問 1 / 7
神武の一行は、日向(宮崎県)を出発して、どんなルートで大和(奈良県)にたどり着きましたか。本文の地名を地図に書き込んで追ってみましょう。
問 1 / 7
神武の一行は、日向(宮崎県)を出発して、どんなルートで大和(奈良県)にたどり着きましたか。本文の地名を地図に書き込んで追ってみましょう。
問 2 / 7
兄の五瀬命が戦傷を受けて死ぬ場面で、神武は「太陽の方向(東)から太陽の神の子孫である自分が攻めるのは、太陽に逆らうことになる。回り込もう」と気づきます。古代の人々の太陽崇拝が、どう物語に反映されているでしょうか。
問 3 / 7
熊野で道に迷った神武一行を、高天原から派遣された八咫烏が大和まで導きます。「天上の神々が地上の旅を助ける」という構図は、何を象徴していると読めるでしょうか。
問 4 / 7
「神武東征」を、(1)神話として、(2)何らかの史実の反映として、(3)戦前の天皇制正統化の根拠として、それぞれどう読むことができるか整理してみましょう。
問 5 / 7
明治政府は『日本書紀』の年代をそのまま採用して、神武即位を紀元前660年と定めました。1940年は「皇紀2600年」として国を挙げての祝賀がありました。なぜ明治政府は神話年代を国家の紀年法に採用したのか、考えてみましょう。
問 6 / 7
戦後、皇紀は公的には使われなくなりました。一方、2月11日は「紀元節」から「建国記念の日」と名を変えて、国民の祝日として残っています。「神話を国家の起源にする」ことについて、現代の私たちはどう考えるべきか、自分の意見を書きましょう。
問 7 / 7
神武東征の物語と、ヤマトタケルの東征伝説と、卑弥呼の女王国(魏志倭人伝)とを並べたとき、それぞれが「神話/伝説/半歴史」の異なる位相にあることが見えてきます。考古学・文献史学はどう区別しているでしょうか。
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