五 首 の 選歌
(1) 持統天皇 (在位 690–697) ─ 巻一 ・ 28
春過ぎて夏来たるらし
白妙の衣干すてふ天の香具山
現代語 訳:
春 が 過 ぎ て、夏 が 来 た ら し い。
白 い 衣 (こ ろ も) を 干 す と い う、天 の 香 具 山 を 見 る と。
解 説:
持 統 天 皇 (女 帝) が、飛 鳥 の 藤 原 京 か ら 香 具 山 (現 在 の 奈 良 県 橿 原 市) を 眺 め て 詠 ん だ 歌。
香 具 山 の 中 腹 に 真 っ 白 な 布 が 干 さ れ て い る の を 見 て、「あ あ、夏 が 来 た」 と 季 節 の 移 り 変 わ り を 感 じ た 一 首。
(2) 山部赤人 (奈良時代前期) ─ 巻三 ・ 318
田子の浦ゆ
うち出でて見れば真白にぞ
富士の高嶺に雪は降りける
現代語 訳:
田 子 の 浦 (現 在 の 静 岡 県 富 士 市) を 通 っ て、海 辺 に 出 て み る と、
富 士 山 の 高 い 嶺 に は、真 っ 白 な 雪 が 降 り 積 も っ て い た こ と よ。
解 説:
山 部 赤 人 が 富 士 山 を 詠 ん だ、 万 葉 集 を 代 表 す る 名 歌。
青 い 海 の 上 に そ び え る 白 い 富 士 山 ─ そ の 鮮 や か な 対 比 が、 わ ず か 31 音 の 中 に 凝 縮 さ れ て い る。
こ の 歌 は、 後 の 「新 古 今 和 歌 集」 で も 取 り 上 げ ら れ、 百 人 一 首 に も 収 載 さ れ た。
(3) 額田王 (飛鳥時代) ─ 巻一 ・ 20
茜さす紫野行き標野行き
野守は見ずや君が袖振る
現 代 語 訳:
紫 草 が 茂 る 野、立 ち 入 り 禁 止 の 野 (標 野) を 行 き 来 し な が ら、
あ な た (大 海 人 皇 子) が 私 に 袖 を 振 る 姿 を、 野 の 番 人 (野 守) が 見 て い な い で し ょ う か。
解 説:
天 智 天 皇 が 主 催 し た 蒲 生 野 (現 在 の 滋 賀 県) で の 遊 猟 で、 元 夫 だ っ た 大 海 人 皇 子 (後 の 天 武 天 皇) が、 額 田 王 に 袖 を 振 っ て 合 図 を 送 っ た 場 面 を 詠 ん だ 歌。
天 智 天 皇 と 天 武 天 皇 の 兄 弟 が、 額 田 王 を め ぐ っ て 複 雑 な 三 角 関 係 に あ っ た こ と が 背 景。
万 葉 集 を 代 表 す る 「恋 の 歌」 の 一 つ。
(4) 防人歌 ─ 巻二十 ・ 4373
今日よりは
顧みなくて大君の
醜の御楯と出で立つ我は
現 代 語 訳:
今 日 か ら は、自 分 の 家 や 故 郷 を 振 り 返 る こ と な く、
天 皇 の 賤 し い 御 楯 (= 防 衛 の 兵) と し て、 出 発 す る、 こ の 私 は。
解 説:
防 人 と し て 九 州 北 部 に 派 遣 さ れ る、 駿 河 国 (現 在 の 静 岡 県) の 兵 士 が 詠 ん だ 別 れ の 歌。
「自 ら を 賤 し い 御 楯 と 呼 ぶ」 と こ ろ に、 古 代 の 兵 役 の 厳 し さ と、 家 族 と 離 れ る 切 な さ が 凝 縮 さ れ て い る。
(5) 大伴家持 (奈良時代後期) ─ 巻二十 ・ 4516
新しき年の始の初春の
今日降る雪のいやしけ吉事
現 代 語 訳:
新 し い 年 の 始 ま り、 初 春 の こ の 日 に、 降 り 積 む 雪 の よ う に、
