詔書 原文 (明治 4 年 7 月 14 日 発布)
朕惟フニ、更始ノ時ニ際シ、内以テ億兆ヲ保安シ、外以テ万国ト対峙セント欲セバ、宜シク名実相副ヒ、政令一ニ帰セシムベシ。
朕曩ニ諸藩版籍奉還ノ議ヲ聴納シ、新ニ知藩事ヲ命ジ、各其職ヲ奉ゼシム。然ルニ数百年因襲ノ久シキ、或ハ其名有リテ其実挙ラザル者アリ。何ヲ以テ億兆ヲ保安シ、万国ト対峙セン。
朕深ク之ヲ慨ス。仍テ今更ニ藩ヲ廃シ県ト為ス。是レ冗ヲ去リ簡ニ就キ、有名無実ノ弊ヲ除キ、政令多岐ノ憂無カラシメント欲スレバナリ。
現代語訳
朕 (天皇) は思う。今、新しい時代 を 始めるに あたって、国の 内 に は 人民 を 安心 させ、外 に は 諸 外国 と 対等 に 渡り合おう と すれば、名 と 実 が 一致 し、政令 が 一 つ に まとまる よう に せ ね ば ならない。
朕 は 先 ごろ、諸 藩 が 「版籍奉還」 を 願い 出た の を 受け 入れ、各 藩主 を 「知藩事」 と 名 を 改め、それぞれ の 職 を 全う さ せた。
しかし、数百 年 続いて きた 慣習 は 根 深く、名 ばかり で 実体 が 伴わない 場合 も あった。これ で は、人民 を 守り、外国 と 渡り合う こと は できない。
朕 は これ を 深く 憂え る。よって、今 改めて、藩 を 廃 し、県 と する。
これ は、無駄 を 省 き、簡 素 化 し、名 ばかり の 弊害 を 除き、政令 が 分裂 する 心配 を なくす ため で ある。
たった 三 行 に 凝縮 された 革命
「朕 深 ク 之 ヲ 慨 ス。仍 テ 今 更 ニ 藩 ヲ 廃 シ 県 ト 為 ス」
── たった この 三 行 が、日本 の 政治 を 一夜 に して 変えた。
廃藩置県 (1871 年 7 月 14 日) は、世界 史 上 で も 稀有 な、無 血 で 行われた 大 規模 な 中央集権 革命 で ある。
- 明治 元 年 (1868) ─ 五箇条 の 御誓文
- 明治 2 年 (1869) ─ 版籍奉還 (土地 と 人民 を 天皇 に 返上)
- 明治 4 年 (1871) ─ 廃藩置県 (藩 を 完全 に 廃止)
わずか 3 年 の うち に、江戸 時代 270 年 続いた 封建 制度 が 完全 に 解体 された。
なぜ 無 血 で 可能 だった の か
当時、日本 全国 に は 261 の 藩 が あった。
各 藩 は、独自 の 軍隊・税 収・法律 を 持つ、事実 上 の 小 独立 国家 だった。
それ ら を 一斉 に 廃止 する ─ これ は、フランス 革命 や アメリカ 南北 戦争 級 の 大 事件 で ある。
だが、日本 で は、ほぼ 流血 なく 実現 した。
なぜ か。三 つ の 理由 が 挙げられる。
- 藩 の 経済 破綻 ─ 江戸 末期、ほとんど の 藩 は 巨額 の 借金 を 抱えて 破綻 寸前 だった。「廃藩」 は、藩主 たち に とって、借金 を 中央政府 が 肩 代わり する 救済 で も あった。
- 御親兵 の 武力 的 背景 ─ 西郷隆盛 が 薩摩・長州・土佐 から 1 万人 の 御親兵 (天皇 直属軍) を 集めた。「もし 抵抗 すれば、武力 が ある」 と いう 暗黙 の メッセージ。
- 知藩事 の 旧 大名 へ の 待遇 ─ 旧 大名 たち は、廃藩置県 で 失職 した が、東京 に 居住 を 命じ られ、家禄 (給与) と 華族 と いう 身分 を 与え られた。完全 に 失った わけ で は なかった。
こう して、各 藩主 は 抵抗 せ ず、わずか 数 ヶ月 で 全国 の 藩 が 消滅 した。
世界 史 上 の 同時 性
1871 年 ─ 日本 の 廃藩置県 の 年 ─ は、世界 史 上 も きわめて 興味深い 年 だ。
| 国 | 1871 年 の 出来事 |
|---|---|
| 日本 | 廃藩置県 (7 月) |
| ドイツ | ドイツ 帝国 成立 (1 月) ─ 諸侯 国家 の 統一 |
| イタリア | ローマ を 首都 と 正式 制定 (7 月) ─ 統一 完成 |
| アメリカ | 南北 戦争 後 の 再建 期 (中央集権 強化) |
| フランス | パリ・コミューン (3 月–5 月) ─ 中央 と 地方 の 緊張 |
19 世紀 後 半 ─ 世界 は 「近代 国民 国家」 形成 の 時代 だった。
日本 の 廃藩置県 は、その 世界 史 の 中 で、もっとも 急速 で、もっとも 無血 な 変革 だった と 言える。
「名 実 相 副 ヒ」 ─ 詔 の 核心 句
詔書 の 最初 に 出てくる 「名 実 相 副 ヒ」 (名 と 実 が 一致 する) は、本 詔 全体 の 核心 で ある。
版籍奉還 (1869) で、形式 的 に は 土地 と 人民 は 天皇 の もの と なった。
だが、実 際 に は、藩主 (知藩事) が 引き続き 統治 して いた。
これ が 「名 は ある が 実 が 伴わない (名 有 実 無)」 状態 で あった。
廃藩置県 は、この 「名」 と 「実」 の 乖離 を、「実」 の 側 を 名 に 合わせる こと で 解消 した。
近代 国家 の 条件 は、まさに この 「名 実 一致」 で ある。
後 へ の 影響
廃藩置県 が なければ、その 後 の 明治 政府 の 政策 は 何 一つ 実行 できなかった だろう。
- 1872 ─ 学制 ─ 全国 一律 の 教育 制度 (各 藩 が 独自 の 学校 を 持って いて は 不可能)
- 1873 ─ 地租 改正 ─ 全国 統一 の 税 制 (各 藩 の 年貢 制度 で は 不可能)
- 1873 ─ 徴兵令 ─ 全国 統一 の 軍隊 (各 藩 の 武士 団 で は 不可能)
これら すべて の 近代 化 政策 の 前提 が、廃藩置県 で あった。
現代 と の つながり
今日 の 日本 の 都道府県 制度 は、廃藩置県 の 直接 の 子孫 で ある。
1888 年 に 県 の 統合 が 進み、現在 の 1 道 1 都 2 府 43 県 の 体制 が ほぼ 確立 した。
一方、近年 は 「道州制」 や 「地方分権」 の 議論 も 活発 で ある。
これ は、150 年 前 に 解体 さ れた 「藩 的 な もの」 ── 地域 の 自律 性 ─ を、現代 的 な 形 で 取り 戻そう と する 試み で も ある。
廃藩置県 の 詔 を 読 む 時、私 たち は ただ 「過去 の 出来事」 を 見て いる の で は ない。
「中央 と 地方 の 関係 を どう 設計 する か」 と いう、150 年 後 の 今 も 続く 大きな 問い の、最初 の 答え を 見て いる の だ。