 国 議 会 開 設 (1890 年) ま で、 16 年 か か り ま し た。 そ の 間 に ど ん な 動 き が あ っ た で し ょ う か。 自 由 民 権 運 動 の 略 史 を 整 理 し ま し ょ う。
- 民 撰 議 院 設 立 建 白 書 と、 ア メ リ カ 独 立 宣 言 (1776 年、 本 サ イ ト kotosekaishi1) を 比 較 し ま し ょ う。 共 通 点 と 違 い は 何 で し ょ う か。
- 現 代 の 日 本 で、 「議 員 を 国 民 が 選 ぶ」 制 度 を 支 え る も の は 何 で し ょ う か。 1874 年 に は ま だ な か っ た も の を 列 挙 し ま し ょ う。
指導要領との対応
このページは、文部科学省「高等学校学習指導要領(平成30年告示)」日本史 第1学年の 以下の指導事項を意識して編集しています。
- 日本史 (4)ア — 近代国家の形成 — 立憲制と議会制の確立
- 日本史 (4)イ — 自由民権運動と憲法発布
- 歴史総合 — 近代化と民主主義 — 議会制への道
※ 文部科学省告示の本文ではなく、編集者による要旨の言い換えです。 正確な指導事項は文部科学省の公式資料を参照してください。
指導案 教員向け・授業展開の例
高1 日 本 史 で 「自 由 民 権 運 動」 の 出 発 点 と し て 必 修 の 教 材。 王 政 復 古 (1867)・五 箇 条 の 御 誓 文 (1868)・廃 藩 置 県 (1871) と い う 「上 か ら の 維 新」 に 対 し、 「下 か ら の 民 主 化」 の 出 発 点 が 民 撰 議 院 設 立 建 白 書 (1874) で あ る。
指導目標
- 建 白 書 の 内 容 を 理 解 す る
- 自 由 民 権 運 動 史 の 出 発 点 を 把 握 す る
- 「民 選 議 会」 の 概 念 を 整 理 す る
- 後 の 憲 法・議 会 開 設 へ の 連 続 性 を 学 ぶ
授業の流れ
- 1時限・10分 1873 年 征 韓 論 論 争 と 政 府 分 裂 を 確 認
- 1時限・25分 建 白 書 を 音 読・現 代 語 訳
- 1時限・15分 「民 撰 議 院」 と い う 翻 訳 語 を 検 討
- 2時限・20分 自 由 民 権 運 動 の 略 年 表 (1874–1890) を 作 成
- 2時限・20分 米 国 独 立 宣 言・仏 人 権 宣 言 と の 比 較
- 2時限・10分 振 り 返 り
発問例・議論のポイント
- 「上 か ら の 維 新」 と 「下 か ら の 民 主 化」、 ど ち ら も 必 要 だ っ た か?
- 板 垣 退 助 と 大 久 保 利 通、 ど ち ら が 「正 し か っ た」 か?
- 現 代 の 日 本 の 政 治 で、 「有 司 専 制」 は ま だ あ る か?
発展課題
- 板 垣 退 助 の 演 説 集 を 読 む
- 自 由 民 権 運 動 の 各 結 社 (立 志 社・愛 国 公 党・自 由 党) を 詳 細 に
- 大 日 本 帝 国 憲 法 (1889) と 帝 国 議 会 開 設 (1890) の 経 緯
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出典・ライセンス
- 原文: 板垣退助 ・ 副島種臣 ・ 後藤象二郎 ・ 江藤新平 ら「民撰議院設立建白書 — 1874年・自由民権運動の出発」(1874年)
- 入力テキスト: 明治政府公文書 (底本:「民撰議院設立建白書」明治7年(1874)1月17日、左院 (太政官 の 諮問 機関) に 提出。 同月 18 日 付 『日新真事誌』 (に っ し ん し ん じ し、 英国人ブラックが東京 で 創刊 し た 新聞) で 公開 され、自由民権運動の 出発点 となる。 公文書 のため著作権 法 第13条 により著作物の対象外。)
- 原文の権利: パブリックドメイン
- 編集・語注・発問・解説: CC BY 4.0 © project_procopios contributors