本文(村井弦斎『食道楽』夏の巻 より抜粋・現代仮名遣い)
夏の食物は、第一に冷たく、第二に淡白に、第三にあじを濃くするを良しとす。
身体(からだ)の熱を冷ますためには、冷たき食物にしくものなし。されど冷たければとて、味の薄きものを取れば、食欲(しょくよく)すすまず、力出でず。ゆえに、夏の食卓には、冷奴に醤油を濃く、そうめんに辛味を強く、刺身に山葵(わさび)をしっかりと利かせ、舌に明らかなる刺激を与うべし。
飲み物には、井戸水に冷やしたる麦湯(むぎゆ)、または冷茶(れいちゃ)を、こまめに取るがよし。食欲なき夏こそ、料理のさじ加減が家族の元気を支うる要なり。主婦たる者、夏の食卓に心を配るべし。
解説:明治の夏、人々はどう生きたか
明治36年 (1903) の夏。冷蔵庫もエアコンもなかった時代、人々はどう暑さを乗り切ったのか。
村井弦斎は、暑さに対抗する食の三原則を示した:
- 冷たく ── 体内の熱を冷ます
- 淡白に ── 消化への負担を減らす
- あじを濃く ── 食欲をそそる
この「冷たく淡白でありながら、味は濃く」というバランスは、現代の科学から見てもよく考えられている。冷たく淡白なものは消化器に負担をかけず、濃い味(特に塩・醤油)は汗で失われた電解質を補うからだ。
明治の夏のメニュー
- 冷奴 ── 井戸水で冷やした豆腐に、しっかり醤油を効かせて
- そうめん ── 細い乾麺を、冷たい井戸水で締めて、辛味の薬味で
- 刺身 ── 山葵を多めに(殺菌・防腐の意味も)
- 麦湯 ── 大麦を炒って煮出した飲料(現在の「麦茶」の原型)
- 鮎の塩焼き ── 夏の川魚に、蓼酢(たでず)の薬味
主婦への激励
弦斎の最後の一節は印象的だ ── 「食欲なき夏こそ、料理のさじ加減が家族の元気を支うる要なり」。
当時、家庭の食事を担う「主婦」に向けた激励のメッセージである。
現代では性別を問わず、家族の誰もが料理に関わる。だが、「食欲のない時こそ、工夫が家族を支える」という弦斎の心は、120 年経った今も色あせない。
家庭科への接続
小学校家庭科の食育単元では、「季節と食事」が重要な視点とされる。
弦斎の三原則を糸口に:
- 夏野菜(きゅうり、なす、トマト、すいか)の役割
- 水分と塩分のバランス(経口補水液の原理)
- 地域ごとの夏の郷土食(沖縄のゴーヤチャンプルー、京都の鱧、東北の冷やし汁など)
へと展開していきたい。