Beowulf 冒頭 — 古英語叙事詩の世界

原文(古英語・冒頭 11 行)

Hwæt! We Gardena in geardagum,
þeodcyninga þrym gefrunon,
hu ða æþelingas ellen fremedon.
Oft Scyld Scefing sceaþena þreatum,
monegum mægþum meodosetla ofteah,
egsode eorlas. Syððan ærest wearð
feasceaft funden, he þæs frofre gebad,
weox under wolcnum, weorðmyndum þah,
oðþæt him æghwylc þara ymbsittendra
ofer hronrade hyran scolde,
gomban gyldan. þæt wæs god cyning!

試訳(現代日本語)

聞け!── 我らは聞き及んだ。
槍のデンマーク人の、いにしえの日々の物語を。
民族の王たちの栄光、貴族たちが武勇をもって為した業を。

シェフの子シュルドはしばしば、敵の軍勢から、
多くの部族から、その王座 (蜜酒の席) を奪い取り、
戦士たちを震え上がらせた。
彼は孤児として見いだされてからこの方、慰めを得て育ち、
天の下に成長し、誉れに満ちていった。

ついには、近隣のすべての民族が、
鯨の道 (海) を越えて、彼に服従し、
貢ぎ物を捧げるようになった。
── まことに、彼は良き王であった!

「Hwæt!」── 千年前の呼びかけ

本作の冒頭一語、"Hwæt!" (ヒワット) は、古英語の「聞け!」「さあ!」を意味する。
これは、当時の宮廷詩人 (scop スコップ) が、竪琴を抱えて広間の前に立ち、貴族と戦士たちの注意を引くために発した呼びかけだった。

紙とインクではなく、声と耳で伝わった物語。
ベーオウルフが文字に書き留められたのは 10–11 世紀だが、その前にすでに何百年にもわたって、各地の宮廷で口承されていた。

「Hwæt!」── この一語に、文字以前の文学の空気が、まだ生きている。

古英語とは何か

ベーオウルフが書かれている言葉 ──「古英語」(Old English, または Anglo-Saxon) は、現代英語の祖先である。だが、現代英語話者でも、ほとんど読めない。

語彙はゲルマン系で、北欧語・ドイツ語に近い。
文法は屈折言語で、ラテン語のように名詞・形容詞が格変化する。
表記には、現代英語にない文字 (þ thorn, ð eth, æ ash) が使われる。

古英語現代英語意味
Hwæt!What! / Listen!聞け!
wewe我ら
cyningking
eorlearl貴族・戦士
hronrad"whale-road"海 (鯨の道)

「hronrad」(鯨の道) のような、二つの単語を組み合わせた比喩をケニング (kenning) と呼ぶ。古英語・古ノルド語の詩の特徴で、「海」を直接 "sea" と呼ばずに、より詩的なイメージで表現する。

アングロサクソン人とは誰か

ベーオウルフを語り、聞き、書き留めた人々は、アングロサクソン人と呼ばれる。

彼らは、5 世紀頃、現在のドイツ北部・デンマークから、海を越えてブリテン島に渡ったゲルマン系部族だった。
ローマ帝国の支配が衰退した後の島を、彼らは支配し、独自の王国群 (七王国) を築いた。

興味深いことに、ベーオウルフという物語は イングランドで書かれた が、内容は デンマーク・スウェーデン の英雄譚である。
これは、アングロサクソン人が大陸時代の記憶を、新しい島で語り継いだことを意味する。

怪物との戦い

ベーオウルフの本筋は、3 つの怪物との戦いから成る。

  1. グレンデル ── デンマーク王ホロガールの広間ヘオロットを夜ごと襲う怪物。ベーオウルフは素手でその腕をもぎ取って撃退。
  2. グレンデルの母 ── 復讐に現れた水底の怪物。ベーオウルフは湖の底に潜って退治。
  3. ドラゴン ── 老王ベーオウルフが故国を守るために最後に対峙する火を吐く龍。ベーオウルフは退治するが、自身も致命傷を負って死ぬ。

これら 3 つの戦いは、英雄の「若年・壮年・老年」を象徴している。
ベーオウルフは怪物を倒すたびに、自身が次第に老いていく。そして最後の戦いで、栄光のうちに死ぬ。

J.R.R. トールキンと Beowulf

20 世紀の偉大なファンタジー作家・J.R.R. トールキン (1892–1973) は、オックスフォード大学で古英語を教える言語学者でもあった。
彼はベーオウルフ研究の最重要論文「The Monsters and the Critics」(1936) で、本作を単なる歴史資料ではなく、芸術作品として読むべきだと主張し、Beowulf 研究を一変させた。

そして、彼自身が書いた『指輪物語』『ホビットの冒険』には、ベーオウルフの世界が深く影を落としている。
ローハン (騎馬の国) の言葉は、明らかに古英語をモデルにしている。広間ヘオロットは、メドゥセルド (黄金の館) として登場する。ドラゴン・スマウグの場面は、ベーオウルフ最終戦のオマージュである。

20 世紀のファンタジー文学は、こうして、千年前のアングロサクソン人の声を、今に伝えているのだ。

日本との同時代性

ベーオウルフが書き留められた 10–11 世紀。
日本では、何が起こっていたか。

  • 905 年:『古今和歌集』
  • 10 世紀末–11 世紀初頭:清少納言『枕草子』、紫式部『源氏物語』
  • 11 世紀:源氏物語・栄花物語 (女性による物語文学の黄金期)

平安京の女性たちが仮名文学を花開かせていた頃、海の彼方ではアングロサクソンの男たちが、英雄と怪物の物語を写本に書き留めていた。
東西の文学の意外な同時性を、ぜひ感じてほしい。