建 白 書 原 文 (抜 粋 ・ 1874 年 1 月 17 日)
臣等別に民撰議院を立つるの議を建言す。
方今政権の帰する所を察するに、上帝室に在らず、下人民に在らず、ひとり有司に帰す。
それ有司、上帝室を尊ぶと云わざるに非ず、しかれども帝室漸くその尊栄を失う。
下人民を保つと云わざるに非ず、しかれども政令百端、朝出暮改、政情実に成り、賞罰愛憎に出ず。言路壅蔽、困苦告るに所無し。それ振救するの道を講求するに、天下の公議を張るに在るのみ。
天下の公議を張るは、民撰議院を立つるに在るのみ。
現代語訳
私 ど も (板 垣 ら 8 名) は、 民 撰 議 院 (人 民 が 選 ぶ 議 員 か ら 成 る 議 会) を 設 立 す る こ と を 提 言 い た し ま す。
現 在 の 政 治 権 力 が ど こ に あ る か を 観 察 す る に、 上 は 皇 室 に な く、 下 は 人 民 に な く、 た だ 一 部 の 政 府 役 人 (有 司) に 集 中 し て い ま す。
そ の 政 府 役 人 は、 表 面 上 は 皇 室 を 尊 重 し て い る と 言 い ま す が、 皇 室 の 真 の 栄 誉 を 損 な い つ つ あ り ま す。
人 民 を 守 る と 言 い ま す が、 政 令 が 朝 令 暮 改 で、 政 治 が 私 情 で 行 わ れ、 賞 罰 も 役 人 の 好 き 嫌 い で 決 ま っ て い ま す。
人 民 の 声 を 政 府 に 届 け る 道 は 閉 ざ さ れ、 苦 し み を 訴 え る 場 が あ り ま せ ん。
こ の 状 況 を 改 善 す る 方 法 は、 ひ と つ し か あ り ま せ ん。
そ れ は、 「天 下 の 公 議」 (= 国 民 全 体 の 議 論) を 開 く こ と で す。
そ し て、 「天 下 の 公 議」 を 開 く に は、 民 撰 議 院 を 設 立 す る ほ か に 道 は あ り ま せ ん。
解 説 ─ 自 由 民 権 運 動 の 出 発 点
1874 年 1 月 17 日、 板 垣 退 助、 副 島 種 臣、 後 藤 象 二 郎、 江 藤 新 平 ら 8 名 が、 太 政 官 の 左 院 (立 法 諮 問 機 関) に 提 出 し た こ の 建 白 書 は、 日 本 史 上 で 極 め て 大 き な 意 味 を 持 つ。
こ れ が、 日 本 の 自 由 民 権 運 動 ─ 議 会 開 設・憲 法 制 定・言 論 出 版 の 自 由 を 求 め る 運 動 ─ の 出 発 点 だ っ た か ら で あ る。
な ぜ こ の 時 期 に?
板 垣 ら が こ の 建 白 書 を 出 し た 1874 年 1 月 は、 前 年 (1873 年 10 月) の 「明 治 六 年 政 変」 (征 韓 論 論 争 で 政 府 が 分 裂) の 直 後 で あ っ た。
- 1873 年 (明 治 6 年) 10 月 ─ 征 韓 論 で 西 郷 隆 盛・板 垣 退 助・副 島 種 臣 ら が 政 府 を 下 野
- 1874 年 (明 治 7 年) 1 月 ─ 板 垣 ら が 民 撰 議 院 設 立 建 白 書 を 提 出
- 1874 年 2 月 ─ 江 藤 新 平 が 佐 賀 の 乱 を 起 こ し、 処 刑 (建 白 書 提 出 後 わ ず か 1 ヶ 月)
- 1877 年 ─ 西 郷 隆 盛 が 西 南 戦 争 で 自 刃
下 野 し た 元 参 議 た ち は、 政 府 と 武 力 で 戦 う 道 (西 郷・江 藤) と、 言 論 で 戦 う 道 (板 垣・副 島) に 分 か れ た。
板 垣 ら は、 「武 力 で は な く、 議 会 で 政 府 と 戦 う」 こ と を 選 び、 そ の 第 一 歩 と し て こ の 建 白 書 を 提 出 し た の だ。
「有 司 専 制」 と い う 批 判
建 白 書 の 核 心 的 批 判 は、 「有 司 専 制」 (政 府 役 人 に よ る 専 制) で あ る。
明 治 維 新 (1868) か ら 6 年。 政 府 の 実 権 は、 大 久 保 利 通 ・ 木 戸 孝 允 ・ 伊 藤 博 文 ・ 山 県 有 朋 ら、 薩 摩 ・ 長 州 出 身 の 一 部 の 高 官 (こ れ を 後 に 「藩 閥 政 府」 と 呼 ぶ) が 握 っ て い た。
人 民 は 政 治 に 参 加 で き ず、 言 論 の 自 由 も な い。
板 垣 ら は こ う 主 張 し た:
