講演の背景
明治27年(1894年)7月、相州箱根(神奈川県箱根)で開かれた キリスト教徒第六回夏期学校。集まったのは、これからの日本を担う若いキリスト教徒の青年たちでした。彼らを前にして、内村鑑三(うちむら・かんぞう)は熱を込めて語りかけました——「われわれは後世に何を遺すべきか」と。
この年、日清戦争が始まり、日本は本格的に近代国家として国際舞台に踏み出す節目にありました。内村自身は、「不敬事件」(教育勅語への礼拝を拒んで一高の職を失った)からわずか3年後で、社会的にはまだ厳しい立場にありました。それでも彼は、青年たちに 「人生で本当に意味あるものは何か」 を問いかけたのです。
講演は『湖畔論集』として同年11月に出版され、その後何度も版を重ねて、今に至るまで読み継がれています。
原文(抜粋)— 結論部分
それならば最大遺物とはなんであるか。私が考えてみますに人間が後世に遺すことのできる、ソウしてこれは誰にも遺すことのできるところの遺物で、利益ばかりあって害のない遺物がある。それは何であるかならば勇ましい高尚なる生涯であると思います。これが本当の遺物ではないかと思う。他の遺物は誰にも遺すことのできる遺物ではないと思います。
しかして高尚なる勇ましい生涯とは何であるかというと、私がここで申すまでもなく、諸君もわれわれも前から承知している生涯であります。すなわちこの世の中はこれはけっして悪魔が支配する世の中にあらずして、神が支配する世の中であるということを信ずることである。失望の世の中にあらずして、希望の世の中であることを信ずることである。この世の中は悲嘆の世の中でなくして、歓喜の世の中であるという考えをわれわれの生涯に実行して、その生涯を世の中への贈物としてこの世を去るということであります。その遺物は誰にも遺すことのできる遺物ではないかと思う。
— 内村鑑三「後世への最大遺物」(明治27年・1894年)より
論の運び — 5つの候補を吟味する
内村は講演の中で、後世に遺すべき遺物の候補を順に取り上げ、一つひとつ吟味しています:
| 候補 | 内村の検討 |
|---|---|
| ① 金(お金) | 商業の中で正しく稼ぎ、正しく使えば、立派な遺物。しかし悪用されると害にもなる。誰にでも遺せるとは限らない。 |
| ② 事業 | 学校・病院・鉄道など、社会の役に立つもの。しかし才能と機会の両方を必要とし、誰でもできるわけではない。 |
| ③ 思想・著作 | パウロの書簡、カーライルの本のように、後世に強く影響する。しかしそれを書ける人はきわめて少数。 |
| ④ 教育 | 人を育てて未来に伝える、すばらしい遺物。しかしこれも教師という立場が必要。 |
| ⑤ 勇ましい高尚なる生涯 | これだけは誰にも遺せる。地位も才能も問わず、すべての人が自分の生き方そのものを後世への贈物にすることができる。 |
つまり、内村の主張は「すべての人が、どこにいても、自分の生き方そのものを社会への贈り物にできる」という、根本的に民主的・平等な思想なのです。
カーライルの『フランス革命史』のエピソード
講演の中で内村はカーライル(1795–1881)の有名な逸話を引きます——
カーライルが何十年もかけて書き上げた『フランス革命史』の原稿を、友人に貸して読んでもらった。友人の家の女中が、それを反故(はんご)紙だと思って、暖炉の火付けに使ってしまった。原稿は灰になった。
カーライルは10日ほどぼんやりとして何もできなかった。けれども、彼はやがて自分にこう言ったというのです。
「トーマス・カーライルよ、汝(なんじ)は愚人である。汝の書いた『革命史』はソンナに貴いものではない。第一に貴いのは、汝がこの艱難(かんなん)に忍んで、ふたたび筆を執ってそれを書き直すことである。それが汝の本当にエライところである」
そうしてカーライルは、もう一度書き直したのです。
内村は言います——「カーライルのエライことは『革命史』という本のためにではなくして、火にて焼かれたものをふたたび書き直したということである」と。残されたのは本ですが、本当の遺物は、その本を取り戻すために挫折から立ち直ったその生き方そのものだった。
現代へのつながり — 「生き方」をめぐる問い
「人は後世に何を遺すべきか」という内村の問いは、当時から100年以上たった今も、わたしたちに新鮮に響きます。SNSの時代、わたしたちは 「フォロワー数」「いいねの数」 といった指標で、無意識のうちに後世への影響力を測ろうとしているかもしれません。けれど内村は、それより根本的なところで、人は 「日々をどう生きるか」でこそ未来に何かを遺している、と言うのです。
この講演が今も読み継がれているのは、「地位も才能も持たない自分でも、何かを社会に遺せる」という強い励ましが、そこにあるからかもしれません。中学校公民は、「個人の尊重と社会への参加」を学ぶ場でもあります。内村の問いは、そのもっとも根本的な問いかけとして響き続けています。