五箇条の御誓文 — 明治国家の誕生宣言

原文(明治元年・1868年3月14日発布)

一、ひろ会議かいぎおこシ、万機ばんき公論こうろんけっスベシ。
一、上下しょうかこころいつニシテ、さかん経綸けいりんおこナフベシ。
一、官武かんぶ一途いっと庶民しょみんいたまでおのおのそのこころざしゲ、人心じんしんヲシテマザラシメンコトヲようス。
一、旧来きゅうらい陋習ろうしゅうやぶリ、天地てんち公道こうどうもとづクベシ。
一、智識ちしき世界せかいもとメ、おおい皇基こうき振起しんきスベシ。

現代語訳

  1. 第一条:広く会議を開き、国政の重要事はすべて公の議論によって決定する。
  2. 第二条:政府と人民が心を一つにして、盛んに国家経営を進める。
  3. 第三条:官吏も武士も庶民に至るまで、それぞれが志を遂げられるようにし、不満を抱かせない。
  4. 第四条:昔からの悪い習慣(攘夷思想・閉鎖性)を捨て、世界共通の道理(万国公法)に基づく。
  5. 第五条:知識を広く世界に求め、天皇を中心とする国家の基礎を盛んにする。

五か条の構造

たった 5 行のこの誓文には、近代国家への 5 つの柱が凝縮されている。

条文核心実現された政策
第一条議会・公論議会制度(1881 国会開設の詔 → 1890 帝国議会)
第二条国民統合廃藩置県(1871)・地租改正(1873)
第三条身分平等・職業選択の自由四民平等(1869)・解放令(1871)
第四条攘夷拒否・国際協調岩倉使節団(1871–1873)・条約改正交渉
第五条知識吸収・近代化学制(1872)・お雇い外国人

草案から確定版へ — 3人の手

五箇条の御誓文は、3 人の手を経て完成した。

  1. 由利公正(越前藩) ── 「議事の体大いに振るい起こすべし」など、議会制を強く意識した最初の草案。
  2. 福岡孝弟(土佐藩) ── 「列侯会議を興し」と書き換え、当面は諸大名の会議として現実的にした。
  3. 木戸孝允(長州藩) ── 最終版で「広く会議を興し」と改めた。これにより「広く=人民にまで」と読める普遍性を獲得。

三人の改訂は、明治新政府の「理想 → 現実 → 普遍化」のせめぎ合いそのもの。

戦後憲法との連続性/非連続性

1946 年の新憲法制定時、幣原喜重郎首相は記者会見で「五箇条の御誓文の精神に立ち返る」と語った。
そして 1946 年 1 月 1 日の昭和天皇の「人間宣言」でも、その冒頭に五箇条の御誓文が引用された。

これは何を意味するか。

  • 連続性:明治の出発点に既に「公論・身分平等・国際協調・知識吸収」という民主主義的萌芽があった。
  • 非連続性:「主権者は誰か」が天皇から国民へ転換した(明治憲法第1条 → 日本国憲法第1条)。

御誓文の理想は守り、天皇主権だけを国民主権に置き換える」── これが戦後改革の自己理解だった。

たった 5 行の重み

五箇条の御誓文は、日本国民にとって「明治国家の出発宣言」として、また「戦後改革の原点回帰の標的」として、二度にわたり歴史の節目で参照された。

たった 5 行の誓いが、150 年以上にわたって国の方向を指し示し続けている ── これは日本史上、極めて稀有な例である。