原文
一、広く会議を興し、万機公論に決すべし
一、上下心を一にして、盛んに経綸を行うべし
一、官武一途庶民に至るまで、各々その志を遂げ、人心をして倦まざらしめんことを要す
一、旧来の陋習を破り、天地の公道に基づくべし
一、智識を世界に求め、大いに皇基を振起すべし
— 慶応4年(1868年)3月14日、京都御所紫宸殿にて宣明
現代語訳
- 広く会議を興し、万機公論に決すべし
広く会議を開いて、政治の重要事項は、多くの人々の話し合いによって決めていく。 - 上下心を一にして、盛んに経綸を行うべし
身分の上下(治める者と治められる者)が心を一つにして、国家経営を盛んに進めていく。 - 官武一途庶民に至るまで、各々その志を遂げ、人心をして倦まざらしめんことを要す
公家も武士も、一般の人々まで、それぞれが自分の志(こころざし)を実現でき、人々の意欲がくじかれないようにすることが必要だ。 - 旧来の陋習を破り、天地の公道に基づくべし
昔からの悪い習慣を打ち破り、世界に通用する普遍的な道理に立脚していく。 - 智識を世界に求め、大いに皇基を振起すべし
知識を世界に求めて学び、大いに国家の基礎をふるい起こしていく。
歴史の窓 — 1868年、日本の大転換
慶応4年(1868年)3月14日、京都御所の紫宸殿(ししんでん)。即位したばかりの明治天皇(当時16歳)が、公卿・諸侯らとともに、天地の神々に誓う形で、この5か条の基本方針を宣明しました。
この年の正月、京都郊外の鳥羽・伏見で旧幕府軍と新政府軍が戦い(鳥羽伏見の戦い)、徳川幕府は事実上崩壊。新政府はこれから日本をどう作り替えるか、内外に方針を示す必要がありました。五箇条の御誓文は、その「設計図の宣言」だったのです。
5つの方針が宣言したこと
| 条文 | これが宣言したもの |
|---|---|
| 第一条 公論 | 独裁ではなく 議論と合意 で政治を行う方針。後の議会制度につながる。 |
| 第二条 上下一心 | 支配層と被支配層の協同。それまでの「武士が支配する」体制から脱却するという意思。 |
| 第三条 志を遂げる | 身分を越えて 個人の志を実現できる社会。明治の四民平等につながる。 |
| 第四条 陋習を破る | 旧弊の打破と国際的道理。鎖国時代の習慣を改め、世界基準で物を考えるという宣言。 |
| 第五条 智識を世界に | 世界に学ぶ。鎖国2百年余りを終え、外国の知識・技術を積極的に取り入れる方針。 |
現代へのつながり — 日本国憲法との比較
五箇条の御誓文(1868年)と日本国憲法(1947年)。じつは戦後、昭和天皇は1946年元日のいわゆる「人間宣言」のなかで、明治の御誓文を引用し、「民主主義は明治からの伝統である」と述べました。一見断絶しているように見える明治と戦後ですが、「公論」「個人の志」「世界に学ぶ」という基本方針は、形を変えながら受け継がれているのです。
もちろん、御誓文と憲法には大きな違いもあります。御誓文は「天皇が誓う」形をとっているのに対し、日本国憲法は 「国民」が主権者であることを明確にしています(第1条「主権の存する日本国民」)。78年の歳月のなかで、「公論」の主体が、天皇から国民へと移ったのです。