あらすじ
紀元前 6 世紀末、魯 (ろ) の卞 (べん) の地。
若き仲由(ちゅう ゆう・後の子路)は、粗野で勇猛な侠客 (きょうかく) として生きていた。雄鶏の羽を冠 (かんむり) に挿し、雄豚の皮を腰に巻き、剣を帯び、儒者 (じゅしゃ) を見ては嘲笑することを好んでいた。
ある日、評判の儒者・孔丘(こうきゅう・後の孔子)が魯に来ていると聞き、辱めてやろうと出かけた。
だが、孔子と相対した子路は、自分の予想を裏切られる。
孔子は、子路の剣の名手であることを称え、その上で「君は何を学んだのか」と問うた。子路が「学ぶ必要などない、自分の腕に学んだ」と答えると、孔子は静かに言った ──
「南山の竹は、修めずして自から直 (なお) し。これを伐 (き) りて用ふれば、犀 (せい) の革をも通す。されば学んで何の益あらん、と汝は言ふか。然らば、その竹に羽を矧 (は) ぎ、その鏃 (やじり) を金にすれば、いよいよ深く入るまじや」と。
── 真っ直ぐな竹も、学ぶことで矢となり、より深く飛ぶ。
子路は頭を垂れて、その場で孔子の弟子となることを願い出た。
剛直な弟子 ── 孔子に最も叱られた者
子路は、孔子の弟子のなかで、最も古参であり、最も信頼され、そして最も叱られた。
彼の取り柄は、素直で剛直であること。彼は孔子の言葉を即座に行動に移そうとした。だがその行動は、しばしば孔子から見れば性急にすぎ、礼に欠けた。
ある日、孔子が「義を聞いて、ためらわずに為すべきか」と問われたとき、孔子は子路には「父兄あり、いかでただちに為さん」と答え、冉求 (ぜんきゅう) には「ためらわず為すべし」と答えた。同じ問いに、なぜ違う答えなのか。
他の弟子が訝 (いぶか) しむと、孔子は言った ──「子路は性急に過ぎる、ゆえに抑え、冉求は退きすぎる、ゆえに励ます」と。
「同じ言葉でも、相手によって意味を変える」── これが孔子の教育であり、子路はそうした「抑えるべき者」として、いつも厳しく扱われた。
だが、孔子はまた、こうも言った ── 「由 (子路) はその死を全 (まっと) うするを得ざらん」と。剛直すぎる子路は、おそらく天寿を全うできずに、戦のなかで死ぬだろう、と。
この予言は、後に的中する。
衛での仕官 ── 父子の内乱
子路は晩年、衛 (えい) という小国で蒯聵 (かいかい) の家臣として仕官していた。
ところがその衛で、王位をめぐる父と子の内乱が起こった。先君の太子だった蒯聵が、息子の出公輒 (ちょう) を追って王位を奪おうとしたのだ。
父と子が王位を争うという、儒家の理想 (孝・忠) からすれば最悪の倒錯。
子路は、たまたまこの内乱のさなかに衛の都にいた。彼は、自分の仕える主君のために戦うことを選んだ。
結纓 ── 「君子は死すとも冠を免ず」
紀元前 480 年、子路 63 歳。
彼は乱戦のなかで敵に囲まれ、剣を交えた。敵の戈 (ほこ) が彼の冠の紐を切る。
冠が落ちそうになる ── そのとき子路は、突然戦いをやめた。
敵兵がいぶかしむなか、彼は地に膝をつき、切れた紐を結び直した。
そして、結ばれた冠を整えながら、彼は言った:
「君子は死すとも冠を免 (ぬが) ず」── と。
(君子は死ぬときも冠をはずさない。それが礼である。)
彼が紐を結び終えた直後、敵兵たちの剣が彼を貫いた。
子路は結纓 (けつえい) して死す── 冠の紐を結びながら死んだのだった。
師の慟哭
子路の死の報を聞いたとき、孔子は門人の前で慟哭 (どうこく) した。
そして、その後、肉醤 (にくびしお・塩漬けの肉) を見ては、これを覆って食べなかったと伝わる。
── 子路は、衛で処刑された後、その遺体が醢 (かい・塩漬けの肉) にされたからだという。
孔子はこの後、わずか数ヶ月で病死した。子路の死は、73 歳の老師に、決定的な打撃を与えたのだった。
中島敦の眼差し
中島敦は本作を、昭和 17 年 (1942)、亡くなる年に発表した。
彼自身、結核に苦しみ、33 歳で死ぬことを薄々予感していた時期である。
孔子と子路の師弟の絆を書きながら、中島は ── 何を見ていたか。
おそらく彼は、自分自身の早すぎる死の運命を、子路の壮絶な最期に重ねていた。
若くして優れたものを書きながら、結核に倒れた中島敦。「由はその死を全うするを得ざらん」という孔子の予言は、中島自身にも当てはまる。
漢文と近代小説の出会い
中島敦の文体は、漢文書き下し調と近代的心理描写を融合した、独特のものである。
「南山の竹は、修めずして自から直し」── これは『説苑』(漢代の故事集) からの直引きである。中島は『論語』『史記』『春秋左氏伝』を典拠としつつ、その骨に近代小説の血肉を通わせた。
高校生にとって、本作は漢文学習と近代文学を橋渡しする絶好の教材である。
『論語』で出会った子路という名前が、こうして血と肉を持って動き出すのを、ぜひ体感してほしい。
そして、「君子は死すとも冠を免ず」── この一言が、2500 年の時を超えて、今も私たちの心に響くのを、確かめてほしい。