原文 (英語)
To be, or not to be, that is the question:
Whether 'tis nobler in the mind to suffer
The slings and arrows of outrageous fortune,
Or to take arms against a sea of troubles
And by opposing end them.
坪内逍遥訳 (1929)
生か、死か、それが疑問だ。
運命の無慚な飛礫を、ぢつと堪しのぶが、男らしい所為か、
あるひは怒濤のごとき艱難に立ち向つて、
戦ひ挑みつつ、これに勝つのが男らしいか?
現代語訳・要点
生きるべきか、死ぬべきか — それが問題だ。
運命のひどい仕打ち (投石・矢の比喩) をじっと耐えるのが立派な生き方か。
それとも、波のように押し寄せる苦難に立ち向かい、戦って終わらせるのが立派な生き方か。
独白の位置づけ
父である先王を、叔父クローディアスに毒殺されたデンマーク王子ハムレットは、亡父の幽霊から真相を告げられ、復讐を誓う。しかし行動に移すことに迷い、苦悩する。第三幕第一場、この独白は、そうした苦悩の頂点に置かれる。
「生か、死か」は、表面的には「自殺しようかどうか」の問いだが、深層では「苦しみに耐えるか、戦って死ぬか」の選択でもある。ハムレットの個人的悲劇を超えて、人間一般の根本的な実存問題に触れている。
翻訳の比較
| 訳者 | "To be, or not to be" |
|---|---|
| 坪内逍遥 (1929) | 生か、死か、それが疑問だ |
| 福田恆存 (1955) | 生きるべきか、死すべきか、それが問題だ |
| 小田島雄志 (1972) | このままでいいのか、いけないのか、それが問題だ |
| 松岡和子 (1996) | 生きてとどまるか、消えてなくなるか、それが問題だ |
「To be」をどう訳すかで、ハムレットの苦悩の質も変わる。「生か死か」「生きるべきか死すべきか」は文字通り。「このままでいいのか」は現状維持 vs 変革の問いとして。「生きてとどまる」は存在論として。
同じ原文が、訳者ごとに違うハムレットを生む — これが翻訳という営みの不思議さ・困難さの本質である。
近代日本における西洋古典翻訳
坪内逍遥が明治末から大正にかけて、シェイクスピア全戯曲を翻訳した事実は、日本近代文学史上の事件であった。漱石・鴎外と並んで、西洋文学を日本語に移植した最大の試みの一つ。
当時の日本人にとって、シェイクスピアは「西洋文学のすべて」を象徴する存在だった。それを「日本語で読める」ようにすることは、西洋を自分のものとして引き受ける行為であり、近代日本の自己形成と不可分の作業だった。