「こ の ま ま で は、 江 戸 幕 府 を 倒 し た 意 味 が な い。 政 治 が 一 部 の 役 人 の 手 に 集 中 す る だ け で、 民 衆 に は 何 も 変 わ ら な い」 と。
『日 新 真 事 誌』 と い う 新 聞
建 白 書 が 全 国 に 知 ら れ た の は、 イ ギ リ ス 人 ブ ラ ッ ク が 東 京 で 創 刊 し て い た 新 聞 『日 新 真 事 誌』 (に っ し ん し ん じ し) の お か げ で あ る。
1874 年 1 月 18 日 ─ 建 白 書 提 出 の 翌 日 ─ 『日 新 真 事 誌』 は こ の 全 文 を 掲 載 し た。
こ れ に よ り、 建 白 書 は 瞬 く 間 に 全 国 の 知 識 人 に 広 ま っ た。
新 聞 と い う メ デ ィ ア が、 政 治 運 動 を 全 国 に 広 げ る 役 割 を 果 た し た、 日 本 史 上 最 初 の 例 で も あ っ た。
自 由 民 権 運 動 の そ の 後
建 白 書 を き っ か け に、 全 国 各 地 で 政 治 結 社 が 結 成 さ れ、 自 由 民 権 運 動 が 燃 え 広 が っ た。
| 年 | 出 来 事 |
|---|---|
| 1874 | 民 撰 議 院 設 立 建 白 書 / 立 志 社 (板 垣) 結 成 |
| 1875 | 立 憲 政 体 樹 立 の 詔 / 大 阪 会 議 |
| 1877 | 西 南 戦 争 (武 力 反 乱 の 最 後) |
| 1880 | 国 会 期 成 同 盟 |
| 1881 | 明 治 14 年 政 変 / 国 会 開 設 の 詔 / 自 由 党 (板 垣) 結 成 |
| 1882 | 立 憲 改 進 党 (大 隈) 結 成 / 板 垣 退 助 岐 阜 で 遭 難 (「板 垣 死 す と も…」) |
| 1885 | 内 閣 制 度 創 設 |
| 1889 | 大 日 本 帝 国 憲 法 発 布 |
| 1890 | 第 一 回 帝 国 議 会 開 設 |
建 白 書 提 出 か ら 16 年。 1890 年、 つ い に 帝 国 議 会 が 開 設 さ れ た。
板 垣 ら の 訴 え は、 16 年 か か っ た が、 形 と し て 実 現 し た の で あ る。
世 界 史 の 中 で の 民 撰 議 院 設 立 建 白 書
1874 年 (明 治 7 年) と い う 年 を、 世 界 史 の 中 で 見 て み よ う。
- 1776 ─ ア メ リ カ 独 立 宣 言 (本 サ イ ト kotosekaishi1)
- 1789 ─ フ ラ ン ス 革 命 ・ 人 権 宣 言
- 1832 ─ イ ギ リ ス 第 一 次 選 挙 法 改 正
- 1848 ─ ヨ ー ロ ッ パ 諸 国 で 革 命
- 1861 ─ イ タ リ ア 統 一
- 1865 ─ 米 国 南 北 戦 争 終 結
- 1874 ─ 日 本 ・ 民 撰 議 院 設 立 建 白 書
- 1889 ─ 大 日 本 帝 国 憲 法
- 1890 ─ 帝 国 議 会 開 設
ア ジ ア で は、 当 時 ま だ 議 会 制 を 実 現 し た 国 は な か っ た。
日 本 は、 明 治 維 新 か ら わ ず か 22 年 で 議 会 制 を 確 立 し、 ア ジ ア 最 初 の 立 憲 国 家 と な っ た の で あ る。
そ の 出 発 点 が、 こ の 民 撰 議 院 設 立 建 白 書 だ っ た。
「自 由 と 民 主」 の 始 ま り
2026 年 ─ 民 撰 議 院 設 立 建 白 書 か ら 152 年。
私 た ち は 「議 員 を 選 挙 で 選 ぶ」 こ と を、 当 た り 前 と 思 っ て い る。
だ が、 こ の 「当 た り 前」 を 日 本 に も た ら し た の が、 1874 年 1 月 17 日 の こ の 一 通 の 建 白 書 だ っ た こ と を、 私 た ち は 知 っ て お く べ き で あ る。
板 垣 退 助 は、 後 に こ う 言 っ た:
「板 垣 死 す と も 自 由 は 死 せ ず」 (1882 年、 岐 阜 で 暴 漢 に 襲 わ れ た 時)
彼 が 守 ろ う と し た 「自 由」 ─ そ れ は、 1874 年 の 建 白 書 か ら 始 ま っ た、 日 本 の 民 主 主 義 の 種 で あ っ た。