「月に吠える」抜粋 — 春の感情・地面の底の病気の顔

「地面の底の病気の顔」 (萩原朔太郎)

地面ぢめんそこかほがあらはれ、
さみしい病人びょうにんかほがあらはれ。

地面ぢめんそこのくらやみに、
うらうらくさくきえそめ、
ねづみえそめ、
にこんがらかつてゐる、
かずしれぬかみえそめ、
冬至とうじのころの、
さびしい病気びょうき地面ぢめんから、
ほそほそ青竹あをだけえそめ、
えそめ、
それがじつにあはれふかくみえ、
けぶれるごとくにえ、
じつに、じつに、あはれふかげにえ。

地面ぢめんそこのくらやみに、
さみしい病人びょうにんかほがあらはれ。

「春の感情」 (萩原朔太郎)

うすしどに うちにたまよりたまよ
うすしどに うちにたまよりたまよ
うすしどに うちにたまよりたまよ

うすしどに うちにたまよりたまよ
うすしどに うちにたまよりたまよ

わたしのなみだは うすしどに
うちにたまよりたまよ。

解説:詩を変えた一冊

萩原朔太郎『月に吠える』が 1917 年に出たとき、日本の詩は 一夜にして変わった と言われます。

それまでの詩は、たとえば「七五調」(七音と五音を交互に並べる) のような、規則的なリズムを持っていました。 高村光太郎『道程』(1914) も、近代的な口語でありながら、まだリズムは滑らかでした。

朔太郎は、これを破壊した。「うすしどに うちにたまよりたまよ」 ―― 意味の通らない、音だけの言葉を、 詩の中心に置いてしまったのです。

「地面の底の病気の顔」

この詩のタイトル ―― 「地面の底の病気の顔」 ―― は、それ自体が一つの不気味な イメージです。 私たちが踏みしめている 地面の その 「底」 に、なにか 「病気の顔」 が 隠れている。それは 私たち自身の 心の 暗い部分 かもしれない。

冬至の頃、ふだんは見えない 地下で、草の根、ねずみの巣、無数の髪の毛 が もぞもぞと 動いている。 朔太郎は、その 「地下の蠢 (うごめ) き」 を 詩で描き出しました。

「春の感情」

タイトルは「春の感情」。明るい春ではなく、春に湧き上がる、原因不明の悲しみ を、意味のわからない音で表現する。

「うすしどに」 は朔太郎の造語的な感覚。「薄しどに」 (=ほのかに、薄く) とも読めるが、ここでは 意味より音そのもの が大切。

わたしの涙は、「うすしどに」「うちに、たまよりたまよ」 ―― なみだが、ふしぎな響きで 流れている。 これは、ことばの意味ではなく、感覚そのもの を 直接に伝えようとする 朔太郎の試みです。

日本近代詩の出発点

朔太郎の革命は、後の 中原中也 (本サイト中3「サーカス」) 、高橋新吉北園克衛、 さらに戦後の 谷川俊太郎吉増剛造 ―― これら全ての近代詩人に、「音と感覚で詩を作る」 ことの 許可を与えました。

だから朔太郎は「日本詩の父」と呼ばれるのです。