ホメロス『イリアス』第一歌 冒頭
「歌へ女神よ、アキレウスの怒りを」 ―― ヨーロッパ文学の出発点とされる、紀元前 8 世紀の口承叙事詩。土井晩翠 (どい ばんすい) の明治末訳で、漢文調の重厚な日本語に。
1868〜1912 年。文明開化と西洋思想の流入。新美南吉以前の先駆的作家たちが活躍。
「歌へ女神よ、アキレウスの怒りを」 ―― ヨーロッパ文学の出発点とされる、紀元前 8 世紀の口承叙事詩。土井晩翠 (どい ばんすい) の明治末訳で、漢文調の重厚な日本語に。
「生か、死か、それが疑問だ」(To be, or not to be) — シェイクスピア戯曲史上もっとも有名な独白。坪内逍遥が明治末に苦心の上に訳した、日本人にとっての西洋古典の入り口。
「王政復古、国威挽回ノ御基立テラセラレ候間」── 慶応3年(1867)末、260年続いた江戸幕府が終わり、天皇親政の新政府が宣言された決定的瞬間。たった一夜のクーデターが、近代日本の出発を告げた。
「広く会議を興し、万機公論に決すべし」— 慶応4年(1868年)3月、明治新政府が天皇の名で宣明した5か条の基本方針。近代日本のスタート地点となった、わずか100字ほどの公文書。
「広く会議を興し、万機公論に決すべし」— 明治政府が発足直後に天下に誓った 5 か条の根本方針。たった 5 行に「議会・身分制廃止・知識吸収・国際協調」の近代国家への針路が凝縮されている。
「藩 を 廃 し、県 と 為 す」── 1871 年、明治政府が一夜にして全国 261 の藩を消滅させ、3 府 302 県を設置した、世界史上稀有な無血の中央集権革命。3 年 で「廃藩置県」を実現した明治国家の決断と速度。
「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らずと言えり」— 明治5年に書かれ、日本人の人権思想の出発点となった福沢諭吉の名著。初編の冒頭から、学問と平等についての核心部分を読む。
「臣 等 (し ん ら) 別 に 民撰議院 を 立 つ る の 議 を 建 言 す」── 1874年、板垣退助 ら 8 名 が 政府 に 提出 し た、 議会 開設 を 求 め る 歴史 的 文書。 自由民権運動 の 出発点 と なり、 大日本帝国憲法 (1889) ・ 帝国議会 開設 (1890) へ と つ なが る 道筋 を 切 り 開 い た。
「議論の本位を定むる事」── 明治初期、福澤諭吉が日本社会の方向を決定づけた巨大な文明論の冒頭。「軽重・長短・善悪・是非」を判断する基準は、立つ位置によって変わる。日本が西洋に学ぶべきかどうか、その「議論の出発点」を問い直す名章。
「大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス」— 1889年に発布されアジア最初の近代憲法となった大日本帝国憲法の第一章「天皇」を、戦後の日本国憲法と対比しながら読む。明治憲法体制の特質と限界を、原文に向き合って考える。
「朕惟フニ我カ皇祖皇宗…」— 1890年に発布され、58年間日本の教育の根本指針とされ、1948年に国会で「排除」「失効確認」された315字の文書。なぜ生まれ、なぜ失効したのか。原文に向き合い、批判的に読み解く。
「お む す び こ ろ り ん で 拾 っ た 柿 の 種」── 蟹 が 親 切 で 育 て た 柿 の 木 を、 ず る い 猿 が 横 取 り。 怒 っ た 子 蟹 と 仲 間 (蜂・栗・臼・牛 糞) が 力 を 合 わ せ て 仇 を 討 つ 日 本 昔 話。 巌 谷 小 波 (1870–1933) が 整 え た 児 童 文 学 の 古 典 を、 小 3 国 語 で 読 も う。
「最大遺物とは何であるか — 勇ましい高尚なる生涯であります」— 明治27年、内村鑑三が箱根の夏期学校で青年たちに語った名講演。「人生に何を遺すか」を、お金・事業・思想・教育と検証していき、最後に到達するもの。
「廻れば大門の見返り柳いと長けれど」── 明治28年、樋口一葉が23歳で書いた中編。吉原遊郭の門前を舞台に、少年少女の淡い恋を雅文体で描いた、明治文学の最高傑作の一つ。
「日 本 国 ハ 清 国 ヨ リ 台 湾 全 島 及 其 ノ 附 属 諸 島 嶼 ノ 主 権 並 該 地 方 ニ 在 ル 城 塁 兵 器 製 造 所 及 官 有 物 ヲ 永 遠 ニ 受 渡 サ ル」── 1895 年 4 月 17 日、 下 関 で 調 印 さ れ た 日 清 講 和 条 約。 日 本 を ア ジ ア の 新 興 帝 国 に 変 え、 そ の 後 50 年 の 東 ア ジ ア 史 を 決 定 し た 条 約。