吉 い こ と が ま す ま す 重 な る よ う に、と 願 う。
解 説:
万 葉 集 の 最 終 歌 ─ つ ま り、 全 4500 首 の 最 後 の 一 首。
編 纂 者 と 考 え ら れ る 大 伴 家 持 が、 759 年 1 月 1 日 (旧 暦)、 因 幡 国 (現 在 の 鳥 取 県) の 国 守 と し て 赴 任 中 に 詠 ん だ。
「新 し い 年 に 良 い こ と が 重 な り ま す よ う に」 と い う 祝 い の 歌 で、 万 葉 集 を 締 め く く る に ふ さ わ し い。
『万 葉 集』 と は 何 か
『万 葉 集』 は、 日 本 最 古 の 歌 集 で あ る。
全 20 巻、 約 4500 首。 編 纂 は 奈 良 時 代 末 期 (759 年 頃)、 大 伴 家 持 ら が 中 心 と さ れ る。
収 め ら れ た 歌 の 詠 み 手 は、 実 に 多 彩:
- 天 皇 ・ 皇 族 ─ 持 統 天 皇、 額 田 王、 大 海 人 皇 子 な ど
- 貴 族 ─ 大 伴 旅 人、 大 伴 家 持、 山 上 憶 良、 柿 本 人 麻 呂 な ど
- 地 方 官 ・ 兵 士 ─ 防 人 歌 約 100 首
- 庶 民 ・ 農 民 ─ 東 歌 (あ ず ま う た)
- 女 性 ─ 額 田 王、 大 伴 坂 上 郎 女 な ど 多 数
こ れ ほ ど 身 分 ・ 性 別 ・ 地 域 を 超 え て 歌 を 集 め た 歌 集 は、 古 代 世 界 の 中 で も 極 め て 珍 し い。
日 本 古 代 文 学 の 大 き な 誇 り で あ る。
「やまとことば」 の 響 き
万 葉 集 の 歌 は、 漢 字 だ け で 書 か れ て い る。 ま だ 平 仮 名 ・ 片 仮 名 は 発 明 さ れ て い な か っ た。
例 え ば、「春 過 ぎ て 夏 来 た る ら し」 は、 原 文 で こ う 書 か れ て い た:
春 過 而 夏 来 良 之 白 妙 能 衣 干 有 天 之 香 来 山
こ れ を、 漢 字 の 音 と 訓 を 巧 み に 使 い 分 け て、 や ま と こ と ば (古 代 日 本 語) で 読 む。
こ う し た 表 記 法 を 「万 葉 仮 名」 と 呼 ぶ。 こ れ が、 数 百 年 後 に は ひ ら が な ・ カ タ カ ナ へ と 発 展 し て い く。
1300 年 を 超 え て 響 く 心
万 葉 集 の 歌 が 詠 ま れ て か ら、 約 1300 年。
そ の 間、 日 本 の 言 語 ・ 社 会 ・ 風 景 は 大 き く 変 わ っ た。
だ が、 持 統 天 皇 が 香 具 山 を 見 て 「夏 が 来 た」 と 喜 ぶ 心、 防 人 が 故 郷 を 振 り 返 ら ず に 立 つ 心、 額 田 王 が 袖 を 振 ら れ て ど き っ と す る 心 ─ こ れ ら は、 今 の 私 た ち の 心 と、 ま っ た く 同 じ で あ る。
そ れ こ そ が、 古 代 の 文 学 を 学 ぶ 意 味 で あ る。
「1300 年 前 の 人 も、 私 と 同 じ よ う に 笑 い、 泣 き、 恋 を し て、 別 れ を 惜 し ん だ」 と 知 る こ と。
そ し て、 そ の 心 を 「歌」 と し て 残 し 伝 え た 古 代 日 本 人 の 営 み を、 今 の 私 た ち が 受 け 継 ぐ こ と。