「まだあげ初めし前髪の、林檎のもとに見えしとき」── 明治の少年が、林檎の木の下で、初めての恋を知った瞬間を歌った藤村の代表詩。古い文語のリズムの中に、瑞々しい初恋の心が今も生きている。
「武蔵野の俤 (おもかげ) は今わずかに入間郡 (いるまごおり) に残れり」── 国木田独歩 が、 江戸 か ら 東京 に 変 わ り つ つ あ る 武蔵野 の 自然 を、 美 し く 静 か に 描 い た 名 文。 雑 木 林 と 落 葉 と 風 の 美 を、 日 本 文 学 が 初 め て 発 見 し た 一 篇。
「親 ・ 兄 弟 で も な く、 知 人 ・ 朋 友 で も な い、 し か し 忘 れ え ぬ 人 々」── 国 木 田 独 歩 が、 旅 で 一 瞬 す れ 違 っ た だ け の 「名 も 知 ら ぬ 人 」 へ の 不 思 議 な 思 い を 描 い た、 明 治 文 学 の 名 短 編。
「や は 肌 の あ つ き 血 汐 に ふ れ も 見 で さ び し か ら ず や 道 を 説 く 君」── 明 治 34 年 (1901)、 23 歳 の 与 謝 野 晶 子 (1878–1942) が 第 一 歌 集『み だ れ 髪』 を 出 版 し、 短 歌 界 に 衝 撃 を 与 え た。 女 性 の 情 熱 を 大 胆 に 歌 い 上 げ た 革 命 的 名 作 を、 高 2 古 典 探 究 で 読 む。
「秋は実りの季節。冬を越す備えの季節」── 村井弦斎『食道楽』秋の巻から、明治の家庭が冬の保存食をどう準備したかを読む。米・芋・栗・梅干し・味噌・漬物。100 年前の「持続可能な食」の知恵。
「冬 の 食卓 の 中心 は、鍋 (なべ) で あ る べし」── 村井弦斎『食道楽』冬の巻から、寒さに体を温め、家族を囲ませる鍋料理の哲学。100 年前 の 日本 家庭 が 大切 に した 「温かい 食卓」 の 知恵。
「食は健康の母なり」— 明治36年(1903)に新聞連載されて百万部のベストセラーとなった日本初の本格的「食育」小説、村井弦斎『食道楽』の序文と春の巻冒頭から、食と健康・家族・教育の関係を考える。
「夏の食物は、第一に冷たく、第二に淡白に、第三にあじを濃く」— 村井弦斎『食道楽』夏の巻から、明治の人々が暑さと戦った食の知恵を読む。冷蔵庫もエアコンもなかった時代の「夏ばて防止」の工夫。
「お 城 の 跡 の 石 垣 の 上 か ら、 一 人 の 少 年 が 飛 び 降 り よ う と し て、 鳥 の よ う に 両 手 を 広 げ た」── 国 木 田 独 歩 が 描 く、 知 的 障 害 を 持 つ 少 年 「六 蔵」 と の 静 か な 物 語。「い つ か 鳥 に な っ て 飛 び た い」 と 願 う 子 の、 痛 切 な 美 し さ。
「あゝをとうとよ、君を泣く、君死にたまふことなかれ」── 日露戦争に弟を送り出した与謝野晶子が、明治37年に発表した反戦詩。「天皇は戦に出てたまふな」とまで言い切った、近代日本文学最大の反戦の絶唱。
「むじな」— 江戸の紀伊国坂で、泣いている若い女に声をかけた男の話。日本の怪談を英語で書いた小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)の代表作『Kwaidan』から、最も短く印象深い一編。
「雪女」— 嵐の夜、渡し守の小屋に避難した若い木こり巳之吉は、白い女に出会い、命と引き換えに「決して口外しない」誓いを立てる。十年後、彼の前に現れた美しいお雪は…。怖さと哀しさが入り混じる怪談の名作。
「One dollar and eighty-seven cents. That was all.」── アメリカ短編の名手 O. Henry が、ニューヨークの貧しい夫婦のクリスマスを描いた不朽の名作。互いを思う愛が、皮肉な結末で結ばれる。英語の語感と人情を同時に味わう教材。
「こんな夢を見た」で始まる漱石の連作短編から、もっとも有名な第一夜。死を告げる女と、墓の傍で百年待つ自分。最後に開く真白な百合の一輪が忘れ難い余韻を残す。
「経験するというのは、事実其儘に知るの意である」— 日本哲学の出発点となった『善の研究』。京都学派の祖・西田幾多郎が、東洋と西洋を架橋する独自の哲学を樹立した、1911年の名著。大学入試現代文の常連でもある。
「私は植物の精である。植物が大好きだ」── 「日本の植物学の父」と呼ばれた牧野富太郎が、生涯一筋に植物を愛し、約 1500 種を命名した物語。 観 察・記 録・命 名 ─ 科 学 の 基 礎 を、 一 人 の 在 野 の 学 者 が 体 現 し た。